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8話 君の想いに触れたのは(8)

「いや、クナル嫌だ」

「嫌だってわりに、いい声上げただろ」


 低く言われて恥ずかしいが、俺だって言い分がある。


「驚いたんだよ!」

「はっ、どうだか」


 言いながら彼の唇は更に滑っていく。手が服の上から体を確かめるように触れ、唇は首元……喉仏の辺りに触れる。


「あ……あっ……」


 怖い。でも、体に走る感じは甘く痺れる。背筋が震えてしまう。止めてほしいのに強く抵抗できない。


「嫌だ……どうして、こんな事するんだよ。俺、嫌われたのか?」


 背中を叩いて、服を引いて抵抗して、泣きながら訴えた。

 そんな俺を見下ろしたクナルは苦しそうな顔をしている。薄青い目が苛立ちと熱を溜め込んでいる。


「あいつの臭いがするのが気にくわない!」

「臭い……?」


 俺には分からない。でも獣人は臭いに敏感らしい。

 それがこんなにもクナルを苛立たせるの?


「ごめん……ごめん、俺……」

「っ! あんたが悪いんじゃない。俺が……そもそも俺がヘマをしたからこんな……クソ!」


 苦しそうにするクナルは理性が戻ってきた感じがした。そうしたら怖さが少し薄れて、その分申し訳ない気持ちが出てくる。腕を伸ばして頭を撫でたら驚かれて、次には思い切り脱力されて俺の胸にポスンと落ちてきた。


「勘弁しろよ、あんた。本当になんなんだよ」


 落ち着いた、のか?

 俺の胸の上に倒れ込んで頭を乗せているクナルからさっきほどの強い怒気は感じられない。けれど尻尾は未だに不満を表していて、荒っぽくバシンバシン布団を叩いている。


「クナル?」

「……あんたを、他の誰にも取られたくない」

「え?」


 それは、どういう?


 動きの止まった俺を見るクナルがスッと近づいて、俺の唇を舐めた。俺はそれに驚いて固まって、思考まで止まった。


「あんたが好きだ。他の誰にも触らせたくない。他人の臭いつけるなよ。嫉妬で狂いそうになる」

「え? え!」


 好き? 嫉妬!


 急に与えられた言葉に脳が追いつかない。パニックになってオロオロする。

 でも不思議と心の方は素直にこの言葉を受け取っている。事実、俺の心臓はドキドキした。これを素直に「嬉しい」と思っている気がする。


 クナルは寂しそうに、でも分かってたみたいに微笑んで俺の頬に触れた。


「自覚しろよ、あんた。俺はこれでも少し前から意識して触れてたんだぜ」

「いや、でも!」


 俺は、この好意に返せる自信なんてない。

 おっさんだし、見た目普通だし、これといった光る部分もない平凡な奴で、この年まで恋愛なんてした事がない。好きなんて言われた事がない。特別な感情なんて、どう受け止めていいか分からない。


 手が頬に触れて、耳元にまで指先が触れる。耳たぶの裏側とか、くすぐったいのに癖になる。俺の体は明らかに火照っていて、目を合わせている今も恥ずかしいのに外せなくて。


「なんだよその目。クソ可愛い」

「そんな目してっ」

「俺にはそう見えるんだよ。潤んだ目で見上げて、呆けて口半開きだっての」


 そんなの自覚ない!


 クナルの指の一つ一つが触れる場所に意識がいく。真っ直ぐに見下ろして、落ちてくる唇が重なった。


「んっ……ぅ」


 柔らかく触れられるだけで頭の中が浮いて、嬉しいって気持ちが溢れてくる。やんわりと舌が唇に触れて、くすぐったくて開いたらそこから入ってきて俺の舌に触れた。それが気持ちよくておかしくなりそう。脳みそ、溶けそう。


 気づいたら離れていて、涙で霞んだ世界にクナルだけがいて、真剣に俺を見ている。

 真剣、なんだ。本気で俺の事が好きだって、言ってくれているんだ。


「俺……は」


 俺はクナルの事、どう思っているんだろう。好きは間違いないけれど、どんな好きかを考えていなかった。

 でも今のキスも、触れられた感じも嫌いじゃない。少し怖いけれど……でも、強く望まれたらきっと拒まないくらいには平気だ。


「クナル、俺……」


 俺も、クナルの事が好きなんじゃないかな?


「……答え、焦らなくてもいいぞ」

「え?」

「今、焦って何か答え出そうとしてるだろ」


 そう、なのかな?


 でも確かに今は正常な判断が出来ている感じがしない。

 それでも確かに受け取った思いもあって、それに応えたい気持ちもあって、気づいたものもあるんだけれど。


「悩んでくれ、マサ。その上で俺を選んでくれよ。その時には覚悟もしとけな」

「覚悟?」

「番になる事を前提にしとけってことだよ」


 番……結婚!


 パッと思考が明確に戻ってきて目を見開いたら、途端にクナルは目を丸くして、おかしそうに噴き出した。


「そこで正気に戻るのかよ」

「いや、だって結婚だよ! え? 俺クナルと結婚するの!」

「いや、それ俺が聞きたいわ」

「俺も聞きたいよ!」


 あれ、俺流されてた? あのまま流されてたら俺結婚してた? 今結納くらいまで進んでた?


 おかしそうに声を上げて笑うクナルが俺の頭をクシャクシャッと撫でる。その顔はちょっとだけ残念そうだ。


「正気のあんたの答えを待つからな。あと、無防備にしてまた変な奴に襲われそうになったら今度こそブチ犯す」

「それは勘弁してよ!」


 空気はすっかりいつも通りに戻って……でも、俺の中に残った思いとかはちゃんと胸の中にあって温かく脈打っている。

 俺はこれから、この思いを大事に育ててみようと思うんだ。臆病で自信のない俺だから、大丈夫って強く思えるまで。


 それまでもう少しだけ待っててよ、クナル。俺も、後悔なんてしたくないから。


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