ロイが復活して、殿下が表舞台に戻った。これは意外と大きな事だったらしい。それというのも貴族派にとって殿下が一番厄介な相手だったそうだ。
一時的に彼が表から消えた事で再び貴族優位の政策や方針を打ち出していた人達は頭打ちにされ、貴族だからと好き放題を始めていた第一騎士団は処罰を受けた。
そして第一騎士団を統括していた第二王子スティーブンはその能力を疑われ、指揮権を一時的に奪われたそうだ。
ロイ暗殺未遂の犯人も術者討伐の翌日には捕まっていたらしい。
それっていうのも俺の方までそんな話は当然流れないわけで、無事に宿舎に戻ってきて知ったのだ。
相手は侯爵家だったらしい。そこのご令嬢が殿下の事が好きで、ロイを煙たく思った末に父親に相談。父親も自分の子が王妃となれば旨味があるために術者と接触し、両名の怪我を好機とみてメイドを買収してロイの血の付いた服を手に入れたという。
侯爵家は取り潰し。残された婦人と弟は平民まで落とされ、家財は没収。そしてこれを指示した令嬢と侯爵本人は死罪となるそうだ。
これを持って一応はこの騒動もおしまい。という事で、デレクから全部が片付いたタイミングで俺は説明を受けた。
§
宿舎に戻って2日が過ぎたこの日、昼時を過ぎた頃に来客があり、俺はその人を笑顔で出迎えた。
「ロイさん、お元気そうで何よりです」
「ふふっ、マサさんも元気そうで安心しました。ところで……グエンはいつまで泣いているのですか?」
呆れ顔のロイの前でグエンが男泣きしている。大きな体を震わせ、小さな目からは滝のような涙を流しているのだが……大丈夫かな?
「お前! お前が死ぬって聞かされてきたんだぞぉぉぉぉ」
「心配をかけてしまいましたね。でもとりあえずは大丈夫ですよ」
「よがっだなぁぁ」
袖をまくった逞しい腕はぐしょぐしょに濡れている。どうにも心配性らしい人に苦笑しつつも、その心は温かくて俺は笑って背中を叩いたりしている。
今日は仕事の用事ではないというので、グエンを少し落ち着けてから食堂に向かい、お茶とお茶菓子を出している。
その合間、ロイは辺りをポカンと見ていた。
「どうぞ」
「あぁ、ありがとう。本当に綺麗になっているのですね」
「普通に掃除しているだけですよ?」
「そう、なのですか?」
毎日ちゃんと掃除をすればそこを通り抜ける風だって綺麗になる。毎朝掃き掃除をして水拭きをして窓を開けて風を通す。これだけで違うものだ。
「いんや、マサの掃除は丁寧だぜ。ある程度の奴等がマサと組んで掃除したり洗濯したりを経験したが、どいつもこいつも『こんな丁寧に掃除した事ない』って言ってたからな」
「俺からすると、むしろ普段何してたの? って感じだけれど」
これ、本当に皆言うんだよな。俺の方が呆れてしまうんだ。
でも実際、ほとんどの団員と一緒に掃除をしたりして、やり方を教えた。それと同時に俺の方でも得意な仕事、苦手な仕事がそれぞれある事を確認した。
体の大きな草食系の獣人達は力が強い。けれど動きはあまり素早くない。
小柄な肉食系の獣人は素早いけれど少し大雑把な傾向がある。
雑食系は魔法にしても何にしても器用な人が多くて、でも作業をちょろまかしたりもする。
今度からは俺の方でも組み合わせを考えてみたいと、当番を決めるクナルとデレクに相談した。
「ところでロイ、お前さん今日は何しに来たんだ? 殿下はいいのかよ?」
グエンの問いかけに俺も頷く。今はお昼時を過ぎたくらいで、クナルを含め仕事の時間。厨房係は遅めの昼休憩という感じだ。
これにロイはちょっと寂しげに微笑んで頷いている。その物憂げな表情から、なんとなく納得はしていないのかな? という空気は感じ取った。
「今は会議の時間なので、2時間程度ですが暇があるのです。それで、マサさんに以前お願いしていた事を改めて頼みに参りました」
「会議にお前さんは付かなくていいのか?」
「付いていたいとは、思うのですがね。なんだかんだと外されてしまうのです」
この理由を、俺はこっそりクナルから聞いている。
どうやら殿下は裏表のある人のようで、クナル曰く「ロイには表の顔だけ見せたい」らしいのだ。
好きな人に見せたくない顔がある、というのは分かるかもしれない。でも二人の関係はとても密だから、隠すと余計に拗れるんじゃないかと思うのだけれど……当人達の問題に俺みたいな恋愛のれの字も知らない奴が首を突っ込んでもいい事はないと思い口を噤む事にする。
グエンもこれは何となく察したのか言わない様子だ。
だがこれについてはロイの方が一枚上手だった。
「まぁ、何となく察しております。きっと僕に隠し事があるのですよ。しかも、本人にとってはとびきり悪い事を隠しているのです」
「え?」
「昔からなんですよ。僕に怒られるような隠し事をしている時はやたらと『大丈夫』って言うんです。あと、凄く優しくなるんですよ」
「あ……」
「まったく、見くびってもらっては困ります。これでもあの方がまだまともに話せない頃から面倒を見てきたのです。そのくらい、分かりますよ」
少しプリプリしたポーズで言うロイを前に、俺とグエンは顔を見合わせ苦笑した。これはもう、殿下は敵わないなって思って。
ロイもこれはポーズだけで、本気で怒っているわけじゃないと思う。なんだかんだで甘いのだろう。
それに、ちょっと分かるんだ。俺も星那の隠し事は何となく分かる。何を隠しているかは分からないけれど、隠し事をしているという事実は分かるんだ。きっとそれに近い。
「まぁ、今は騙されてあげます。そのうち隠しきれなくなるでしょうし、その時にはお説教ですね」
「あはは、お手柔らかに」
これを殿下が聞いたらどんな顔をするのか。ちょっと見てみたい気がする。
「それで、俺に用事っていうのは」
「あぁ、はい。実はこうして余してしまう時間があるので、マサさんの都合が良ければ料理を教えていただければと。できれば、甘い物が」
「あぁ!」
言ってたね、確かに!
まだロイが体調を崩していた時にそんな話をした。
「別に、お前さんが料理しなくてもいいだろ?」
「確かに奥院で食事に困る事はないのですが……僕の作った物を、食べさせてみたいなと思ったのです」
恥ずかしそうに少し俯いて、ちょっと居心地悪そうに指を遊ばせている。心なしか褐色の肌がほんのりと色づいているのを見て、凄く綺麗で可愛いなって思ってしまった。
恋をしているって、こういう事なんだろうなって思ってしまった。
「殿下は甘い物が好きなんですか?」
「はい。沢山は召し上がりませんが、お茶の時に少し。ケーキなどではなく、素朴な焼き菓子などが好きですね。後は果物が」
「あまり時間を掛けずに焼ける焼き菓子か……うん」
それなら手を貸せると思う。
時計を見てもまだ余裕がある。俺は立ち上がって、ロイに手を差し伸べた。
「今から作りませんか?」
「え! 今からですか? そんな急に」
「大丈夫! 後日レシピもお渡ししますね」
「あの、でも教えて頂く際のお代などが」
「そういうの今度でいいんで」
「えぇぇ!」
慌てるロイの手を引き、グエンも楽しげに笑って一緒に厨房へ。何を作ろうかと考えたけれど、一番材料が簡単で揃えやすいものにしよう。