約束の時間になっても訪ねてこない、尚弥と秋紘。大抵は寝坊だ。平和主義で温厚な湊ですら、2人の緩さには苛立ちを見せる。
それというのも、湊は綾斗と2人きりになると、途端に緊張してしまうからだった。
湊の目から見ると、綾斗はいつだって完璧な存在。尊敬と畏怖はいつも隣り合わせで、だから、湊は綾斗と2人きりになる事をどことなく避けていた。
湊のそれを、日頃から薄々感じていた綾斗。緊張を解そうと、くだらない話をしてみるも効果は見込めず。結局、寝坊助の2人を待っている時間が勿体ないからと、勉強会は2人きりで幕を開けた。
勉強を始めれば、緊張などどこへやらで集中する湊。1時間遅れで尚弥と秋紘が来るまでに、殆どやり終えてしまった。
尚弥が綾斗に教えてもらっている間、湊は秋紘に絡まれる。
「なー、昨日もアイツ来てたじゃん? ほら、
「はぁ····。秋紘さん、何度も言ってるけど、ファンの方を太客だなんて呼び方しちゃダメだよ」
「なんでさ、皆言ってんじゃん? 社長なんか『大口なんだから絶対逃がしちゃダメ!』って息巻いてたし」
湊たちが所属する芸能事務所『フロース』の社長は、ワンマン経営で良くない噂も多い。けれど、社長が悪い人間ではないことを、湊たちは身をもって知っている。
ただ少し、ほんの少しだけ、金にガメツイだけなのだ。
サルバテラのメンバーには、それぞれ1人以上の太客がついている。なので、社長が事務所の稼ぎ頭として特に注力しているわけだ。
中でも、
だからと言って、湊の取り分が増えるわけではない。
社長が、ファンをカモとして見ている事は周知の事実。湊と綾斗は、それに影響を受ける秋紘がファンに対して口悪く扱うのを、心良く思っていなかった。
初めこそ注意していた綾斗と、蔑むような目で見ていた尚弥だが、呆れて徐々に相手をしなくなっていった。けれど、湊だけは今でも口酸っぱく注意を続ける。
真面目な性格の湊だから、ファンを大切にしなければと考えているのだ。そこに、本心が絡むかどうかは、湊のみぞ知るところである。
「裏でそういうこと言ってると、自然と態度に滲み出ちゃうんだよ」
「相変わらず、湊は真面目くんだねぇ。でもさ、おひねりも多いし、やっぱ他より愛想振り撒いといて損は無いでしょ」
「おひねりって····。僕は、あの人も他のファンの人達の同じだと思ってるから、特別扱いはしたくないな」
綾斗と尚弥は、湊の意見に賛同する。秋紘はと言えば、社長寄りの考え方なので、あからさまに不満そうな態度を見せた。
「はーいはい。オレ、マジでそれ分かんないわ。自分のコトちやほやしてくれる人だよ? 特別扱いしたほうが絶対得じゃん」
「秋紘くんは、そういうキャラでも嫌味にならないのがいいんだよね。僕には難しいや····」
秋紘は、配信で投げ銭をしてくれるファンに対して、過剰なファンサを返すことで有名だ。けれど、そういうキャラだと認識されている為、媚びているとも思われない。秋紘の
その恩恵が自分にもあるので、強くは否定できない湊。と言うのも、配信に呼ばれた際、湊へ投げられた分は丸々湊の取り分として渡されるからだ。
湊の家庭事情を知って、秋紘なりのやり方でサポートをしているつもりらしい。
「つぅか昨日さ、アイツ湊のコトめっちゃ見てなかった?」
「いつもの事でしょ。あの人、いーっつも湊しか見てないじゃん」
即答する尚弥に、秋紘は反論する。
「昨日のはいつもと違ったのぉ! なんつぅかさ、こう····
身バレを最も恐れる湊は、秋紘の言葉に身を強ばらせた。思い当たる節はたったひとつ。
昨日、ライブ会場へ向かう前の事、湊は珍しくヘマをしていた。
