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第7話 条件

 レッスンを終え帰宅する湊。キッチンの惨状に、片付けられていない食卓を見て、愕然とし肩に掛けた荷物を落とした。

 湊は、これを恐れて樹と惟吹には料理をさせなかったのだ。


「なんで僕に相談もなく料理したの? それに、いきなりこんな難しいの作れるわけないでしょ。ねぇ、ホンットにバカなの?」


 行き当たりばったりで物事を進める樹と、ガサツで不器用な惟吹。そんな2人が作ろうと試みたのは、湊の好物であるカルボナーラだった。


 ハッとして、まさかと思いながら冷蔵庫を開ける湊。目に飛び込んだ光景に、わなわなと怒りが込み上げる。


「ねぇ、卵は? もしかして、1週間分の卵全部使ったの?」

「え、あー····ごめんなさい」

「明日献上させていただきます」


 素直に謝る惟吹と、弁償を約束する樹。散らかったキッチンに正座させられ、2人は滾々と説教を受けた。

 一頻り叱り終えた湊は、コンロに並ぶ2つのフライパン見て問う。


「これ、撹拌させなかったでしょ」

「カクハン····?」


 首を傾げる惟吹。あまり賢いほうではない惟吹は、レシピ動画を流し見しながら見よう見まねで作ってしまう。毎度失敗する大きな要因だ。


「させたよ、撹拌。なんか動画見てやったんだけどさ、意外に難しいんだね、カルボナーラって」


 開き直った態度で、料理の難易度を評定する樹。反省の色はまるでない。

 呆れる湊だが、2人がカルボナーラを選んだ理由を察し、これ以上は怒れなかった。


「これ、食べるからちゃんと盛り付けて持ってきてね。評価ダメ出ししてあげる」


 優しい湊。次に繋がるよう、ぽそぽそのカルボナーラを食べて、それぞれの改善点を教授した。


 湊は、手際よくキッチンと食卓を片付け、弟達の面倒を見てくれた樹にお礼と皮肉を言って見送る。樹は『次は美味いの食べさせてあげるからね』と言って帰っていった。

 部屋に戻った湊は、落ち込む惟吹を励ます。


「惟吹、火傷とかしてない?」

「してない」

「惟吹はガサツだからさ、包丁とか火使わせるの心配なんだよね」

「湊にぃのドジよりマシだし」

「あ、そんな事言うの? ほっぺツネるよ?」

「····やだ」

「だったら、減らず口叩いてないでお風呂入っといで。僕も課題終わらせたら入るから」


 そう言って立ち上がる湊。惟吹は、湊の服の裾を摘まんで引き止めた。


「湊にぃ、疲れて帰ってきたのにごめんな」

「言いたい事は全部言ったし、もう気にしなくていいよ。それに、気持ちは嬉しかったから癒された。ありがとね」


 湊は、柔らかい笑顔を見せて言う。それを見た惟吹は、ホッと胸を撫で下ろす。それと同時に、二度と同じ轍は踏まないと深く反省していた。



 翌朝、湊はいつも通り夕飯の支度をして家を出る。

 そして、学校に着くと、またも樹に『話がある』と呼び出された。何事かと、指定された空き教室へ急ぐ湊。


「樹····? 居ないの?」


 指示された教室に入るが、返事はなく電気もついていない。締め切られたカーテンの隙間から、うっすらと陽光が差しているだけ。

 そこに、ぼんやりと人影が見えた。逆光で顔は見えない。


「なんだ、居るなら返事してよ。電気もつけないでさ、ビックリしたじゃない。あ、卵なら帰りに樹ん家に寄るからいいよ。ねぇ、まさか持ってきてないよね?」


 湊は、ぼんやりとしか見えない人影を樹だと思い、歩み寄りながら話し掛ける。けれど、近づくにつれ、その人影が樹であるのか疑わしく思えてきた。


「····樹··だよね? ね、返事してよ」


 それでも返事はない。湊は歩みを止め、警戒態勢に入る。


「お前、樹相手だとンな喋んのな」


 聞き覚えのある声。湊の警戒心が強まる。

 立ち止まった湊に近づいてくる人影。細い陽の光に照らされたのは、樹ではなく煉だった。


「つ、月宮くん····。なんで? 樹は?」

「来ねぇよ。俺が樹に頼んでお前呼び出してもらったの」

「えっ··、樹が?」

「お前、樹と幼馴染なんだってな。アイツ、アホだからカマかけたらポロッと言いやがんの。んで、昨日のアイツがチャリに乗っけてた“宝物”っつぅの、詮索しない代わりに言うこと聞かせたってわけ」


