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3-10 羊先生と野菜(10)

 タオルもクナルに借りて向かったのは浴場。宿舎を裏手から出て別棟の建物を入るとそのまま脱衣所になっていて、棚に籠が置いてある。これに自分の物を入れるらしく、古い時代の銭湯みたいだった。

 衣服を全部脱いで腰に申し訳程度にタオルを巻き付けていると視線を感じる。クナルが俺の体を繁々と見つめていた。


「痩せすぎだな。色も白いし、筋肉もない。立ちくらみしたって言ってたけど、本当に大丈夫なのかよ」

「大丈夫だよ。立ちくらみは……なんていうか、ここに落ちてきた直後っていうか」

「落ちてきた?」


 怪訝な顔をするクナルになんて説明したらいいのか。

 それにしても彼の体は見事だ。細マッチョだろうなとは思っていたけれど、こうして見ると更に筋肉が浮き上がっている。全体的に締まっているけれど、特に腹筋や胸筋、太股の辺りは形が浮き上がって見える。服を着ている時よりも大きいんじゃないだろうか。まさかの着痩せするタイプか?

 なんて、同じ男の体を繁々と見てしまう俺もどうなんだよ……。


「まぁ、風呂入りながら聞くわ。まずは行こう」

「うん」


 促されて脱衣所からアーチ状の仕切りを越えるとその先は湯船や洗い場のある浴室だ。やっぱりスーパー銭湯とか宿泊施設の大浴場という感じがある。洗い場には魔石のついた蛇口があり、触れてレバーを左に回せば水、右に回せばお湯が出るとのこと。調整して桶からお湯を被ると何処かスッキリした。

 次にあわ玉石を手にするけれど……。


「これって、泡は立つけれど匂いはしないんだよね」


 現代人の感覚では石鹸からは石鹸の匂いがする。もしくはもっといい匂いがする。けれどあわ玉石は泡は出るけれど匂いはしない。それが少し物足りないのだ。


「匂い?」

「うん。俺の世界だとこういう泡と一緒に匂いがするんだ。石鹸の匂い……って言っても分からないかな?」


 なんとも表現が難しい。花の匂いとも違うし。

 そんな事を考えながら泡立てていると、不意に嗅ぎ慣れた匂いがした。


「え? あれ?」

「なんだ、その匂い」

「これが石鹸の匂いなんだけれど……」


 でも、なんで突然? 掃除で散々あわ玉石を使ったけれどこんな匂いはしなかった。デレクの話ではこれという違いはなさそうだったのに。

 クナルはジッと俺を見て、次には言いにくそうに真面目な顔で口を開いた。


「言いにくかったんだけどよ、実はそいつにあんなに綺麗に汚れを落とす力はないんだ」

「え?」


 それはどういう意味だろう?

 驚く俺に、彼は更に続けた。


「あんたが触っていた石はやたらと汚れを落とす効果が強かった。でも、あんたが触っていない石は俺達が知っているものだった。確か午前中の終わりに『ヒョウハク』とか言っていただろ」

「うん。汚れをもっと落として本来の色に戻す成分があるんだけれど」

「もしかすると、だけどよ。あんたが言葉にしたり思った効果が付与される……とか、ないか?」

「え!」


 いや、流石にそんなチートな……でも、今思っただけで匂いがついた。その理由が『俺がそう思ったから』だったら……。

 流石に事の大きさが分かってサッと青ざめる。こんな事が他に知れたら良いように使われていく気がする。だって俺が思うだけで効果が加わる。それに一度効果が加わった物は他の人でも使えるみたいだ。便利すぎる。


「スキル鑑定が終わるまで、これは言わない方がいいし気をつけるほうがいいな。団長にも言って、最低限の人数で鑑定してもらおう」

「うん」


 便利でいい能力なんだと思うけれど、不安が大きくなってきた。自分でも把握できていない力は怖い。この何も分からない世界で分からない能力を持たされたのが凡人の俺だなんて。どうしたら、いいんだろう。

 思わず下を向いてしまう俺の背中を、クナルがバンと一つ叩いた。


「いっ!」

「元気出せよ、マサ。俺が側にいるし、守ってやる。不安があれば聞くし、誤魔化してもやるからんな顔をすんなよ」


 見つめる視線は優しいし、言葉は明るく心強い。触れる手は温かくて支えられていると思える。

 なんだろう、ジワッと温かい。頑張ろうって気持ちが出てくる。大丈夫だって思えてくる。不安は消えないけれど、とりあえずやろうって思えてくる。


「ありがとう、クナル」


 出会えたのがこの人でよかった。一緒にいてくれるのがこの人でよかった。そんな事を実感して、俺はちゃんと笑ってお礼を言った。


 体も綺麗に洗って湯船に浸かると、思わず「ふぅぅぅぅ」という声が漏れる。温かな湯が全身に染みるような、人心地つくような。

 俺の隣にきたクナルもフッと息を吐いたのがわかった。


「そういや、さっき落とされたとか言ってたけどよ。異世界からこっちにくるのって、どんな感じなんだ?」

「ん? えっと……妹が光に包まれて目の前で消えて、焦って探そうとしたら足元に大きな底なしの落とし穴があって、後はひたすら落ちてきたんだ」

「何だよそれ、怖いな」

「怖かったよぉ」


 ゆるゆるっと気が緩んで話し方も緩くなってくる。そうして今日の始まりの出来事を思い出して、やたらと長く感じた一日を実感した。


「パニックだし、このまま死ぬんだなって思った」

「縁起でもねぇ」

「でもね、思うよ。落ちてるの分かるし、底が見えないんだから。これ地面があっても叩きつけられて死ぬんだなって思って……」


 怖かったんだよな、あの時。妹がとか、あったはずなのにそれ以上に死にたくないって思ったんだよな。

 忘れていた事を思い出したら少し震えた。その後が本人置き去りの怒濤の展開で流されてきたから考えていなかった。

 思わずギュッと自分の腕を抱きしめる。その手が小さく震えている。

 そんな俺の肩を、クナルはグッと引き寄せてきた。


「!」

「大丈夫だ、死んでねぇ。それにこれからは俺が守るから、んな怖い思いなんてさせないさ」

「あ……」


 じわじわっと染みていくような感覚がまたする。ほっと安心して、少し恥ずかしくて、温かくて嬉しくて。触れている手の大きさと強さを妙に意識する、そんな気持ちに戸惑ってしまう。覚えがなくて困るんだ。


「あ……えっと」


 チラリと触れている手を見ると、クナルは慌てたみたいにパッと手をどける。それに安心したような、ちょっと寂しいような。彼を見ると色の白い肌がほんのりと色づいているように見えた。


「悪い。えっと……とにかく! 不安とか辛い事があれば俺に言え。話くらいは聞けるからな」

「うん、ありがとう」


 妙に距離を取った彼に笑い、いつの間にかこの時の感覚も忘れて俺は一日の終わりを笑顔で締める事ができた。

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