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3-6 羊先生と野菜(6)

「お待たせしました」


 スープボールに均等に入れてグエンとリデルの前にも出すと、二人はしばらく鼻をヒクヒクさせている。


「トマトの臭いが減ってるな」

「白ワインですね」

「美味しそう……グエン、パン残ってませんか!」

「おう、あるぜ!」


 棚から例のパンを出して中央に。そうして三人で出来たてのスープを試食した。


「んっ!」

「こりゃいいぜ、試す価値ありだ。野菜のモソモソした感じが適度にないし、口に残らない。肉はしっかり主張してるし、柔らかいのに旨味が出てくる」


 リデルはパンと一緒に夢中になって食べ、グエンは料理人らしく食べては何かを考えている。

 俺も食べたけれど、素朴ながらも素材の旨味がちゃんと出ていて美味しかった。あっちの世界ではきっと物足りないのだろうけれど、これだって十分に美味しいものだ。


「マサ、これ今夜出そう! 奴等驚くぞ!」

「作り方簡単なんで、教えます。あと、レシピも書いておきますね」

「え!」


 これにグエンはつぶらな茶色の目をまん丸にして驚き、リデルまでポカンとしている。俺はそれに首を傾げた。


「いや、タダで教えるなよ!」

「え? だって、基本ですよ? タダなんて大げさな」

「トモマサさん、この世界ではレシピというのはお金を払って得るものなのです。物によっては大金を得られるものをタダでなんていけません」

「え!」


 それは……確かに現代でもレシピ本とかお金を払って買うけれど、無料で公開もされているし。なによりこんな簡単なものは基本で、秘伝のなんたらとか黄金比だとかまったくないのに。


「マサはこの世界の常識を知る必要があるな。だがまぁ、教えてもらえるのは有り難い。知ってればこれからは俺が作れるしな」

「そうですよ! 俺が他の事をしている時にお願いできますし!」


 正直これでお金もらっても詐欺みたいで嫌だ。これ幸いと乗っかったけれど、確かにこの世界の事を知っておいた方がいいかもしれない。

 そしてもう一つ、俺の問題は目の前のパンなんだ。


「グエン、このパンなんだけれど……」

「あぁ、硬いんだろ?」

「分かってるんですね……」


 がっくり肩を落とす俺にグエンは苦笑いだ。


「獣人とドワーフにパンを焼かせるな。なんて事が言われるくらい獣人のパンは不味いが通説なんだが、どうしたって硬くなっちまうんだよな」

「材料とか、見てもいいですか?」

「あぁ、待ってろ」


 腰を上げたグエンがテーブルの上に材料を置いていく。

知っている小麦粉よりは不純物が多そうな粉。おそらく全粒粉だろう。これが薄茶色になる原因だが、硬くなる原因とも言いがたい。それにこっちの方が栄養価は高い。

 そこに真っ白い粉も少量。見た感じは強力粉だ。これらを混ぜて作っているんだろう。

 他には塩と砂糖が少量。水。そして見慣れない実が出てきた。


『イストの実

パンを膨らませる酵母の実。潰して濾した汁を使う。日持ちがし、乾燥させて粉にしたものは持ち運びも便利になる』


 なるほど、便利な植物があるものだ。

 なんにしても揃えられた材料に不審な点はない。全粒粉のパンは白パンに比べて重く食べ応えがあるとはいえ、噛みきれないほど硬くなんてならないはず。しかも表面だけじゃなくて中も硬いとなると……。


「発酵不足かな?」

「発酵不足?」


 思い当たる原因はこのくらいだった。


「材料を混ぜ合わせた後で発酵させますよね? その時に十分に発酵しないと硬くなるんですよ」

「あれな。何かいまいち膨らまないんだよな。エルフの高級店だと滅茶苦茶膨らむって話なんだけどよ」

「原因はなんですか?」

「温度だと思います」


 エルフがパン屋やってるのか。しかも高級店とは。イメージは魔法のアイテムとかポーション作ってる感じなんだけれど。

 何にしても原因を聞かれ、俺は率直に答えた。そしてふと先ほどの話を思い出した。


「そうか、獣人は体温が高いんだ」


 パンを発酵させるイースト菌は生き物だ。適切な発酵温度は28度前後といわれている。生地がこれよりも高い状態だと上手く膨らまない。


「グエンさん、手を握ってください」

「ん? こうか?」


 握られた手はやはり温かい。子供体温よりもやや上だ。


「だから獣人の作るパンは美味しくないんだ」


 でも原因が分かれば対処できる。俺は確信を持って頷いた。


「まず、加える水を常温から少し冷たいものにしてください。それと、パンを捏ねる時は事前に手を冷水で冷やしてください」

「おっ、おう」


 言われるがままグエンは動き、俺も同じように捏ねる。とはいえ俺は手を冷やすと今度は冷たすぎるので普通に。


「つめた!」

「グエン、頑張ってくださいね」

「先生もやれっての」


 なんて文句を言いながらも長年パンを焼いてきたのだろう。流石の手並みであっという間に生地が出来上がった。


「温度とかって計れますか?」

「それなら私ができますよ」


 リデルがパン生地に軽く手をかざすと先ほどの金色の光がふわっと出てきてパン生地を包んでいく。そうして直ぐに彼は頷いた。


「28度くらいです」

「よし! ではこれを一次発酵で30分くらい、湿らせた布を被せてやります」

「湿らせた布?」

「湿度も大事なんです。発酵中に表面が乾燥するのも硬くなる原因ですよ」


 生地に布をかけて30分。その間に俺は自分のご飯を確保しなければ。


「グエンさん、お肉分けてもらってもいいですか? 俺じゃあの肉は噛みきれなくて」

「おう、構わん。何キロいる?」

「……150グラムくらいで」


 キロなんて食べられないよ。

 保冷室に戻って肉を物色。鑑定眼で見ているとオーク肉というものが見つかった。これも魔物の肉だが肉質は柔らかく程よい脂身が美味いとある。魔物の姿だと食べるのは無理だって思うんだろうけれど、肉の塊になっていると忌避感はない。この世界では常用食なんだから、有り難く頂く事にする。

 他にも何かないかと保冷室を物色していると隅の方に何やら壺に入ったものを見つけた。あまり使われていないようだが、俺の鑑定眼は見逃さなかった。


「味噌! 醤油!」


 これには流石に驚いて大きな声が出て、グエンが「どうした!」と駆けつける事態となった。でもそのくらい驚いたんだ。

 鑑定眼によると『過去の聖女が作らせた調味料。東の国で今も製造されているが、こちらでは馴染みがない』とある。勿体ない!


「あぁ、それか? 東の商人が試しにって置いてったんだけどよ、塩っぱくて食えなくてな」

「勿体ない。あの、使っていいですか?」

「それ食うのか! やめとけって」


 だがこれがあるだけでかなり違う。試しに壺を開けてみるとまろやかな大豆の香りがする醤油の匂いに、麦の粒が分かる麦味噌だった。

 肉とこれらの調味料、生姜を持って調理場へと移った俺は早速肉を薄めにスライスしていく。だからって薄すぎても駄目だ。5ミリ程度あるほうが食べ応えがある。これに筋切りをすれば肉は準備ができた。

 次にボールにすりおろした生姜と酒を混ぜて肉を浸しておく。臭みを抜くと同時に生姜の力で肉が軟らかくなる。


「そんなに薄くていいのか? 食った気にならんだろ」

「俺は牙があるわけじゃないので、このくらいじゃないと噛みきれないんです」


 何にしてもこれで今日の夕飯はちゃんと食べられそうだ。過去の聖女様、本当にありがとう。

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