(けどアレ、多分コイツなんだろうな。こんなチビ、うちの学校にそう居ねぇだろ。チッ····宝物ってどういう関係なんだよ)


 樹の裏切りを聞き、絶望感に打ちひしがれる湊。瞬きも忘れ、落とした視線が煉の足元を捉える。

 一歩ずつ近づいてくる煉。湊はハッとして後退る。


「こ、来ないでください」

「なにビビってんの?」

「ビビってなんか··ないです」

「あっそ。ンじゃ──」


 煉は、逃がさないよう湊の片手を捕まえ、力強く握った。


「··っ」

「今日はちゃんと説明してもらうからな。ペンダントと、お前の正体について」


 窮地に陥った湊。たっぷりと涙を溜めた目で煉を見上げる。


「その鬱陶しい前髪、上げねぇと切るぞ」


 そう脅され、空いている手でおずおずと髪を持ち上げる。


「なんで泣いてんの?」

「泣いてない、です」


 高圧的な煉に、泣いている事も責められていると思った湊。ポロッと涙を落としながら、怖々と嘘を吐いた。


「そうやって嘘ばっか吐くんだな」


 イケメンの真顔は怖いとはよく言ったもので、煉も例外ではなかった。湊をジッと見つめる煉は無表情で、件の真偽を探ろうとする鋭い視線が刺さる。

 湊は嘘を吐く心苦しさに苛まれ、何も言い返せずにいた。


「お前、サルバテラの蒼なんだろ?」


 煉は、いきなり核心を突いてくる。湊は口を噤んだまま、ふいっと視線を逸らす。


「否定しねぇって事は認めてんのと同じだぞ」

「······そうだって言ったら、バラすんですか?」

「は?」

「アルバイトも芸能活動も、校則違反なのは分かってます。だから、バレないように、必死に隠してやってきたのに····」


 ポロポロと零れる涙。湊は、込み上げる様々な感情に呑まれ、溢れてくる涙を止められなかった。


「バラさねぇよ」

「······え?」


 湊はバッと顔を上げ、煉の言葉の意図を理解しようと試みる。けれど、さっぱり分からない。


「な、んで?」


 キョトンとした顔で聞く湊に、煉はにやっと悪い笑みを浮かべて返す。


「条件、お前が呑んだらバラさねぇでいてやる」

「条··件····、呑む! どんな条件でも呑みます! だから、バラさないでください」

「はぁ····マジでお前が蒼なのかよ。クソッ! 詳しい事は今度あらいざらい吐かせっからな!」


 涙の引っ込んだ湊は、条件を呑む約束をしてしまった。これが、2人の関係を大きく変えてゆくとも知らずに。


 湊に“俺の言うことを聞く”という、暴君丸出しの条件を突きつける煉。湊は危うさを感じながらも、拒否することなどできなかった。

 そして、煉は手始めに1つ目の命令を下す。


「まず、俺と居る時は前髪上げてろ」

「····それだけ?」

「ンっなわけねぇだろ! “まず”つっただろうが。ったく、頭お花畑かよ」


 煉の怒声に、湊はギュッと目を固く瞑って怯える。


「なぁ、お前こんな条件呑んでまでアイドルやりてぇの? 何、モテてぇとかの?」

「そんなんじゃないです。アイドルは“僕ができる事”だっただけで····」

「ンだよそれ。やりたくてやってんじゃねぇの?」


 湊の手を離し、近くにあった椅子へドカッと腰を下ろした煉は、不機嫌そうに言葉をぶつける。湊は、怯えながらも真摯に答えを返す。


「初めは、アイドルなんてよく分かんなくて、勧められるままオーディションを受けてみたんです」

「で、あっさり受かったわけだ。まぁ、その顔なら受かるだろ」


 しれっと湊の顔を褒める煉。けれど、話すのに一生懸命な湊はそれに気づかず話を続ける。


「最初は人前に立つなんてって思ってたけど、ファンの人達に応援してもらえるのが嬉しくなってきて、歌もダンスもやってみたら凄く楽しくて、気がついたらアイドルとしていける所までいきたいって思うようになってたんです」

「ふーん、あっそ····。で、身バレしないようにキャラ違うのは分かったけど、そんじゃどっちがお前なの?」


 煉は机に肘をつき、気怠そうに顎を支えて質問を投げる。


「どっち··が····。どっちも自分な気がしてて、時々自分でも分からなくなってて····」

「何それ。意味分かんねぇ」


 煉の冷たい言葉に、いちいち身を強ばらせる湊。また込み上げてくる涙を、懸命に堪えて話し始めるのだった。


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