カルボナーラを2皿平らげ、満腹で眠気に襲われる湊。煉の車で、夢見心地の中家まで送ってもらう。
「ったく、寝るとかマジかよ····」
煉は、湊の前髪をそっと掻き上げた。自分の隣で眠る蒼に、煉の鼓動は速まってゆく。
自分自身の反応に驚き、慌てて手を離す煉。何に対してか分からない舌打ちを数回、苛立ちは拳に握り隠された。
湊を自宅まで送り届けるわけにいかない煉は、近所の公園へ樹を呼び出す。
「コイツ、飯食ったら寝たから連れて帰って」
「えぇー··どういう状況? つぅか飯って。お前ら、いつの間にそんな仲良くなったんだよ」
「別に仲良くなってねぇよ。コイツの秘密握ったから、ちょっと揶揄って遊んでるだけ」
「あっそ。マジで遊んでるだけならいいけど。あんま湊困らせんなよ」
「お前の“宝物”だから?」
「気づいてたのかよ。分かってんなら手ぇ出すな」
バチバチと火花飛び散る視線のやり取り。そんな状況でも、ぐっすりと眠っている湊は、一触即発の2人には気づかない。
「親友の頼みでも聞けるか分かんねぇ。コイツん中にある
視線を湊へ落として言う煉。その表情は、樹も見た事のないほど穏やかなものだった。
「お前、それって····」
「ま、俺が興味あんのも好きなのも“蒼”だから。樹の宝物にどうこうするつもりはねぇよ」
(今のところは、な)
含みを込めた言葉に、樹は眉を顰める。けれど、煉はお構い無しにマイペースを貫く。
「んじゃ、俺帰るから
「あっ、おい! よろしくって──」
煉は湊を樹に引き渡し、バタンとドアを閉めてしまった。そして、間髪を容れず発進する。
「くっそ! 勝手な事ばっか言いやがって。ンっと、どんだけ自己中なんだよ」
結局、何の説明も得られなかった樹は、苛立ちを暴言に変えながら湊を家まで運ぶ。
湊をお姫様抱っこで家まで十数メートル、軽々と抱える樹。湊は、ゆりかごにでも揺られているような心地良さで夢の中にいる。
家に着き、樹は肘でインターホンを鳴らす。
扉を開いたのは惟吹だった。湊を抱える樹を見るなり、鬼の形相で睨む。
「お前、何してんの? 兄貴に何シたの?」
「なーんも。マジで
苛つきを隠さない樹に、いつもと違う様子を感じ取る惟吹。兄が誰とどこでどうしてこうなって帰ったのか、起きたら問い詰めようと考えていた。
「とにかく、湊にぃは俺がもらうから」
「って惟吹じゃ抱えらんないでしょーが。俺がベッドまで運ぶからいいよ」
「はぁ!? 俺だってお姫様抱っこできるし!」
「いや無理でしょ。つぅか、騒ぐと双子起きるよ」
「ハッ····」
ハッと漏らし口を手で覆う惟吹。渋々、樹に兄を任せて部屋へ通す。
「相変わらず殺風景な部屋だな」
湊をベッドに寝かせ、部屋をグルっと見回して言う樹。湊は物欲がないのだという惟吹に対し、樹は『そうなのかねぇ』と意味深に返す。
樹の返事に不満気な惟吹は、湊を運んでくれた事に礼を言い捨て、さっさと樹を追い返そうとする。
「なぁ惟吹。湊のこと、ちゃんと見とけよ」
「なんだよ急に」
「いやほら····、湊は放っといたらすぐ無理すんだろ?」
「そんなん言われなくてもだよ! いいからさっさと帰ってよ。樹は存在が煩いんだから」
「存在が煩いってなんだよ。顔? 顔が良いから? なに、顔面偏差値負けてて悔しいの?」
「うーっるせぇな! 皆起きんだろ。さっさと帰れ! つぅか負けてねぇから!」
惟吹は声を潜めて叫ぶ。樹は『はいはい』と言って、後ろ手に手を振り帰っていった。
ベッドの横に座り、湊の寝顔を眺める惟吹。湊の前髪を、そっと指で攫う。
「湊にぃ、今日は誰と会ってたんだよ。嘘下手なくせに、最近嘘ばっか
惟吹は、悲しげな表情をしたまま、静かに部屋を出ていった。
とても心地の良い眠りから覚めた湊。アラームが鳴るよりも、30分早く起きた。
夕べの事を思い返すが、車に乗り込んだ後の記憶がない。どうやってベッドに入ったのだろう。
とりあえず、シャワーを浴びながら思い出してみる。けれど、何ひとつ思い出せない。
記憶を捻り出そうと、うーんうーんと唸りながらキッチンに立つ。難しい顔で夕飯のビーフシチューを作っていると、惟吹が起きてきた。ムスッとしている惟吹に、挨拶をして昨日の事について尋ねてみる。
樹に抱えられて帰ったのだと聞き、胸を撫で下ろす湊。それを見て、惟吹は不機嫌そうに言葉を投げつける。
「湊にぃ昨日さ、樹と居たんじゃないんでしょ。言いたくないなら聞かないけどさ。····ねぇ、大丈夫なの?」
問い詰めるつもりでいた惟吹だったが、湊の顔を見ると決意が揺らいでしまった。唸るほど思い悩んでいる様子の湊へ、詰問する気になどなれなかったのだ。
「ん? えっと、大丈夫だよ。惟吹が心配するような事は何も無いから」
(俺が心配するような事って、どうせ分かってないくせに····)
心配を募らせる惟吹。そんな事とは露ほども思わない湊は、安心感からご機嫌に鍋をかき混ぜている。
惟吹は、そんな湊を見守ることしかできず、もどかしく思うばかりだった。
それから数日、湊は息苦しい生活を強いられていた。
学校では、煉に呼び出される度“命令”と称してつまらない事を頼まれる。大抵、メンバーしか知らないサルバテラの練習風景の話や、公式では発表していない蒼の情報提供、時々ファンサを迫られるといったものだ。
勿論、2人きりの時は前髪を上げ、蒼として振る舞えという“命令”に従っている。湊にはそれが窮屈で、決して楽しいものではなかった。
湊の心の内など知らない煉。煉はいずれも、ファンとして楽しんでいるようだった。普段は見ない嬉々とした表情で自分の話を聞く煉に、湊も悪い気はしていなかった。
けれど、どこまで話していいものなのか、それだけが気がかりな湊。絶対に口外しないという煉を信用するしかなかった。
かと思えば、時々、ジュースを買ってこいだの課題を見せろだのと、煉の気分で子供じみた事も頼まれる。けれど、蒼絡みではない用件のほうが、湊としては心が軽かった。
そして、家では惟吹が、湊の言動をいつも以上に注視している。何処へ行くにも、誰と連絡を取るにも口煩く聞かれ、湊は少しウンザリしていた。
けれど、惟吹をそうさせているのは、他でもなく自分なのだと理解している湊。余計に心配を掛けてしまうと思い、置かれている状況を惟吹に話せないままだった。
結局、“視線の犯人”は分からず終いだったと嘘をついている。本気で自分を心配してくれている惟吹に、嘘を重ねる心苦しさに苛まれる湊。
それでも湊は、何事も滞りなくこなしていかなければと、心身共に無理をしていた。
けれど、そんな事を言い訳にしたくない湊。
だったのだが、この日はレッスンの最中にも関わらず、湊はいつになくぼんやりとしていた。全く身の入っていない湊を見兼ね、綾斗は練習を止める。