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第13話

渡辺は涙をぬぐいながら、静かに村上さんの顔を見つめていた。その目には、どこか子供のような哀愁と、師に対する揺るぎない敬意が宿っていた。


「おやっさん…」


渡辺が言葉を振り絞るように、低くつぶやいた。


「俺はおやっさんのおかげでここまで来れました。どんなに反発しても、結局、おやっさんの背中を追ってきたんです」


その言葉に、颯太も深く頷いた。自分も、村上さんとの交流を通して父を思い出し、彼の背中を追ってきたことを痛感していた。


「渡辺さん…村上さんがあなたに託した思いは、これからもずっと生き続けます。あなたが村上さんの教えを受け継ぎ、次の世代に繋いでいかれることで、村上さんもきっと喜ばれるはずです」


渡辺は震える声で「はい」と答えた。その一言に、彼の中で師匠への決意が固まったのが伝わる。村上さんの教えが絶えず受け継がれていく、そんな未来がそこにある。

奥さんも、2人のやりとりをそっと見守っていた。渡辺が村上さんのもとを去ろうとすると、再び深く頭を下げた。


「神崎先生…ありがとうございました。これからも、俺たちはおやっさんと共に歩んでいきます」


颯太も頭を下げ、渡辺の背中を見送った。渡辺が静かに病室を出ていくと、そこに再び静寂が訪れた。

颯太は最後にもう一度、村上さんの顔を見つめ、心の中で固く誓った。


(もっといい医者になりたい。そして、父の思いも、村上さんの思いも、俺が受け継いでいく)

医局に戻る途中、非常階段を上がっていると、颯太は上から降りてくる鷹野先生の姿に気づいた。頭を下げ、すれ違おうとした瞬間、鷹野先生の声が鋭く颯太を呼び止めた。


「村上さんのご家族には説明したのか?」


「はい。今、説明をしてきました」


そう答えると、鷹野先生の表情が一層険しくなり、冷ややかな声が颯太に突き刺さった。


「やはり…お前に担当をかえるんじゃなかったよ。お前が担当になったばかりに村上さんは命を落としたんだ」


その言葉に、颯太は一瞬息を呑んだ。言い返したい気持ちはあったが、村上さんを失った責任を全て自分が負うべきだと思うと、何も言えない。


「…」


「検査結果や診察をしっかり行っていて、緊急手術をしていたらこんなことにはならなかった」


強い言葉が続き、鷹野先生の視線には冷淡な侮蔑の色が浮かんでいた。颯太はその場に立ち尽くし、鷹野先生の言葉をただ受け止めるしかなかった。


「お前も父親と同じで、人を助けることはできない医者なんじゃないか」


最後の言葉は、まるで刃のように胸に突き刺さった。父のことを引き合いに出され、自分の無力さを嘲笑うような鷹野先生の表情を見たとき、颯太の心には重く冷たい何かが押し寄せてきた。

鷹野先生は颯太に背を向け、去っていった。その足音が階段に響き、遠ざかっていくたびに、颯太は深い喪失感と自責の念に苛まれていった。医者としての未熟さ、そして父親への憧れと現実との狭間で揺れる苦しさが、彼の胸を締めつけた。


「…俺も…父さんと同じなのか…」


小さな声で呟いたその言葉が、非常階段の冷たい空気に虚しく響いた。立ち尽くす彼の心には、どうしても振り払えない劣等感と自己嫌悪が渦巻いていた。

しばらくして、颯太は小さく震える手をぎゅっと握りしめ、視線を上げた。村上さんの手紙に書かれていた言葉が、ふと胸の中に浮かんだ。


「弟子が師匠を超えて羽ばたく姿を見せて欲しい」


どんなに悔しくても、村上さんの期待を裏切るわけにはいかない。悔しさも、悲しみも、自分の未熟さもすべて背負って前に進まなければならない。それが、村上さんと父に誓ったことだった。

颯太はゆっくりと階段を上がり、医局に戻った。胸に小さな決意の火が灯り、それが彼の足を少しずつ前へと押し出してくれる気がしていた。


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