「まっ、待ってシルヴォ! これは違う! ダメだって!」
「どうして? 僕じゃ不足かな?」
「不足とかそういうのじゃなくて! こういうことは好きな人とじゃないとダメなんだ!」
そう、俺が思っているんだよ。
焦る俺を見下ろすオレンジの瞳から、ポトッと何が落ちる。それは一筋流れた彼の涙で、彼の良心の全部のように思えた。
「お子様みたいな事を言うんだね、マサ殿。別にさ、たった一回の既成事実に感情なんていらないよ。流石にこんな事が広まれば王都から人がくる。そこで僕はありのままを告白するんだ。母の指示だった。全ては母の仕業で、領の運営費も着服してるって」
「そんな犯罪、今すぐ!」
「訴える相手がいないんだよ!」
叩きつける感情の大きさに閉口する。これはずっと彼が溜め込んできた思いで、ストレスで、吐き出す場の無かった苦しさだ。
「もうね、道連れなんだ。その為に協力してよ、マサ殿。僕を助けて? 別に感情なんていらない。酷い男だって罵ってくれたほうがいっそ清々しい。醜いでしょ? 母一人止められず、言いなりになっていた木偶だもん。歪で、醜くて、なのにまだ何処かで救われたいって……愛されたいって思っている愚かな奴なんだよ」
歪に笑う、その気持ちが血のような涙を流しているんだと思う。
これは違う。これは間違いだって明確に思う。けれど俺はシルヴォの存在まで否定できない。今一番苦しんでいるのは彼だって思えるから……そんな彼も助けてあげたいと、思えてしまうから。
唇が改めて俺の首筋に触れて、赤い跡を残す。初めて感じる近い他人の体温に焦ってしまう。その唇が鎖骨の辺りに触れて、手は夜着の裾から中へと入ってくる。巻頭着に楽なズボンとガウンを羽織っただけの格好なんだからこういうことも簡単なんだ。
「待って……まっ……っ!」
力が強い。俺みたいなヒョロガリじゃ獣人のシルヴォをどかす事なんてできない。細くても無理なんだ。
そのまま手が俺の腹を撫でて、体に触れながら上がってくる。めくれ上がっていく服と、夜の空気に晒される肌。
熱っぽいシルヴォの表情を見て、俺は明確に犯されるんだって感じた。
「い……やだ」
震えた声が唇から溢れた。拒絶の心が俺の中で荒れ狂った。そうしたら、どうしようもなく辛くなった。
「いや……嫌だ! やっ……やめて! 嫌だ!」
助けて……助けてクナル……嫌だ!
心の中で叫んで、体を暴れさせる俺をシルヴォが押さえつけようとする。それにも俺は必死に抵抗した。彼の置かれた環境には同情するし、現状だって酷いとは思う。けれどそれを理由に大人しくされるなんて無理だ。俺は……それに耐えられない。
その時、バンッとドアを蹴破るような大きな音がした。
俺も、シルヴォも動きが止まってそちらを見た。廊下の明かりが差し込む入口に複数の人がいる。その中にはアントニーと……。
「あ……」
歯を食いしばり、手を握り、怒りに目を光らせるクナルがいた。
クナルがいる。出てこられたんだと安堵して涙が出た。
けれど次に彼が取った行動は、俺を更にパニックにした。
床にめり込みそうな程に踏ん張った彼の初速は目が追いつかないものだった。そして気づいた時には俺の上からシルヴォは消えていて、壁際に叩きつけられていた。
「ガッ」
短く苦しそうな声を上げたシルヴォをクナルは容赦なく鷲掴みにして更に床に叩きつける。元々の体格差とか筋肉の感じが違いすぎる二人だ、どうしたってクナルが強い。
その怒り任せの拳が振り上げられるのを見て、俺は咄嗟にベッドから下りてクナルの腕にしがみついた。
「待ってクナル!」
嫌だ、見たくない。そんな力でシルヴォを殴ったら大怪我をさせる。場合とかによっては死ぬかもしれない。それを黙って見ていたくない。
けれどクナルは怒気の収まらない目を俺に向けた。
「どうして止める!」
「死んじゃうから!」
「殺してやる!」
「ダメだよ!」
された事を許す事はしたくない。でも彼の気持ちとか、置かれた状況とか、そういうものも知ってしまったんだ。同情だってするだろう! そんな冷酷になんてなれないんだ。俺は……生っちょろい人間なんだよ。
「嫌だよ……クナルが誰かを殺すの見たくない……」
無抵抗の相手を一方的に感情任せに殺すのは違うと思うんだよ。
止める俺を見て、クナルは一層苛立った顔をする。そしてその勢いのまま俺の腕を強く掴むと、強引に引っ張って歩き出した。
「ちょっ、クナル!」
何処に行くのか分からない不安。足がもつれそうになっても彼は止まらない。何よりあの現場をあのまま放置してきた。どうするんだよ!
でもクナルは凄く怒っていて、俺は凄く怖くて……何故か悲しくてたまらない。
そうして彼が連れて来たのは俺が滞在している部屋だ。乱暴にドアを開けてズカズカ入って俺をベッドに投げ捨てるようにする。
それに逆らえる訳もなくドサリとベッドに投げ出された俺の上に、クナルはギラギラした目をしてのしかかった。
「クナ、ル?」
何をそんなに怒っているの?
分からない。でもこんな乱暴な扱い受けた事がない。混乱が悲しみを増長させている。なのに相手は何も言ってくれない。
彼は苛立った目のまま俺の首筋に顔を埋めた。
「んっ!」
ビクンと震えが走り、腰骨の辺りに響いた。ヌルリとした舌が首筋の薄い皮膚の所を舐めて吸い付く。ゾワッとして……でも悲しくて涙が出た。