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第10話 涙さん


 煉に連れ回され、漸く帰宅した湊。いの一番に、心配していた惟吹が駆け寄る。


「湊にぃおかえり。ねぇ、急用って何? どうしたの? 俺に詳細なしで行くとか珍しいね」


 靴を脱ぐ間もなく詰め寄られる湊。身を引きながら靴を脱ぎ、そっと惟吹を押し退けリビングへ向かう。


「ごめんね。その··しゃ、社長に呼ばれて····」

「····ふ〜ん」


(はぁ····。ホント嘘下手すぎ。俺に嘘ついて行く急用って何だよ)


「遅いから心配した」

「ごめん。えっと、社長と話し込んじゃって」

「っそ。湊にぃが無事ならいいけどさ」


 惟吹は、疑いの眼差しを悟られぬよう、表向きは納得した素振りを見せた。


「飯は?」

「ご馳走になっちゃった」

「そうなんだ。ちゃんと食ったんならいいや」


 双子を寝かしつけた惟吹は、夕飯の片付けから風呂まで、全て済ませていた。湊に風呂を勧め、背中を押して脱衣場へ押し込む。


「さっさと風呂入って寝なよ。なんか知らねぇけど、すっげぇ疲れた顔してる」


 脱衣場の扉越しに言う惟吹。様子のおかしい湊に気づきつつも、何も言わない湊からは聞き出せない。


「惟吹··、ありがと。そうだね、今日はちょっと疲れちゃった。早く寝るようにするよ」


 湊は惟吹の優しさに甘え、ゆっくりと風呂に浸かり疲れを癒した。手早く課題を終わらせ、いつもより早く布団に入る。

 目を瞑ると、考えるのは煉の事ばかり。これから、煉の“命令”に従う日々が続くのだと思うと憂鬱で、なかなか上手く寝つけなかった。



 翌日、いつも通りの地味な姿で登校する湊。

 今日は、樹も煉も関わってこない。静かな一日だ。


 放課後、レッスンに向かう湊は、駅に向かう途中で煉に鉢合わせた。いや、待ち伏せされていたのだ。


「わっ··、ビックリした····」

「いちいち驚くな」

「ご、ごめん。えっと、今日は車じゃないの?」

「そこの駅で撮影あっから、今日は歩き」

「そっか、煉はモデルさんなんだよね」


 ハッと気がつけば、周囲には多数の女子の姿が。一緒に居るところを見られると面倒な事になりかねない。

 そう思い、湊はペコッと会釈をして駅へ駆け出した。煉は、声を掛ける間もなかった。


「ったく、どんだけ目立ちたくねぇんだよ」


 煉はぶつくさと文句を零しながら、湊の後をゆっくりと歩いて駅へ向かった。



 レッスンが終わり、メンバーと別れた湊のスマホが鳴る。まさかと思い、恐る恐る開く湊。予想通り、メッセージは煉からだった。


『飯行くぞ』


 湊は溜め息を吐き、煉へ電話をかける。


『なに』


 ワンコールめが鳴り終える前に出た煉。予想外の速さに、湊は一瞬言葉を躊躇う。


「あの··、ご飯なら昨日行ったよ」

『覚えてっけど?』

「え、じゃぁなんで? なんで連日──」

『お前こそ忘れてんじゃねぇの? 覚悟しろつっただろ』


 電話の先と重なって、背後から煉の声が聞こえた。湊はハッとして振り向く。


「近くの店予約してっから行くぞ」


 湊の返事も待たずに歩き出す煉。キョロキョロと周囲を見回す湊に、煉は呆れてこう言った。


「女どもなら撒いて来た。あんなん引き連れて来るわけねぇだろ」

「言い方····」

「なに?」

「ファンを“女ども”とか“あんなん”とか、酷いなって」


 湊は、ムスッと頬を膨らませる。それを見た煉は、試すような口調で湊へ問い掛ける。


