『ピュリフィケーション!』
「!」
悲鳴を上げていた星那が必死になって浄化魔法をかけている。靄は薄くなったけれど完全じゃない。その間にもロイは顔色を失って、徐々に胸元を握る力も弱まっている。
このままじゃ、殺される。
思うのに手が出ない。怖い。パニックにもなりそうで、俺に何ができるんだって思う。
そんな自分が、嫌いなのに。
―できますよ。
不意に、どこからか声が聞こえた。優しくて明るい女性の声が凄く近くでしたんだ。
「もぉ! 届かない!」
「くそ! しっかりしろ、ロイ!」
「っ!」
出来る? 本当に、俺で何か出来るのか?
考えろ。殿下達は見えないのが厄介だって言っていた。それなら見えればいいのか?
でも、見えても実体がなかったら俺達にどうしろって? 逃げられたらまた同じなのに?
それなら、見えて触れればどうなんだろう。
「ロイ!」
苦しそうに咳き込んで、口元が真っ赤になったのを見て俺は必死に手を伸ばした。胸に埋まっている蛇の体を力一杯掴んで、引っ張った。
「マサ!」
「は……なれろぉぉぉ!」
手に感触がある。少し冷たくて、ツルツルした感じ。直径が10センチはありそうな黒々とした蛇が徐々にはっきりして見えてくる。
「な!」
「んぎゃぁぁ!」
星那が悲鳴を上げ、クナルは目に見えているものが信じられない顔をする。真っ黒な蛇がロイの胸に食いついているんだから。
「ぐっ!」
「実体になったのか? それなら」
クナルの周囲が僅かに青白い光に包まれて、室温がドンドン下がっていく。夏の暑さを感じる季節を無視して室内のカーペットには霜が降りた。
『アイスフィールド!』
凍えるような空気が室内の壁やカーテンを凍り付かせ、天井からは氷柱が下がる。
震える冷気に俺も手がかじかんだ。だが蛇精は実体化した事でこの冷気を感じているのか動きが明らかに悪くなっている。そこに星那が手を添えた。
『ピュリフィケーション!』
金色の光が胸元を大きく覆い、蛇精は逃げるように蠢く。俺は掴んでいる胴体をもう一度掴み直して力一杯後ろへと引いた。
「んぅぅぅぅ!」
少し抜けてきた。でもまだ力が足りない。
その俺の手元にもう一組手が添えられる。振り向いたら後ろから腕を回したクナルが頷いてくれた。
「せーの!」
かけ声と共に後ろへと引く。ずるずる抜けてくる蛇精をもう少しと引きずり出していく。
「も……出てけ!」
力一杯叫びながら引っ張った時だ。ズルンと大きく動いたそれが頭を完全に出した。けれど後ろに倒れるくらい引いていた俺はその瞬間に後ろに尻餅をつき、蛇精は手からスルンと抜けて更に後ろの壁まで吹っ飛んでいく。
ベチンッと音がしそうなくらい叩きつけられた蛇精はそれでも逃げようとモゾモゾ動いているが、それより先にクナルが動いた。
『アイシクル』
蛇精に向かい手を前にするとそこから氷の刃が現れて蛇精を貫き、当たった所から更に全身を凍らせていく。あっという間に蛇を内包した氷の塊が出来てしまった。
室内が暖かさを取り戻していく。
俺はハッとしてベッドの上に倒れたままのロイに駆け寄った。
「ロイさん!」
「お兄ぃ下がって! 『ヒール!』」
癒やしの光がロイを包んでいくと徐々に顔色がよくなって、呼吸も安定していく。規則正しく胸が上下しているのを確認して、俺は星那と顔を見合わせ抱き合って「よかったぁぁ」と半泣きになった。
「ちっとも良くねーぞ、これ。なんて説明すんだよ」
クナルは氷漬けになった蛇精を見て難しい顔をしながら、それでも一応剣で頭を切り落とした。それでも消えないのを見て、耳と尻尾がへにゃんとした。
「実体のない精霊だぞ? 視認すら当人の意志がないと無理だってのに、無理矢理見えるようにさせて、更に実体化だと? 無茶苦茶する」
「あ……はは」
「なんて説明すんだよ、この非常識」
頭を抱えた人に近付いて、肩をポンポンして。
でもひとまずは大丈夫だって思えるからほわっと笑ったら、クナルはもう一度溜息をついた後で笑って、俺の頭をクシャクシャッと撫でた。
「頑張ったな、マサ」
「! うん!」
俺でも、一つできたよ。もう誰かが悲しい声で泣かないように、俺も何かを守れたよ。
それが凄く、誇らしいんだ。
▼ルートヴィヒ
術者が潜んでいたのは城から半日ほどの所にある遺跡の中だった。
古い神殿跡地はまだその原型を留め、室内も安定している。
その奥へと入り、地下へと降りて行くと幾つか部屋がある。調査した時、ここはただの廃墟だと報告されたが、その後にドブネズミが住み着いたようだ。
ユリシーズが幻惑の魔法をかけ、音を消す。扉を開けるとそこには黒いローブを着た一人の男がいて、その奥には二つの祭器があった。
「おや、侵入者が来ようとは驚きです。どうしてここが?」
「知る必要はない」
振り向いてもその素顔は目深に被ったフードで見えない。だが口元がいやらしい形を浮かべた。
「残念ですな、王太子殿下。貴方の側近は今頃苦しみもがいて死んでいるでしょう」
「っ!」
「先程魔力をありったけ注いだ所でしてね。此方としてはもう少し楽しみたかったのですが」
その言葉に、全身から温もりというものが消えて行く感覚だった。
あの場にはセナとトモマサを置いてきた。聖女と、それをも超える未知の力を持つ彼ならば耐えてくれると信じて。
だが、絶対ではない。もしかしたら本当に、為す術もなくロイは苦しみ死んでいるかもしれない。もしそうだとしても、二人を責める事はできない。
殺してやる。
心の奥底で叫ぶ声が、純然たる憎悪が肥大化していくのを感じる。これをロイに見せるのが嫌で遠ざける事も多いのだが、ここならば知った事か。
とにかく今からでも祭器を破壊する。構えた私にユリシーズも魔法の構えを見せた。
その時だった。
パキ……パリィィン!
音と共に魔石が砕け散り、その破片が術者を襲う。だが誰もそれに触れていない。曲がりなりにも呪殺の道具が簡単に破壊されたりはしないはずだ。
だが、砕けた。その原因を……希望を知っている。