(まさか、あの人が僕を、『サルバテラ』を知ってるわけないよね。····大丈夫、バレたりしてないはず。きっと、大丈夫····)
けれど、湊は心配を掛けまいと、秋紘の思い過ごしだと言って苦笑いで誤魔化した。
試験終了日の昨日、苦手な数学を除いて手応えは上々。けれど、気を抜いてはいられなかった。
ホームルームが長引いた所為で、ライブ前に行うミーティングの時間が迫っている。終わるや否や、荷物を抱え急いで教室を飛び出す湊。
階段を駆け下り、廊下へと曲がった時だった。出会い頭に、湊は人とぶつかり弾き飛ばされた。
「んわぁっ!」
「うおっ····」
ぶつかった拍子に、湊は抱えてたリュックを落としてしまった。ファスナーを閉め忘れていたリュックからは、ライブで着用する衣装がこぼれ落ちる。慌てて拾い、手早くリュックに詰め込む湊。
その様子をポカンと見る、金髪のイケメン。彼は、湊が通う私立月宮学園の理事長の息子・
178cmの高身長に、程よい筋肉質な身体つき。整った顔立ちで、王子と呼ばれるに相応しい出で立ちをしている。噂が飛び交うのも頷ける見てくれだ。
湊の隣のクラスで、派手な噂が耐えない御曹司。兄と姉がいて、父親からは然程期待されていない、自由気ままなワガママ王子。周囲からはそんな印象を持たれている。本人はそれを知りつつも、他人事の様に気にしていない。
そんな彼にも、秘密にしておきたい裏の顔はある。
焦って衣装をリュックに詰める湊を、訝しげな顔で見下ろす煉。そして、ある事に気づく。
湊の首からぶら下がる、青い小さな星型の石が輝くペンダント。それは、確かに自分が
煉は、目を丸くして湊に声を掛ける。
「お、おい。お前それ──」
「すすす、すみませんでした! 僕、急いでるので!」
煉の言葉を遮り、湊は一度も顔を上げる事なくその場から走り去った。背後に迫る手になど、気づくことなく。
煉は、慌てて振り向いたが、湊の肩を掴み損ね逃がしてしまった。動揺して足が動かない。ただ呆然と、煉は湊の背中を見送った。
煉が動揺した理由。それはまさに、煉の裏の顔を暴くものだった。
家族さえ知らない、誰にも知られざる煉の秘密とは、サルバテラの重客だという事。最推しは勿論、星空蒼。
ライブの時には必ずサルバテラ宛ての物と、それとは別に蒼へ、一等大きなフラワースタンドを贈る。そして、蒼へのプレゼントは毎回欠かさない。
初めてのライブで一目惚れし、2回目のライブの時に贈ったペンダント。蒼を想い、蒼をイメージした特注の物だ。星型の石はサファイアで、湊は知るはずもないが相当高価な物である。
それを見知らぬ生徒が着けていた。煉は、見間違いだと自分を疑ったが、何度思い返しても疑いようがなかった。
見間違うはずがないのだ。世界でたったひとつしかない、自分がデザインした物なのだから。
心ここに在らずといった様子で、今日もサルバテラのライブ会場へと足を踏み入れる煉。いつも以上に、蒼へ目が向く。
ライブ後の交流会でも、蒼をまじまじと観察した。
声は似ているように思う。けれど、どうしてもあのぶつかった生徒と容姿が繋がらない。
煉は、何一つ糸口を見つけられないまま、会場を後にし帰宅した。
20畳はあろうかという広い自室で、ベッドに寝転がる煉。落ち着かない様子でゴロゴロと転がる。
サイドチェストに飾ってある、先程会場で撮ったチェキを眺め、煉は大きな溜め息を吐いた。そして、ブツブツと独り言を漏らす。
「まさか····いや、どう見ても同一人物じゃなかったよな。····っくそ! なんであんなモサ男が蒼のペンダントを····」
煉は纏まらない考えを手放し、眠りについた。煉が、明日から