「おや、これはこれは。なんとも綺麗になりましたねぇ」
見守るような心境でいた俺の背後で知らない声がして、全員がそちらを向いた。
まだ会ったことのない人だと思う。肩くらいまでのクリーム色の髪はゆるゆる波打っていてふわふわに見える。顔立ちは穏やかそうで眼鏡をかけていて、騎士という感じはしなかった。目立った耳や尻尾は見当たらないけれど、特徴的な黒い渦巻きの角があるから何の獣人かは直ぐにわかった。きっと羊だ。
「先生、帰ったのか」
「はい、たった今」
クナルに先生と呼ばれた人はゆっくりと近付いてきて、俺の前に立ってにっこりと微笑んだ。
「トモマサさんですね?」
「え? はい。あれ、名前」
「ふふっ、聖女様にお伺いしました。ようこそ、第二騎士団に。早々に災難でしたね」
ゆっくりとした話し方で笑う人は俺の名前を多少違和感があるものの言えている。この世界では発音しにくいみたいなのに。
「マサじゃないの?」
「あぁ、はい。本当は智雅なんですけれど、皆さん言いにくそうだったので」
「まぁ、そうでしょうね。私は医者で、他国の言語も学んでいるので他の人よりも多少舌が回るのです」
なるほど、そういう事もあるんだ。
そしてもう一つ気になる事が。
「あの、妹に会ったのですか?」
あの後星那はどうなったのか、気になって仕方が無い。嫌な事をされていなければいいけれど。
そんな俺の様子を見てか、先生は穏やかに頷いた。
「元気でしたよ。貴方の現状も知り、とりあえず安心したようです。『お兄ぃを宜しくお願いします』と、私とデレク団長に言っておりました」
「そうでしたか」
よかった、とりあえず無事なんだ。それが知れただけでほっとしてしまう。
そんな俺を見て、先生はふむと顎を撫でた。
「申し遅れました。私はこの第二騎士団の専属軍医でリデルと申します。トモマサさん、先に健康診断などさせてくださいませんか?」
「健康診断?」
首を傾げる俺に、先生ことリデルは真面目に頷いた。
「なんでも、此方の世界に来て直ぐの頃に立ちくらみを起こしたとか。それに見たところ、大変痩せて見えます。ここで暮らす皆さんの健康を預かる者として、貴方の状態も知っておかなければなりません」
「立ちくらみ?」
「あぁ、いや。今は大丈夫ですから!」
これに反応したクナルは俺を睨む。そして俺の背中をズイッと押した。
「行ってこい! こっちはやり方も分かったから後は出来る」
「はいな~、行ってらっしゃい」
「また後でね!」
クナルには強めに、フリートやキリクにも送り出されては行かないわけにもいかない。でも、健康診断って苦手なんだよな……。
それでもこの雰囲気では嫌と言えない。観念して、俺はリデルについていった。
ランドリーを出て一度正面まで戻ってきて、また左側へ。診察室はデレクの執務室などがある並びの奥にあるという。何の変哲もない木製のドアを開けた先は保健室みたいな感じだった。
「では、まずは体重と身長を測りましょうか。下着などは着けたままで構いませんので、衣服を脱いでください」
言われるがまま着ていた服を脱いでいると視線を感じる。そうなると意識はしてしまうもので、何だか脱ぎづらい。
「あの……」
「やはり痩せておりますね。あばら骨が薄らと見える感じがありますし、筋肉もあまりありません。ちゃんと食べておりますか?」
「人並みには食べていると思うんですけれど」
これは体質で、昔からあまり太れないのだ。健康診断でも大抵痩せすぎと言われてしまう。加えてあまり運動は得意ではないから腹筋もふにゃっとしているし、胸筋もない。仕事柄腕の筋肉はそれなりにあるのだが。
パンツ一丁で促されるまままずは身長を。現代でもある基本的な身長測定の結果、身長は171センチあった。そして体重は55キロと少し増えていた。それでもリデルにとっては痩せているという認識だ。まぁ、否定はしない。
そして平熱を聞かれて36度4分と答えると更に驚かれた。
「低くないですか!」
「人だとこんなもんだと思いますよ」
そうか、獣人は体温高いんだな。動物って体温高いって聞くしな。
何にしてもこれらが診断表に書き込まれていく。そうして次に手を握られるとキラキラした光が体を包み込んでいく。それらをポケッと見ている間に診察は終わっていた。
「体の変調などはありませんね。多少貧血の気がありそうですが」
「たまにですよ」
「何にしても体重の少なさは気に掛かります。しっかりと食べてくださいね」
「あ……」
そう言われてもあの食事だと食べられるものがない。気まずく視線を逸らした事でリデルには何かしら伝わったようだった。
「もしかして、食べられる物が少ないのですか?」
「あ……すみません。味が合わないとかではなく、単純に硬くて噛みきれないんです」
「どれ。口を開けてください」
言われるがまま歯科検診よろしく口を開ける。リデルはしげしげと見つめ、頷いた。
「なるほど、この歯では肉を噛みきるのは困難ですね。犬歯があまり発達していませんし、顎の力もそんなに強くはないですね。普段は何を?」
「色々な物を食べていました。肉も魚も野菜も」
「野菜も!」
「え?」
何故かそこに食いついたリデルが目を輝かせ俺の手をギュッと握る。何やら期待されている気配に此方は慌てるばかりだ。
「野菜、美味しいですよね!」
「そうですね」
「なのにここの人達は野菜を嫌がるんです。勿体ないと思いませんか!」
「あぁ……そう、ですね」
これは、あれか? 野菜を食べさせたいって事なんだろう。確かにあの昼食ではそう思う。不人気なんだとしてもあんまりだ。
「医者として、常々野菜は必要だと訴えてはいるのですがここの人達は聞く耳を持たなくて。草食系獣人が極端に少ない環境という事はありますが、それでも酷いと思いませんか?」
「あの、それで病気になったりはしないのですか?」
「しないですね、彼等は。雑色系もおりますが基本肉で足ります。草食系は特別製の野菜料理を個別にお願いしています。ですが圧倒的に肉食が多くて」
確かにざっと見た感じ、肉を好みそうな獣人が多かった。主にネコ科が多いように思う。
でもそうなると、俺はこれから毎日食事難民なわけだ。
「ところでトモマサさんは、元の世界では料理人だったと聖女様から伺ったのですが」
「あぁ、はい」
「では、美味しく野菜を調理する事も可能でしょうか?」
これはもしかしなくても……。
リデルは相変わらず俺の手を握り絞めたままだ。そして期待値は更に上がっているように思う。
まぁ、この問題は早々に手をつけなければ俺も困りそうだ。それに好きな仕事なんだから、何の苦痛もないわけだ。
俺はにっこりと笑って頷いた。
「俺でよければ頑張ります」
「よかった! あぁ、本当に。あの肉食獣共に野菜の美味しさを分からせてやりたいと常々思っていたのですが、残念ながら私では力及ばず。貴方のような心強い味方が出来て本当に嬉しいかぎりですよ」
「あ……はは。頑張ります」
これは期待値がはんぱないぞ。大丈夫かな、俺……。
不安は残るが引き受けた仕事だ。何よりこれは家政夫という仕事の範疇でもあり、俺個人が今後この世界で食べて行くための大事なミッションでもある。
とりあえず今日の夕飯からということで、俺は早速リデルに連れられて食堂へと向かうことになった。