「傷は脇腹と背中が特に酷かったのです」
「え?」
「ワイバーン20体の群が突如飛来し、応戦しておりました。小型とはいえ竜型の魔物で、群となると脅威でした。第二騎士団も戦いましたが、その最中の事です」
確かに背中と右脇腹の辺りが特に黒く俺の目に見える。傷が酷くて穢れが強いんだ。
「直ぐに聖水を掛けて回復魔法を掛けたのだけれど、思うように回復がかからなかった。傷が深いのと、穢れが強いのと。神殿に駆け込み、神官長に浄化も掛けてもらったのだけれどね」
沈む様子が痛々しい。それに、そこまでしても回復しなかったんだ。
「もう、手の施しようがないと言われたよ。魔物の穢れが体の深くまで入って、命を食らっていくと。苦しみが長引くよりは早く楽にしてやる方がいいなんて言う者もいたけれどね……どうして、諦められる。大切な者の命を、まだ生きようとしてくれている人の命を……この手に掛けるなんて出来るわけがない」
食いしばった殿下の顔は苦しそうだ。その気持ちは、とても辛そうだ。
俺は、やれるのかな。ただの料理屋の店主でしかなかった俺が、本当は無力な俺がこんな深い悲しみを救えるのかな。
込み上げる不安に尻込みしそうな俺の背中を、クナルがトンと支えてくれた。見上げて、目が合って、頷いてくれた。触れている背中がじんわり、温かくなった。
「あの」
「ん?」
「お茶を淹れます。それでも何か、効果があれば」
俺のスキルは俺の気持ちが反映されるみたいだ。具体的にどうしたらいいかは分からない。でもお茶一杯でも、俺がロイを救いたいと願って淹れれば何か効果があるかもしれない。
俺の思いが伝わったのか、殿下はほっとした顔で「あぁ、頼む」と言ってくれた。
部屋にあるティーセットを借りてお茶を淹れる。魔法の使えない俺に代わってクナルが水をお湯にしてくれた。
「本当に便利だよね、その魔法」
「あんたも生活魔法下級が使えるから、練習すれば使えるぞ」
「本当に! 落ち着いたら練習しよう」
温かい湯がティーポットに入り、ゆっくりと蒸らしていく。その器に触れながら、俺は心の中で「良くなれ。悪いもの消えろ」とひたすら念じた。するとじんわり手の平が温かくなった。
「どうぞ」
注ぎ分けて、事前に焼いていたクッキーも一緒に出すと星那が一番に喜んでヒョイと1枚摘まみ上げる。
「これ、お母さんのクッキーだ!」
口に入れればサックリとした食感と素朴な甘さが広がる、オーソドックスなクッキー。形もスプーンで整形するから歪だけれど、昔から母が作ってくれたものだ。
ユリシーズや殿下、クナルも一つ食べてほっとした顔をした。
「何でしょう、ありふれた味ではあるのですが何処か懐かしい」
「あぁ」
「ほんのり甘くて、それが優しくていいね。これが、二人の懐かしい味なんだね」
殿下も息をついて微笑む。金色の視線が俺と星那を見て笑っている。
紅茶は一つ冷ましてもらって吸い口に入れた。俺とクナルで介助して、殿下が吸い口をロイの唇に当てる。
「飲んで、ロイ。君の好きな紅茶だよ」
ゆっくりと飴色の液体が流れていく。意識は無いけれどまだ飲み込めるようで、喉が上下した。
そしてむずがるように唇が動いて、ゆっくりと瞳が開いた。
凄く綺麗な人だ。目尻の少し下がった金の瞳が殿下を見て、嬉しそうに細められる。その視線には切なげなものもあって、今にも泣いてしまいそうだ。
「ロイ」
嬉しそうに微笑んだ人が頬に触れて笑う。幸せだと言わんばかりに。
でも声は出ない。出そうとしているみたいなのに出てこないし、苦しげに咳き込んでいる。
俺の目にはその原因が見えている。黒い靄が固まって形になっているんだ。それがロイの首に絡みついて締め上げている。
まるで蛇の胴体が巻き付いているみたいだ。
「セナ」
「うん、任せて」
立ち上がった星那がロイの手を握り、力を込める。清浄な金色の光が辺りを照らして纏わり付く不快感を消し去った。
『ピュリフィケーション』
一段と強くなった光がロイの体を取り巻いて黒い靄を消していく。全身くまなく行き渡っただけで彼を包んでいたものが消えた。
けれど、まだ駄目だ。黒く濃いものがまだ纏わり付いている。脇腹から這いずるように伸びたものが首を締め付け、腕を縛っている。
そして背中から伸びたものは胸に入り込んでいた。
「朝よりは届いてる感じがするけれど、それでもスッキリしないな」
「え?」
星那は、分かってない?
俺の目にはこの黒いものが見える。蛇みたいなものが絡みついているのが。でも同じように召喚されて俺よりも聖女の能力に長けていそうな星那には見えていないんだ。
これも俺の謎スキルのせいなんだろうか。
それでもロイの表情は和らいで幾分楽に息をしている。注意して見てみるとその蛇の胴体も力が入らないのか動きが鈍い。星那の浄化のせいかな。
そして注視した事で俺の鑑定眼が不意にお仕事をした。
『蛇精の呪い
祭器を用いた呪い。呪具に呪いたい相手の一部を入れる事で蛇精を飛ばし、相手を呪い殺す』
「蛇精の……呪い?」
「!」
鑑定眼に浮かんだそれを口にした瞬間、全体の空気が凍った。
それに気づいた俺が顔を上げると、殿下とユリシーズは青い顔をし、クナルは歯を食いしばっていた。
「あの……」
「蛇精の呪いを、知っているのかい?」
「え? いえ。えっと……」
「トモマサ殿は上級鑑定眼のスキルがあります」
「それでか……だが、それが事実であるならどうしろと」
ドサリとベッドの脇に座り込んでしまった殿下を気遣うように、不自由な手でロイが触れる。その目にも絶望に近いものがあって、今にも涙が零れてしまいそうだ。
悔しげなクナルと、憎悪すら滲むユリシーズ。
その中で俺と星那だけが分からずに置いていかれている。