▼ルートヴィヒ
城にある自室で過ごす日はこんなにも退屈だったのだと、最近思い知る。ほんの数ヶ月前まではこの時間が好きだったはずなのに。
たった一人がいないことで、全てが味気ないものになってしまった。
「はい、今日の治療終わり。ルー殿下、大丈夫?」
そんな気安さで声をかけてくる少女に、私は笑って頷いた。
「ありがとう、セナ」
つい数日前に召喚された少女は突然の状況にも関わらず勝ち気で、自分というものを持っている女性だった。召喚された状況は良くなかったようだけれど、直ぐさまデレク叔父上が父に報告をあげて保護できた。そして父が直ぐに、私とロイの治療にと言ってくれた。
小柄で愛らしく、生きる力に満ちた聖女。見ず知らずの、なんなら恨まれても仕方の無い私達を思って笑ってくれる存在だ。
「いいって。今一番大変な時なんだしさ」
「それは君もだろ?」
申し訳なく伝えると、彼女は少しくしゃっと笑う。泣きたい、まではいかないのだろうが、無理をしているように。
「まぁ、お兄ぃも頑張ってるみたいだしさ。それなら私も頑張んないと! 会った時に怠けてたら嫌われそうだしね」
「トモマサ、だったね。会わせてあげられなくてすまないね」
今はまだ聖女の事は伏せている。あまりに日が浅いのと、此方の事情を優先してくれているからだ。
ただ、城では既に聖女として扱っている。不自由はさせていないと思うが、自由な外出だけはさせられない。何時、誰が彼女を狙うか分からないのだから。
同じ事が共に召喚された彼女の兄にも言えるのだが、あちらは男でもっと注目が行きづらい。何より側には尊敬する叔父とその部下がいる。今は任せてみなければ。
「さて、ロイさんの方も治療しないと」
そう言って彼女が見るのは隣室へと通じる内扉。そこを開けると、とても静かなものだ。
ベッドには一人の人が苦しげに眠っている。浅黒い褐色の肌にほっそりとした肢体。そのわりに筋肉がある、綺麗な体をしている。短くサラサラとした髪は触れると気持ちいい。今は閉じている瞳は開けば切れ長の、優しげな金色をしている。黒豹族の側近ロイは先の魔物討伐の折に深手を負ってからずっと苦しみ、数日前からは意識のある時間が少なくなった。
「やっぱり瘴気の侵蝕が取れない」
そう、セナは呟いて手を握った。
『ピュリフィケーション!』
ふわりと髪を揺らす金の魔力がロイの体を通り抜けてゆく。その瞬間だけは彼も楽そうにする。瘴気が払拭されるからだろう。
けれどセナは困った顔をしている。
「やっぱり、ちゃんと届いてない感じがする」
そう、彼女はずっと言っている。
感覚的なものらしいのだが、魔法が深部に達していないのだという。魔物の瘴気はもっと深い所に根を張っているのに、そこに到達する前に弾かれてしまう。だから表面上は払えても1日もすれば効果がなくなってしまうと。
これが魔物の瘴気。むしろここまで頑張ってくれたロイは凄いだろう。本当ならもっと前に力尽きていても不思議じゃない。
ただ、私がそうできないのだ。彼が死ねば私の世界も閉じてしまう。ただ彼だけが欲しい、そう思っているのに。
その時、不意にノックがあり表に出るとユリシーズが立っていた。手にはバスケットを持って。
「どうしたんだい、ユリシーズ」
「殿下、一つ試したい事があり伺いました。上手くすれば希望になります」
そう、彼は真っ直ぐに此方を見つめて宣言した。
彼はロイの学友で、私とも面識がある。非常に真面目な魔術師である。そして今回の一件に尽力してくれる一人だ。
「確か、今日はトモマサの魔力測定に出向いていたんだったね?」
これは私から頼んだ事だ。今は気持ちの面でも余裕がなく、仕事などは減らしている。その中で聖女に関わることだけは私が負うことにした。ロイを助ける足がかりになるかもしれないと、希望を持って。
だからこそ昨日、瘴気に侵蝕されたクナルをトモマサが浄化したと聞いて鑑定を早めたのだ。
もしこれが本当なら、ロイを助ける事ができるかもしれない。何時死ぬかと言われている彼の命を繋ぎ止める事ができるかもしれない。
ユリシーズは確かに頷き、中へと入る。そして何故かソファーセットのローテーブルにバスケットに入っていた弁当箱を二つ取りだした。
「これは?」
なんだか、お腹の空く匂いがする。甘いのと、塩っぱいのと。
「あっ! この匂い、照り焼きだ!」
不意にした大きな声に目を向けるとセナがパタパタと近付いてきて、弁当箱の蓋を開けた。
見た事のない料理だ。おそらくは鳥系の魔物だろうが、その肉を黄金のソースが覆っている。もの凄くいい匂いがする。
もう一つはパンだが、とても高級なものだ。ふっくらと柔らかそうだ。
「これ、お兄ぃの料理だ」
「トモマサの?」
話によると彼は元の世界で料理人だったという。そんな人物の料理なら興味はあるが……これがロイを助ける突破口なのか?
「ユリシーズ?」
「まずはお召し上がり下さい。そうすれば分かると思います。毒味も済んでおりますので」
そう言われてしまうと食べないわけにも行かないが……正直食欲がない。
ただこの料理は美味しそうで、私は試しにとフォークを伸ばして肉の一つを口に入れた。
「!」
入れた途端、なんとも言えない旨味が広がる。塩っぱくて香ばしく、でも甘みも確かにある。肉の旨味もジワッと出てきて喉を流れるとまた食べたくなる。
そうなればきっとこのパンも。
手を伸ばして掴んだだけで柔らかさが分かる。獣人の作るパンは硬くて不味いはすなのに、このパンはこんなにも柔らかい。千切ってもボソボソとパン屑が落ちてこない程にしっとりとしている。
それを口に放り込んで……正直城のパンよりもずっと美味しかった。シンプルなもののはずなのに。
それと同時に傷の痛みが和らいだ。重怠い体の感覚も軽減されていく。頭痛に倦怠感、目眩に苦しんでいたのが嘘のようだ。
「これは……浄化なのか?」
「はい、おそらくは。トモマサ殿は魔法という形での浄化はできませんが、謎のスキルを通してこのように体内からの浄化ができそうなのです。効果がどの程度かはまだ分かりませんが、これならロイ殿の体内も浄化が届くのではと」
「っ! だが、これを食べさせるのは」
今のロイは意識がない。固形物など。
だが試してみる価値はある。このソースだけでも舐めさせれば。
そう思っている私の前に鍋が置かれた。小さなそれをユリシーズが開けると、琥珀に澄む美しいスープが出てきた。