「お兄ぃ!」
「星那!」
突如真っ白い光に包まれていく妹の悲鳴に、俺は手を伸ばした。けれどその手は虚しく空を掴むばかりで妹に届かない。
その間にも光は妹を包み込んで収束していき、やがて彼女ごと消えてしまった。
「何が……っ!」
何が起こったのかも分からない俺は、それでも妹の行方を捜さなければと走り出そうとしていた。その時だ、突然真っ暗な穴が足元に空き、俺は真っ逆さまに落ちていく。
「うわぁぁぁぁ!」
底が見えない。落ちているリアルな感覚が肌にある。浮き上がるような内蔵の気持ち悪さに意識が遠くなりかける。しかも穴はどれだけ深いのか、落ちても落ちても底が見えない。
妹が謎の光に包まれて消えて、俺は穴に落ちて死ぬのか! 不運どころの話じゃないだろ!
意識があるのか無いのかも曖昧になるくらい落ちた俺は、突然下が光ったのに気を取られた。真っ白な光の中へと吸い込まれるように落ちた先は、硬い石の床だった。
「あで!」
すっ転んだくらいの衝撃で石畳の上に落ちた俺は、それでも命があることに驚き今更ながら心臓バクバクしている。普通助からない。
そこは見た事もない外国の教会とか、神殿みたいな場所だった。床も壁も白っぽい石造りで、凝った装飾をした柱が円形に建っている。その内側の円は一段低くなっていて、床には何か模様が描いてあった。
ここはどこだろう? 少し痛む体をさする俺の耳に、突然聞き慣れた声が聞こえた。
「お兄ぃ!」
「星那?」
ハッとして声のする方を見た俺は呆然とした。
さっき光に消えていった妹がその時のままいるのはいい。無事に見つけられたんだ。
けれど、彼女を取り囲んでいる人達が問題だった。
皆背が高くてスラリとした体型をしている。白に金糸の、アニメに出てきそうな騎士の格好をして腰には剣を差している。そして彼等の頭には動物の耳がついていて、お尻の辺りからは尻尾も生えていたのだ。
「え?」
ここは……どこだろう?
突然目に飛び込んできた異世界な光景に思考が鈍る。へたり込んだまま呆然としていると、その中の一人が此方を見た。
波打つような長い金色の髪に尖って大きな金色の耳。尻尾は太いがシュッとしている。
あ、これ狼だ。図鑑とかで見た事ある。
そんな事を呆然と思っていると、整った顔立ちの金髪狼人間は不機嫌な様子でツカツカと近付いてきてへたり込む俺を見下ろし、鼻で笑ったかと思えばいきなり腕を強く掴んで引き上げられた。
「いた! 痛い!」
「余計な事を言うな! 誰か、こいつを牢にぶちこんでおけ!」
牢? 牢って、牢屋ってことか? なんで突然知らない場所に来て、何も分からないうちに牢屋になんて入れられなきゃならないんだよ!
怖くなって腕を引くけれど力が強すぎてびくともしない。無理に引っ張ったらこっちの肩が抜けてしまいそうだ。
「お兄ぃに乱暴な事すんな!」
星那が大声を上げて暴れている。昔から気の強い妹で、兄なのに助けてもらう事も多かった。
でもここで抵抗は危ない。気が強くても彼女は十代の女の子なんだ。
「星那、あぶない!」
「聖女様、こちらへ。お部屋を用意しておりますので」
先ほどの金髪狼人間はぱっと表情を変えて俺の腕を放す。ドタンと再び床に尻餅をついた俺を見て今度こそ星那は青筋を立てた。
「お兄ぃに乱暴したらぶっ殺す!」
あぁ、可愛い女子高生がそんな言葉を使うもんじゃないって前から言ってるのに。
腕は離れたけれどまだ痛い。その部分を庇うように摩る俺に、今度は妹の側にいた白い騎士服の奴等が数人こっちにきて俺を見下ろした。
「そいつを牢に入れて尋問しておけ。決して聖女様に近づけるなよ」
「はっ!」
「っ!」
捕まったらもう逃げられない……。そんな不安と焦りに足だけで後退る。その俺の背が突然トンと何かにぶつかった。
見上げた先にいたのは大柄な虎耳虎尻尾の男の人だった。黒い制服に腕まくりをしたワイルドなその人は俺を見て、次に目の前にいる白い制服の人達を睨んだ。
「スティーブン王子、これはどういうことかねぇ」
「……デレク」
「王太子殿下からは、準備が整ってからだと言われてませんでしたかねぇ?」
眼光鋭く睨んだ虎獣人に金髪狼は怯んだようだった。明らかに表情が変わる。だがどうやら身分的にはあちらが上なのだろう。腕を組み、フンと笑った。
「ぐずぐずして居られなかったのだよ。父上含めてどうにも悠長に構えているが、事は深刻だ。一刻も早く聖女様をお迎えせねばと思い儀式を行った」
「あのねぇ、準備が整っちゃいないんだよ。聖女様を迎えるとなれば部屋やメイドの手配、聖女である認定をするには神殿の神官長が立ち会わなきゃなんねぇのにそれも居やしない。いっちゃん悪いのは、ここに陛下か、陛下の名代が見届け人として同席してないことだろうが。それがなきゃ聖女だって認定できねぇんだぞ!」
「彼女は確かに異世界より招いたのだ! ここにいる者全員が証明」
「たかが取り巻きの騎士と魔道士が証明したって何にもなんねぇって言ってんだよ」
ドスの利いた声で一歩前に出た虎獣人の迫力は凄い。今にも襲いかかっていきそうな様子に俺も緊張する。
だが王子様は諦めていなかった。
「そんなもの、後ほど教会に連れて行き能力やスキルの鑑定を行えば分かることだ! それに聖女様の部屋は私自らが整えてある。騎士風情が大口を叩くな!」
そう言って王子は星那の肩を抱き……思い切り叩き払われていたがめげずにいる。そして此方を見て近づいてきそうな星那を半ば強引につれて行ってしまった。
「ったく、見栄っ張りの無能王子め」
頭が痛いと言わんばかりの様子でガシガシ癖の強い金髪を掻いた人は、その目を此方へと向けた。
「お前も災難だったな、巻き込まれたか」
「あの、今聖女だって連れていかれたのは俺の妹なんです! 乱暴なことは!」
「あー、そりゃ大丈夫だ。蝶よ花よともてはやされて、綺麗な服に綺麗な部屋に美味い飯食っていけるって」
「そう……なんですか?」
いや、確かにあいつらの扱いは丁寧だった。それならそうなんだろう。いや、でも自由はなさそうな気が。とにかくこのままで良いわけがない!