「お前も陰では言ってんじゃねぇの?」

「そんなコト言わないよ! ファンは応援してくれる大切な存在だもん。煉だって····」

「俺だって··、何?」


 煉は立ち止まり、言い淀んだ湊の言葉を急かす。


「なんでもない」

「なんだよ。言えって」

「なんかやだ」


 顔を逸らして逃げようとする湊の腕を捕まえ、煉はグイッと引き寄せた。


「チッ····命令」

「なっ、····狡い」

「いいから言え」


 言葉を躊躇う湊。焦れったくなった煉は、湊の顎をクイッと持ち上げて圧をかける。


「早く言え。気になんだろうが」

「ふぇ····」


 涙目になった湊を見て、煉は再び小さな舌打ちを置いて手を離した。湊は、そっぽを向いた煉の背中に、ぽつりぽつりと言葉を落としてゆく。


「煉が、僕のファンだって、樹から聞いた。けど、僕のファンで男の人ってしかいないんだよ。煉がそうなのを確認しちゃったら、あのペンダントの意味、考えちゃって····僕、煉の顔見られなくなりそうで····」


 今にも零れ落ちそうな涙を、必死にこらえる湊。煉は、湊が言い終えるのを待って振り返った。


「バカじゃねぇの。俺が好きなのは蒼だつってんじゃん。ペンダントは蒼に贈ったんだから、お前が気にする必要ねぇだろ」


(そう··なんだけど、気になっちゃうんだから仕方ないじゃないか)


 俯く湊を見て、煉は怯えさせているかと思い口調を緩めて言葉を掛ける。


「お前には····湊には興味ねぇし。勘違いすんなつっただろ」

「でも、蒼は僕で、僕が蒼なんだよ?」

「お前は蒼じゃなくて湊なんだろ。ったく、自分で言ったんじゃねぇのかよ」

「そ、そうだけど····」

「だったら俺は、お前が言うファンの男じゃなくて煉だ。割り切って考えろ。お前は俺が求めた時だけ蒼になればいーんだよ」

「でも──」


 執拗い湊に、イラついた煉はヤケクソで言葉を返す。


「そうだよ。俺が“蒼玉そうぎょくの涙”だよ。ンっだよ、クッソ恥ずかしいから言わせんな」

「なんで怒るの!? て言うか、やっぱり煉が“涙さん”なんじゃない」


 整理のつかない気持ちと、意味の分からない煉の行動への困惑からだろう。抑えていたものが溢れるように、湊の目からぶわっと涙が零れ落ちる。


(一生俺だってバレねぇと思ったからカッコつけた名前にしたのに。本人にバレるとか最悪じゃねぇかよ····)


 煉が口篭りながら言った『蒼玉の涙』とは、秋紘の配信で蒼へ高額投げ銭をする為に作ったアカウントの名前。プレゼントを贈る時も、この名で送っている。

 つまりは、湊が『涙さん』と呼ぶのこと。それが自分であると、ついに明言した煉。思惑はひとつ、湊を納得させる為。

 それでも湊は、割り切るなんて無理だとごねる。


「あのさ、何がムリなんか分かんねぇんだけど。俺は今、湊と喋ってんの。俺は今、じゃねぇの。わーったらもうごちゃごちゃ言うなよ」


 勝手な事ばかり言いながら、煉は湊の涙を指で雑に拭った。


「つぅか泣くなよ。蒼泣かしてるみたいで嫌なんだけど」

「な、泣いてないもん」

「泣き虫のテンプレかよ」

「泣き虫じゃないもん!」

「はいはい。だったら泣きやめ。命令」


 煉は、いつになく優しい声で命令下す。

 耳に心地好い煉の声。湊は、袖で涙を拭いて顔を上げる。


「お腹空いた」

「お前、結構図々しいっつぅか図太いよな」


 呆れ顔で言う煉だが、湊にはうっすらと笑っているように見えた。



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