ストレスを発散させた湊は、幾分か気分が晴れスッキリしていた。レッスンにも集中できるようになり、数日後に控えているライブへ向けて調子を整えている。
けれど、問題が解決した訳ではない。久々に煉からの呼び出しを食らう湊。昼休み、空き教室で煉と落ち合う。
湊が静かに空き教室の扉を開けると、中から『よぉ』と重々しい声が聞こえた。少し掠れているように聞こえる。何事かと思い、湊は声の主を見る。
「んゎ····煉、どうしたの?」
「どうもしねぇよ」
「どうもって····、凄くしんどそうだよ」
薄暗い中、ポケットに手を突っ込んだまま椅子に座る煉は、くてっと壁へ寄り掛かり、気怠そうに湊を見上げている。マスクと前髪の隙間から覗く鋭い眼が、湊を一瞬たじろがせた。
それでも、湊は駆け寄り、熱を計ろうと煉の額へ手を伸ばす。しかし、煉はその手を力なく弾いた。
「った····」
弾かれた手を、胸の前へ逃がし庇うように反対の手で包む湊。
「触んな。つぅか近づくな」
「なっ··、呼んだくせに····」
「ちょっと····顔見たかっただけ」
そう言って、すぅっと目を閉じる煉。弱々しい煉からの、予想外の一言に湊は頬を染める。
だが、湊は理解していた。煉が求めているのは、あくまで
心配した湊が一歩踏み出すと、煉は『来んな』と言って咳き込んだ。
「風邪?」
「あぁ、たぶん。お前が俺から逃げた次の日から、なんかずっと調子
仕事ならば仕方がないと言っていた口で、本当は心を痛めていた事を示唆する。
「逃げた··わけじゃないもん」
心苦しさから、湊は言葉を詰まらせる。真実を知らない煉は、ほんの少し嫌味を言ったつもりだった。
だが、湊はバレてしまったのではないかと思い焦る。
「仕事だもんな。しょーがねぇのは分かってるつっただろ」
バレたのではないと分かり、一瞬安堵する湊。それでは何故、嫌味を言われるのかと再び疑問が浮かぶ。
「あの日、言ったよな。これからは、俺が求めた時に、ファンサ、しろって」
「うん。命令··だもんね」
「あぁ、で、とりあえず今から──ゴホッゴホッ····」
途切れ途切れに言葉を落とす煉。随分と調子が悪そうだ。
「ねぇ煉、保健室いこう? ファンサなんてそれからでも──」
「今がいいんだよ。もう限界····」
煉は、先程振り払った手を取り、湊をグイッと引き寄せた。
「俺の頭、抱き締めて····元気になれって言え」
(これってファンサの域じゃないよね····。でもまぁ、今はしょうがないか)
これまでに見たことのない弱りきった煉を、湊は蔑ろにする事などできなかった。
そっと煉の頭を包み、優しく頭を撫でながら言う。
「煉、あんまり無理しちゃダメだよ。早く元気になろうね」
湊は、兄弟にする感覚で煉を甘やかした。
「ねぇ煉、すっごい熱い。やっぱり保健室行こ」
煉の頭を離し、湊が心配そうに顔を覗き込む。すると、煉は湊をトンと突き飛ばした。
「んゎっ····」
「わりぃ、もういいから離れろ。ライブ··
「はぁ····今更すぎるでしょ」
呆れ顔で、湊は煉の腕を抱える様に引いて立たせた。
「ちょ、やめろって」
「やめないよ。病人放って戻れるわけないでしょ」
「だけじゃねぇって。お前、俺と居たら目立って困んだろ」
「そうだね。でも煉、どうせ保健室行かないでしょ?」
どうしても煉を放っておけない湊は、自らのリスクを顧みず、煉を引っ張って教室を出ようとする。熱の所為で思うように力が入らない煉は、非力な湊にさえ抵抗できなかった。
それでも、煉は力を振り絞って湊の腕を払う。
「わーった。保健室····つぅかもう帰るから。お前ももう戻れ」
「ホントに?」
「ホント。ずっと調子戻んねぇから、その··アレだ、お前に会ったら、元気になれそうな··気がしたんだよ」
恥ずかしそうに視線を逸らし、僅かに唇を尖らせて言う煉。
「僕っていうか、
突然、不機嫌を顕に言葉をぶつける湊。煉は、湊の態度と言葉に眉をひそめつつも、いつもより素直に答え始めた。
「蒼は、頑張ってんだろ」
「······まぁ」
(頑張ってるのは|僕《・》だけどね)
心の中で悪態をつく湊だが、珍しく素直に話す煉に耳を傾ける。
「踊んのも歌うのも、そもそも人前って苦手なんだろうなって最初っから思ってた」
「んぇ····。そんなに分かりやすかった?」
「んや、俺もモデルやる時、似たような感じだったからそう思っただけ。そう思って見てたら、超初期の頃とか表情すげぇ硬かったし。けど、他は気づいてねぇんじゃね?」
「そう··なんだ。って、え、煉はやりたくてモデルやってるんじゃないの?」
「スカウトされて流れで、な。追っかけやんのも金要るし」
話し疲れたのか、煉は近くの椅子に座って机に突っ伏した。そして、そのまま話を続ける。
「苦手でも一生懸命頑張ってる蒼が、すげぇキラキラして見えてさ····。俺も··負けたくねぇなって思った。あと、フツーに可愛い······」
「煉?」
話しながら眠ってしまった煉。湊は、煉の前の席に座り『仕方ないなぁ』と言って、煉の髪をサラッと指で攫った。
触れても起きない煉。湊は、煉の荒い呼吸を心配しつつ、濡らしてきたハンカチを首元に当てる。その瞬間、煉の身体がピクッと反応する。
そぅっと、起こしてしまわないように気をつけて、煉が目を覚ますまで静かに待った。
5限目が終わる頃、煉が目を覚ましのっそりと起き上がる。
「····は? なんで居んの?」
「寝ちゃった病人放って戻れるほど、薄情じゃないつもりなんだよね」
「お前··、移ったらライブどうすんだよ。明後日だろ」
「煉、マスクしてるでしょ。それに僕、兄弟の看病とかしてても滅多に風邪貰わないから大丈夫だよ」
楽観的な湊に、多少の苛立ちを覚える煉。けれど、呼び出した上に甘えた手前、これ以上の言葉は出せなかった。
そして、煉は湊を教室へ戻し、迎えを呼んで帰宅した。
自宅に帰った煉は、執事とメイドを部屋から追い出し、不貞腐れたようにゴロンとベッドへ転がる。
煉が案じているのは湊の身、風邪を移していないか。自分が蒼の邪魔をするような事があっては、自分自身を決して許せない。
煉は、大きな溜め息を零して眠りについた。
翌日も治らず欠席した煉は、熱でボーッとする中、湊へ体調を伺うメッセージを何度も送った。その都度、湊からは大丈夫だから寝ているようにと返信があった。
兄弟にするように、毎度短い説教を垂れる湊に安堵する煉。薄い眠りにつきながら、明日のライブチケットをぼんやりと眺めて英気を養った。