焦って動こうとして立ち上がって、少しふらっとした。貧血に近い感覚に足元が危ない俺を、虎獣人がしっかりと支えてくれた。
「っと、危ないな。お前も無理すんなって」
「すみません。でも妹を助けないと。どんなに良い生活が出来ても、それが妹の本意でないなら俺は」
「お兄ちゃんなんだな。まぁ、だが今は無理だろう。なに、手がないわけじゃない。順を追ってやっていこうや」
ニッカリと笑った虎獣人は先ほどの凄みが消えて、むしろ人懐っこい感じがある。耳と尻尾がついているというだけで、他は人間と変わらないんだ。
手を差し伸べられて思わず返すと、思ったよりも強い力で握られた。
「いでぃぃぃぃぃ!」
「おっ、悪い。力の加減間違ったか」
手の骨が折れるかと思ったわ!
でも今度はちゃんとやんわりと握って、その人は笑った。
「王国第二騎士団団長デレクだ」
「あ……相沢智雅、です」
「トモ、マサ?」
「言いづらいなら言いやすくしてください」
「おう、よろしくなマサ!」
言いながら丸っぽい虎耳がヒョコヒョコ、尻尾の先がご機嫌に揺れている。どうやら悪い感情は持たれていないようでほっとした。
「さて、場所移すか。俺の側離れんなよ。あと、心配しなくても牢屋になんて入れないからよ」
「ははっ、それは良かったです」
何だかこの人の登場で曖昧になってしまった。でもひとまず危険は脱したようだった。
落ちてきた部屋を出ると外は眩しいくらいの陽光と、整ったお城の廊下という様子の場所。重厚な音を立てて扉が閉じてデレクについていくと、少しずつ人とすれ違うようになる。
でもやっぱり皆尻尾があったり羽があったりだ。
これって、もしかしなくても獣人というやつなんじゃなかろうか……。
「えっと……デレクさん?」
「デレクでいいって」
「……デレク。もしかしてここには人間がいないのかな?」
この問いかけに、彼はにっこり笑って頷いた。
「ここは獣人の国だからな、人間はいない。人間の国も昔はあったが、滅んだしな」
「おぅふ」
人間、滅んでた。
そしてここは獣人の国で、間違いなく異世界であることが決定してしまった。
落ち込みそうな俺の肩をがっしと抱いたデレクが更に力強くドンドンと叩く。肩の骨砕けるんだが!
「まぁ、心配すんなって。さっきも言っただろ? 俺はお前の味方だってよ」
「はぁ……」
色々信じられない事も起こっているし、とても楽観できる状況じゃないように思うんだけれど、この言葉だけは信じられるから驚きだ。
少し力も抜けて、俺はほっと息を吐いた。
「信じます」
「おう、任せておけ。でぇ、だな。実は俺の方も助けて欲しい事があってよ」
「助けて欲しい事、ですか?」
思わず問い返す。自分に出来る事なら構わない。何せ助けてもらったし、これからも助けてくれようとしている様子。一方的に恩を受けるというのもむず痒いものだし、やれる事はやろうと思うのだ。
無理難題でなければだけれど。
デレクは何やら言いにくいのかなかなか切り出さない。首を傾げると、観念したように重い溜息をついた。
「実はな、俺達の宿舎のハウスキーパーをして欲しいんだわ」
「ハウス、キーパー?」
つまり、その家の家事を行ってほしいということだろうか。そのくらいは問題無い。今までも似たような事をしてきた。
義父を早くに亡くし、母は店をしていて妹は小さかった。母を助け、家事はだいたい俺の仕事だった。
「そのくらいなら構いませんよ」
「本当か!」
ガッシと両手で握ってきたデレクが俺を見る顔は、今にも拝みそうだ。
「もう、どうしようもなくてよ。確かに得意な奴なんて居ないと思ったけどよ、ここまでってのは想定外で」
「あの、そんなにですか? 俺で大丈夫かな……」
「大丈夫! 手伝いとかさせるし、一日で終わらせて欲しいとかじゃないから!」
「あぁ、はい」
人の多い出入口付近、デフォルトの声が大きいデレクのそれは響いていて周囲の人々が「なんだこいつ」みたいな目で此方を見てくる。いたたまれない俺は早くこの場から逃げたい気分だ。
「よーし! そうとなれば直ぐにでも宿舎行くぞ!」
「え? おわぁぁ!」
「レッツゴー!」
突然視界が上がって、気づけば荷物みたいに肩に担がれていた。
抗議する俺なんてなんのその、大柄でご機嫌な虎はのっしのっしと歩いていく。人に見られ、恥ずかしさから顔を隠す俺なんて気にもしないで気づけばお城の外。日差しは更に燦々と降り注いでいる。
こうして俺は異世界で、騎士団宿舎の家政夫になったのだった。