虎獣人デレクに荷物のように担がれた俺はどんどん城から遠ざかっていく。白い壁に青い尖塔の城は立派なものだ。
そこから続く町並みも中世ヨーロッパ風で、どこにも日本家屋はない。勿論モダンなお家もない。木造二階建て、築五十年の我が家が恋しい。
それにしても城から離れてどんどん街中だ。王国の騎士団の宿舎なのに?
「デレク、こんな町の中に宿舎があるんですか?」
「ん? おう、だな。第二騎士団は城詰めじゃないからな」
「そうなんですか?」
確かに制服も違っていた。あっちは白に金糸で上着の丈も膝裏までと長めで、どちらかといえば煌びやかだった。けれどデレクは黒に金糸で動きやすさ重視という感じが否めない。
一方デレクはなんとも忌々しいと言わんばかりの様子だ。
「第一は城の警備や要人の警護、式典の警備が仕事で城詰めだ。当然ご身分もいい家のお坊ちゃん達ばかりで、仕事よりパーティーのお話相手がお似合いだ」
まぁ、そんな雰囲気はあった。皆背が高くてスタイル良くて顔もよかった。おそらく顔面偏差値が入団基準に入っているんだろう。
「一方俺達第二騎士団は実働部隊だ。魔物が出れば狩りに出て、暴動が起こりゃ鎮圧に向かい、事件だ事故だとなれば駆り出される。お生まれも良くはないし脛に傷持つ奴等もいる。が、実力ならぜってぇ上だ」
「分かりますよ」
デレクを見ればなんとなくそれも納得できる。力強い足腰に屈強な体つき、低くした声に眼光の鋭さは場数を踏んでいる事が想像できる。そんな人が率いる部隊が弱いはずがない。
「まぁ、そういう性質上町の中なんだ。なんかあるとすっ飛んで行かなきゃなんねーし、町の奴等が駆け込みやすいようにな」
「親しみのある部隊なんですね」
「荒事を解決してくれる便利な奴等ってとこだよ。それ、そこだ」
言われて顔を上げると、想像していた感じよりもずっと大きな屋敷があった。
頑丈そうな石造りの二階建て。横に長いのかと思ったらコの字型をしている。無骨だが頑丈な鉄柵を抜けると屋根付きの玄関までは赤っぽいレンガの小道が続いている。その両脇は手入れされた芝生に、適当な間隔で木が植えてある。風通しの良さそうな、小綺麗なお屋敷だった。
門を抜けるとデレクは俺を降ろしてくれた。ゆっくりと小道を通って玄関前に来ると重厚な観音開きの扉がある。重そうな音と共に開いた先は……ごく普通な感じだった。
石畳のエントランスは吹き抜けになっていて、正面には二股に分かれた階段がある。窓は大きく、そこから燦々と陽光が入ってきて明るい。
「綺麗じゃないですか」
拍子抜けして言うと、デレクは苦笑した。
「ここは騎士団の顔で、外からの奴も通るからな。流石に定期的に人入れて手入れしてんだわ。酷いのはまぁ……もっと奥だ」
つまり、騎士団員が使う場所がまずいということなんだろう。
「ひとまず俺の執務室こい。そこで色々と話すぞ」
「はい」
のしのし歩くデレクの後ろをちょこちょこ付いていくけれど、コンパスが違った! 小走りになり、執務室に到着する頃には疲れてしまっていた。
「どうした?」
「いえ、足の長さが違い過ぎて……運動します」
「おっ、そりゃすまん。とりあえず適当に掛けてくれ。お茶でも淹れるわ」
開けられた室内は正面にどっしりとした執務机があり、書棚も作り付けで重そうだ。ソファーセットの一つに腰を下ろした俺の前で彼はご機嫌にお茶のセットを一式持ってきたが……肝心のお湯が見当たらない。
「あれ? お湯は」
「ん? それはこうすんだよ」
ニッと笑った人が指先をクルクルッと回すと、途端に拳大くらいの水の玉がふよふよと浮き上がる。それに目を丸くしていると今度はもう片方の手で小さな炎を作り出し、水の玉へチョンと触れると一気に沸騰する。それをデレクはポットの中に入れてしまった。
「魔法だ!」
「おうよ。けっこう得意だぜ」
「凄い! いや、本当に異世界に来たんだ……」
十分それは認識していたつもりだったけれど、今改めて見せつけられた。そんな興奮の後は、なんだか急に不安になって項垂れてしまった。
「どうした」
「いえ。俺、この世界で何が出来るんだろうと思って。魔法なんて使える気がしませんし、弱いし。多分そこらの子供よりも無力です」
生きていく、その基盤を築けない不安。何も出来ないんじゃないか、そんな無力からの焦り。そんなものが突然沸いてきて絶望しそうになっている。
そんな俺の前にコトンと、良い香りを上げる紅茶が置かれた。
「まぁ、そうなるわな」
「はい」
「でもよ、少なくともお前はこの宿舎の家政夫って仕事は手に入れたわけだ」
「それだって、務まるかどうか」
魔法なんて便利な能力があるのに、俺は素手だ。効率だって悪いだろう。お湯も沸かせない、水も出せない。無能となれば職を失う可能性だってある。むしろそうならなければおかしい。
だがデレクはニッと笑った。
「敵前逃亡はおすすめできねぇぜ」
「でも」
「それに、やる気や根気や気配りってのは魔法じゃどうにもなんねぇよ」
「……え?」
大きな体に普通サイズの茶器が小さく見える。デレクはズズッとお茶を啜って笑った。
「ここに居る奴等ってのは、戦う事と気の良さは合格だが、飽きっぽくてサボり癖があって気が短い。到底じっくり頑張るなんて根性はない。しかも腐っても爵位持ちが家事なんて経験あるか? やったことないから苦手だし面倒だからやりたくないって奴等が多すぎるんだ」
「それは……大変ですね」
「だろ? そういう気質は魔法じゃどうにもならない。でもよ、お前さんは持ってそうだって、俺の直感が言ってんだけどよ」
片目を瞑ってニンマリ。それを見て、言葉を反芻して、俺の萎えかけた気力は息を吹き返した。
「俺、家事とか好きです」
言えたとき、自然と笑えていたような気がした。