秋紘のジャケットが投げ置かれた、煉からの巨大な花束。全員が花束に視線を置き、無言の時間が流れる。
「っにしてもさー··アイツ、湊のコトめっちゃ好きだよねぇ」
花束が置かれたテーブルの横、パイプ椅子にドカッと座った秋紘が言う。湊の理解不能な行動や、綾斗と尚弥から投げつけられる暴言の数々が、秋紘の苛立ちを募らせジャケットを投げさせた。
けれど、粗暴な態度とは裏腹に、投げられる言葉と口調は優しい。そんな秋紘の言葉に、湊はピクッと反応を示す。
キョトンと驚き、秋紘を見つめる湊。跳ねて
八つ当たりするように、花束へ込められた想いを口にした秋紘。そこから目を逸らしている湊を逃がさない。そういった意思が感じられる。
それは、ちょっとした意地悪のつもりだった。けれど、湊はそれに全く気づいていない。それどころか、秋紘が思うよりもずっと、湊はひねくれた受け取り方をしていた。
「
そう言って俯く湊。ココアの入った紙コップをキュッと握る。ネガティブな思考が巡っている事は、誰の目にも明らかだった。
「湊、どうしたの?」
尚弥は湊の背中へ手を添え、心配そうに顔を覗き込む。首を傾けると整ったパッツン前髪が揺らぎ、普段は隠れ気味な目がぱっちりと目立つ。
尚弥の瞳は、キラキラと輝くビー玉の様。見つめられると、思わず吸い込まれそうになり固まってしまう。湊だって例外ではない。
尚弥の潤んだ瞳があまりに綺麗で、湊は頬を赤くさせた。つられて、尚弥も少し頬を赤らめる。
尚弥の真っ直ぐな瞳に困惑する湊。だが、慌てて笑顔を戻し、懸命に説明する言葉を探す。
「どう··も、しないんだけど、なんだろ····。なんか、あの人に何かをしてもらう度にモヤモヤするんだ」
湊は、自分の中にぼんやりと渦巻く、得体の知れぬ感情に戸惑うばかり。その理由も原因も分からないまま、言い知れぬ苛立ちだけが湊の心を締め付けていた。
「湊はさぁ、アイツが
秋紘の言葉に、目を丸くして驚く湊。それはどういう意味なのか、そうだとして自分はどうしたいのか、自分自身の心が分からず首を傾げた。
「悔しいのか悲しいのか、色々な気持ちが入り乱れてるんだろうけどね。湊が率直にどう感じたのか、自分で今、分かる?」
綾斗は、動揺している様子の湊へゆっくりと言葉を重ねていく。そして、湊の答えを静かに待つ。
ココアを一点集中で見つめ、思考を巡らせる湊。まとまらない考えを一度手放し、ぽつりぽつりと言葉を落としてゆく。
「僕は····────」
ところ変わって。
上機嫌に帰宅した煉は、食事もとらずにまっすぐ自室へ向かう。扉を閉めたが最後、気の済むまで部屋に籠るのだ。
興奮した煉は、足早に部屋へ駆け込むなりベッドへダイブした。そして、ライブでの蒼を思い出し、叫ぶのは抑えつつもニヤける顔がどうにも隠せない。
グッズを胸に左へコロ··、右へコロ··と転がる煉。はたと止まり、そっと瞼を閉じてアレの瞬間を蘇らせる。
「うちわ····買ってよかったな」
パチッと目を開け、ぽやんとした表情でポソッと呟いた煉。蒼の投げキッスが、自分へ向けられたものだと信じて疑わない。
再び目を閉じて、瞼に焼き付けたあのシーンを何度も巡らせる。回を追うごとに、それはどんどん美化されてゆく。
ファンなんてものは一様に、自分の都合に合わせて状況を受け取るものだ。普段はすましている煉も、これに関しては例外でない。
何度も溜め息を吐き、ブロマイドやアクリルスタンド、今日の戦利品を眺めてはまた悶える。
