煉に連れ回され、漸く帰宅した湊。いの一番に、心配していた惟吹が駆け寄る。
「湊にぃおかえり。ねぇ、急用って何? どうしたの? 俺に詳細なしで行くとか珍しいね」
靴を脱ぐ間もなく詰め寄られる湊。身を引きながら靴を脱ぎ、そっと惟吹を押し退けリビングへ向かう。
「ごめんね。その··しゃ、社長に呼ばれて····」
「····ふ〜ん」
(はぁ····。ホント嘘下手すぎ。俺に嘘ついて行く急用って何だよ)
「遅いから心配した」
「ごめん。えっと、社長と話し込んじゃって」
「っそ。湊にぃが無事ならいいけどさ」
惟吹は、疑いの眼差しを悟られぬよう、表向きは納得した素振りを見せた。
「飯は?」
「ご馳走になっちゃった」
「そうなんだ。ちゃんと食ったんならいいや」
双子を寝かしつけた惟吹は、夕飯の片付けから風呂まで、全て済ませていた。湊に風呂を勧め、背中を押して脱衣場へ押し込む。
「さっさと風呂入って寝なよ。なんか知らねぇけど、すっげぇ疲れた顔してる」
脱衣場の扉越しに言う惟吹。様子のおかしい湊に気づきつつも、何も言わない湊からは聞き出せない。
「惟吹··、ありがと。そうだね、今日はちょっと疲れちゃった。早く寝るようにするよ」
湊は惟吹の優しさに甘え、ゆっくりと風呂に浸かり疲れを癒した。手早く課題を終わらせ、いつもより早く布団に入る。
目を瞑ると、考えるのは煉の事ばかり。これから、煉の“命令”に従う日々が続くのだと思うと憂鬱で、なかなか上手く寝つけなかった。
翌日、いつも通りの地味な姿で登校する湊。
今日は、樹も煉も関わってこない。静かな一日だ。
放課後、レッスンに向かう湊は、駅に向かう途中で煉に鉢合わせた。いや、待ち伏せされていたのだ。
「わっ··、ビックリした····」
「いちいち驚くな」
「ご、ごめん。えっと、今日は車じゃないの?」
「そこの駅で撮影あっから、今日は歩き」
「そっか、煉はモデルさんなんだよね」
ハッと気がつけば、周囲には多数の女子の姿が。一緒に居るところを見られると面倒な事になりかねない。
そう思い、湊はペコッと会釈をして駅へ駆け出した。煉は、声を掛ける間もなかった。
「ったく、どんだけ目立ちたくねぇんだよ」
煉はぶつくさと文句を零しながら、湊の後をゆっくりと歩いて駅へ向かった。
レッスンが終わり、メンバーと別れた湊のスマホが鳴る。まさかと思い、恐る恐る開く湊。予想通り、メッセージは煉からだった。
『飯行くぞ』
湊は溜め息を吐き、煉へ電話をかける。
『なに』
ワンコールめが鳴り終える前に出た煉。予想外の速さに、湊は一瞬言葉を躊躇う。
「あの··、ご飯なら昨日行ったよ」
『覚えてっけど?』
「え、じゃぁなんで? なんで連日──」
『お前こそ忘れてんじゃねぇの? 覚悟しろつっただろ』
電話の先と重なって、背後から煉の声が聞こえた。湊はハッとして振り向く。
「近くの店予約してっから行くぞ」
湊の返事も待たずに歩き出す煉。キョロキョロと周囲を見回す湊に、煉は呆れてこう言った。
「女どもなら撒いて来た。あんなん引き連れて来るわけねぇだろ」
「言い方····」
「なに?」
「ファンを“女ども”とか“あんなん”とか、酷いなって」
湊は、ムスッと頬を膨らませる。それを見た煉は、試すような口調で湊へ問い掛ける。
「お前も陰では言ってんじゃねぇの?」
「そんなコト言わないよ! ファンは応援してくれる大切な存在だもん。煉だって····」
「俺だって··、何?」
煉は立ち止まり、言い淀んだ湊の言葉を急かす。
「なんでもない」
「なんだよ。言えって」
「なんかやだ」
顔を逸らして逃げようとする湊の腕を捕まえ、煉はグイッと引き寄せた。
「チッ····命令」
「なっ、····狡い」
「いいから言え」
言葉を躊躇う湊。焦れったくなった煉は、湊の顎をクイッと持ち上げて圧をかける。
「早く言え。気になんだろうが」
「ふぇ····」
涙目になった湊を見て、煉は再び小さな舌打ちを置いて手を離した。湊は、そっぽを向いた煉の背中に、ぽつりぽつりと言葉を落としてゆく。
「煉が、僕のファンだって、樹から聞いた。けど、僕のファンで男の人って
今にも零れ落ちそうな涙を、必死に
「バカじゃねぇの。俺が好きなのは蒼だつってんじゃん。ペンダントは蒼に贈ったんだから、お前が気にする必要ねぇだろ」
(そう··なんだけど、気になっちゃうんだから仕方ないじゃないか)
俯く湊を見て、煉は怯えさせているかと思い口調を緩めて言葉を掛ける。
「お前には····湊には興味ねぇし。勘違いすんなつっただろ」
「でも、蒼は僕で、僕が蒼なんだよ?」
「お前は蒼じゃなくて湊なんだろ。ったく、自分で言ったんじゃねぇのかよ」
「そ、そうだけど····」
「だったら俺は、お前が言うファンの男じゃなくて煉だ。割り切って考えろ。お前は俺が求めた時だけ蒼になればいーんだよ」
「でも──」
執拗い湊に、イラついた煉はヤケクソで言葉を返す。
「そうだよ。俺が“
「なんで怒るの!? て言うか、やっぱり煉が“涙さん”なんじゃない」
整理のつかない気持ちと、意味の分からない煉の行動への困惑からだろう。抑えていたものが溢れるように、湊の目からぶわっと涙が零れ落ちる。
(一生俺だってバレねぇと思ったからカッコつけた名前にしたのに。本人にバレるとか最悪じゃねぇかよ····)
煉が口篭りながら言った『蒼玉の涙』とは、秋紘の配信で蒼へ高額投げ銭をする為に作ったアカウントの名前。プレゼントを贈る時も、この名で送っている。
つまりは、湊が『涙さん』と呼ぶ
それでも湊は、割り切るなんて無理だとごねる。
「あのさ、何がムリなんか分かんねぇんだけど。俺は今、湊と喋ってんの。俺は今、
勝手な事ばかり言いながら、煉は湊の涙を指で雑に拭った。
「つぅか泣くなよ。蒼泣かしてるみたいで嫌なんだけど」
「な、泣いてないもん」
「泣き虫のテンプレかよ」
「泣き虫じゃないもん!」
「はいはい。だったら泣きやめ。命令」
煉は、いつになく優しい声で命令下す。
耳に心地好い煉の声。湊は、袖で涙を拭いて顔を上げる。
「お腹空いた」
「お前、結構図々しいっつぅか図太いよな」
呆れ顔で言う煉だが、湊にはうっすらと笑っているように見えた。