改めて薄らと水が入った洗い場に40枚の極悪洗濯物。見ているだけじゃどうにもならない。やらなければ終わらないが、やれば終わるんだ!
ズボンの裾をたくし上げ、袖をまくった。そして魔石に触れて水をジャンジャン出し、あわ玉石も放り込む。すると見る間にモクモクと白い泡が溢れんばかりに出てきて洗い場を覆った。
「よし!」
水を止めて次は洗濯物のある場所を踏む。雨の日に水溜まりで遊ぶ子供の如く踏む! パチャパチャ水が跳ねるが気にしない。
これが絹だったらこんな洗い方は恐ろしくて出来ない。型崩れが心配なものや、薄手の木綿でもしない。だがこれは厚手で丈夫な天然素材! 洗濯機がご家庭に普及していない時代はこうやって洗濯してたんだぜ。
何度も踏むうちに少しだが生地が石けん水を吸い込んでいる気がした。服のある場所をふみふみすること十分。額の汗を拭い前傾姿勢だった腰を反らせるとバキバキと伸びていく感じがする。
「一旦流すか」
洗い場の栓を抜くと水が排水されていくのだが……泡の下の水が心なしか茶色い気がした。見なかった事にしよう。
水が流れて残った洗濯物を一つ手に取る。生地はちゃんと水を吸っているが、それでもまだ臭いが残っている。流石に頑固だ。
「よし、もう一回!」
栓をしてもう一度水を入れ、あわ玉石投入! 再び泡が洗い場に広がっていく。その視線の先に、一つの人影が見えた。
背が高くスラリとした体型でありながら隙がない身のこなし。白く真っ直ぐな髪は肩までで、動きに合わせて揺れている。氷のような水色の瞳はかっこよく切れ上がっていて、きつい印象もあった。何より全体的に顔が綺麗だ。
その人の頭には先が丸っこくてもふもふしたヒョウ柄の耳があり、尻尾は長く太めでやはり白いヒョウ柄だった。
「おい、何をしている」
「!」
想像よりは少し低い声が訝しんで問いかける。明らかに不審者を見る目に怯えたが、俺だってちゃんと許可をもらってしているんだ。
とはいえ、やっぱりちょっと怖いけれど。
「あの、デレクの紹介で今日からこちらの家政夫をする事になりました、相沢智雅です」
「デレク団長の紹介? ここの家政夫って……お前、大丈夫か? なんかヤバイ仕事に手ぇ出して脅されでもしたか?」
「え? いえ……」
デレクの名前を出した途端、綺麗なお兄さんは眉根を寄せて腰に手を当てそんな事を言う。そんなにブラックな職場なんだろうか、ここ。
「んじゃ、借金かなんかか?」
「違いますよ」
「……家を追い出されて行く当てないとか」
凄い、惜しい! 正解は異世界から連れてこられたあげく放置されたのを拾われただけれど。
曖昧に笑った俺を見てこれが正解だと思ったのだろう。お兄さんは思いきり深い溜息をついた。
「あの人、ほんとポンポン人拾いやがって。んで、洗濯任されたのか」
「一番なんとかしてほしいと」
「だろうな。にしても、魔法使えよ。こんなん手でやってたら終わんないぜ」
「あの、魔法使えないんで」
使えるかもしれないけれど。可能性は残したいけれど! でも今の所は使えないのだ。
俺のこの発言に今度こそお兄さんは訝しい顔をする。そして俺に近付いてぐるりと周囲を回った。
「耳は……小さくて顔の横? 尻尾もないのか? お前、種族なんだ」
「人族です」
「人!」
これにはお兄さんもギョッとした。マジマジと俺を見て、次にふと何かを思い出したように斜め上を見た。
「そういえばさっき団長が『聖女の兄貴を保護した。なんかあったら助けてやってくれ』って言ってたな」
「それ、俺ですね」
この言い方、さては本当に通りすがりに言付けたんだろうな。デレクらしい。
けれど大まかに状況は把握したらしく、お兄さんはまた溜息をついた。
「あのクソ団長、いい加減な仕事しやがって」
「あの……」
「あぁ、悪い。俺はこの騎士団の副団長でクナルだ。それにしてもお前、これは断れよ」
「いや、だって仕事ですし」
「一人の仕事量じゃないっての」
腰に手を当てたクナルは泡だらけの洗濯物を見つめ、中指と人差し指を揃えてクッと上げた。すると泡と洗濯物が大きな水の玉の中に吸い込まれていく。
「わっ!」
「生活魔法っていう基本の魔法だ」
水の玉の中で泡は洗濯物と混ざり合っていく。それを見て、俺はハッとしてクナルへと向き直った。
「クナルさん、あの水の中で竜巻みたいにグルグルできますか?」
「グルグル? こうか?」
上げている二本の指を軽く回すと、水球の中に渦が出来上がる。泡と洗濯物と水がそれに巻き込まれて渦を巻いていくのと同時に、水が凄い勢いで濁り始めた。
「うげ! きったね!」
「でも、これが出るってことは綺麗になってますよ。一度水捨ててください」
お願いすると洗濯物だけが洗い場に落ち、泡を含んだ水は排水溝の中に吸い込まれていった。
近寄って一つを手にし、鼻を近づけてみる。劇的に臭いは軽減されていた。
「おっ、綺麗じゃん」
「はい、ありがとうございます!」
「いいって。元は当番でやる決まりになってるのにサボった奴が悪い。後で締めてくるから、勘弁してやってくれ」
「あの、穏便にお願いします」
それにしても、まだ首回りと脇の辺りが黒ずんでいる。この辺りは皮脂も多いから落ちにくいんだよな。
「このあわ玉石に漂白成分とかもあればいいのに」
手にしていたあわ玉石を見つめ、ものは試しと襟の内側を石で擦ってみる。するとなんだか汚れが浮き上がってきた。
「えっ、すごい!」
「はぁ? その石にそんな効果ないはずだぞ」
「そうなんですか? なんか、変異種とか新作とかですかね?」
何にしてもこれは便利だ。手作業にはなるが石を直接擦りつけて残った汚れを浮き上がらせた後はクナルがすすぎをしてくれた。おかげで綺麗さっぱりだ。
「凄い。ありがとうございます、クナルさん」
「いいって。んじゃ、乾かすわ」
「え?」
それは脱水して干さないと。思っていると、目の前の洗濯物から水の玉がポコポコ出てきてそれがクナルの手の平へと集まりだした。
『ギャザー・ウォーター』
不思議な響きの言葉を唱えた瞬間、ポコポコと出ていた水が一気に出てきて集まってくる。勢いが強くて怯んだ俺の目の前でそれらの水は玉になっていき、やがて洗濯物から水が出なくなると集まった水を排水溝へと捨ててしまった。
「凄い……乾いてる」
洗濯物を手にすると綺麗に乾燥されている。少し乾きすぎな気もするが。
「取り込んで、とりあえず飯だ。昼だぞ、トモ、マ」
「マサでいいですよ」
「そうか? よろしくな、マサ」
やっぱりこの世界の人に「智雅」は発音しにくいのだろう。これは今度もマサで統一したほうがいいかもしれない。
ニッカと笑ったクナルの笑みは豪快で嬉しそうで、此方も思わず笑い返してしまう。そんな俺の肩をガシッと組んだクナルがヒョイヒョイと洗濯物を拾い上げていく。
俺も慌てて洗濯物を拾い上げてランドリー……は経由せず中庭から中へ。洗濯物は綺麗な籠の中に一旦入れた。
こうして一つ、俺は家政夫らしい仕事を一応して、彼等の食堂へと向かったのだった。