ライブの後は、これを繰り返して余韻に浸る。これが、次のライブへ向けてモチベーションを上げる、煉のルーティンだ。
(投げキッスに浮かれて勢いで花束買ってきちまったけど、やっぱあれじゃショボかったよな····。あの蒼が投げキッスだぞ。絶対俺の為だし! くっそ、もっとデケェのにすりゃよかった)
急な事で時間がなく、閉店間際の花屋にかなり無理を言って誂えさせた花束。周囲の誰もが驚くサイズだったが、自分の思いを伝えるにはまだまだ小さいと感じていた。
──コンコンッ
だだっ広い部屋に、ノックの音がこだまする。時刻は23時。こんな時刻に部屋を訪ねてくるのは、煩わしいあの人だけ。
余韻から引き剥がされ不機嫌な煉は、不貞腐れた顔のまま扉を開けた。そして、ほんの少しだけ開いた扉の隙間から顔を覗かせ、冷たく言葉を放つ。
「何。忙しいんだけど」
「忙しい? フンッ··どうせまた、アレに現を抜かしてたんだろ。いいから開けなさい」
「··チッ。アレって言うな」
煉は、もう僅かだけ扉を開き渋々招き入れる。
「······凄いな」
壁にぎっしりと貼られた、特製のポスターと公式のポスター。机の周りのある棚には、ほんの少しの書物とアクリススタンドや数々の小物。全て蒼のグッズだ。
一見、ストーカーの隠し部屋かと思うほど、部屋が蒼で埋まっている。
「で、なんの用? つぅか俺にまともな用とかあんの?」
「お兄ちゃんに向かってなんだ、その口の利き方は」
「毎回それ言わねーと死ぬの? さっさと用件言って出てけよ」
「死ぬ····。親父が帰ってくるってさ」
ポソッと死を予告してから本題に入る、煉の兄であり月宮家の長男でもあるこの男、月宮
父親が経営する月宮学園の継承を拒み、大学生の頃に起業し成功させた。実力も実績も申し分ない嵐。変わり者と名高いが、普段は常識人で優秀な逸材だ。
全く思い通りに動かない息子ではあるが、父親も嵐の能力には信頼を置いている。考えが読めなさすぎて、結果として放任する羽目になっている事に、随分と腹を立ててはいるが。
そんな嵐だが、重度のブラコンにて煉を溺愛している。ひょんなことから、煉が蒼の追っかけをしていると知り、当初は嫉妬に狂い悶えていた。
それも束の間、煉を最優先に想う嵐は、決して煉を否定せず全てを受け止めた寛容な男だ。嫉妬は全くもって収まってはいないけれど。
容姿は煉をそのまま大人にしたような、端正で甘いマスクのイケメン。学生時代は、煉に先立って雑誌の専属モデルをしていた。
嵐は、不機嫌に出ていけという煉の顎を指に置き、優しくクイッと持ち上げる。は、秒で手を弾かれ、途端に情けない顔を晒した。
「いつ? つぅかなんつー顔してんの。捨てられた仔犬かよ」
「明日。ねぇ、仔犬なお兄ちゃんに優しくしてあげて?」
「キモ。つぅか明日って··、急すぎんだろ。めんっどくせぇな」
学園の理事長である父親は、出張と銘打って自宅には殆ど帰らない。その理由を知るが故に、煉は父親に会おうとはしない。
時々気まぐれで帰ってくるが、父親と折の合わない煉は避け続けている。ここ数年は、年始の挨拶でしか顔を合わせていない。
毎度、こうして煉の我儘に加担する嵐。父の帰宅情報を流しては、煉に逃げ出す猶予を与えている。実は嵐もまた、父親とは反りが合わないのだ。
だが、世渡り上手な嵐は、父親の前で良い息子の仮面を被り演じ続けているのだ。嵐はそれを、長男としての責務だと思っている。
その傍ら、煉を溺愛しているわけだが、煉はそれを煩わしく気持ちの悪いブラコンだと嫌っていた。