颯太は、冷や汗を感じながらも古賀先生の視線をどうにか受け止めようとしたが、頭が真っ白になっていた。その時、ふと隣にいた真田先生が口を開いた。
「颯太、落ち着け。俺の言葉をそのまま復唱するんだ」
颯太は驚き真田先生を思わずみると、楽しそうに、にやにやと笑っている。
「まずは、こう言え。"古賀先生の新しいアプローチには感銘を受けましたが、特に心筋保護液の選択において、代謝性アシドーシスを防ぐための具体的な対策として、他に考慮された方法はありましたか?" さあ、言ってみろ」
颯太は緊張しながらも、言われた通りに復唱した。
「古賀先生の新しいアプローチには感銘を受けましたが、特に心筋保護液の選択において、代謝性アシドーシスを防ぐための具体的な対策として、他に考慮された方法はありましたか?」
会場が一瞬静まり返った。颯太自身も、自分がそんな質問をしたことに驚きながらも、古賀先生の顔を見つめた。彼は驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに、にやりと笑いを浮かべ、嬉しそうに答え始めた。
「確かに心筋保護液の選択は、代謝性アシドーシスを防ぐために重要な要素だ。私たちは、プロトンポンプ阻害剤を併用することでその影響を最小限に抑える研究を進めているが、他にも…」
古賀先生は嬉しそうに続け、詳細な技術的解説を加えた。その様子に、真田先生は颯太の横で小さく笑いながら「いいぞ、その調子だ」と呟いた。
古賀先生はさらに、頷きながら説明を続け、質疑応答の中で難易度の高い技術的な説明を披露した。颯太は少しずつ呼吸を整えながら、真田先生の助けを借りつつ、会場の視線の中でも次第に落ち着きを取り戻しつつあった。
颯太が古賀先生の回答を聞いていると、すぐに真田先生の声が再び耳に入ってきた。
「次はこれだ。"右室流出路再建術の際、肺動脈弁の機能維持についてですが、自己組織の利用を検討された場合、どの程度の再狭窄リスクを見積もっておられますか?" さあ、続けろ」
颯太は一瞬たじろいだが、冷静を装いながらそのまま真田先生の言葉を復唱した。
「右室流出路再建術の際、肺動脈弁の機能維持についてですが、自己組織の利用を検討された場合、どの程度の再狭窄リスクを見積もっておられますか?」
再び会場が静まり、古賀先生は驚きの表情を一瞬浮かべた。彼の顔に浮かんだ不意の笑みは、古賀先生が颯太からこのレベルの質問を予想していなかったことを物語っていた。しかし、古賀先生はすぐに真剣な顔に戻り、にやりと笑いながら答え始めた。
「なるほど。良い質問ですね。自己組織を使った場合の再狭窄リスクだが、我々が行った長期追跡では、再狭窄率はおよそ15%に留まっている。ただし、これは患者の年齢や基礎疾患によって大きく異なる。特に若年患者では…」
古賀先生は、難解な術式の詳細についても話し始めた。古賀先生の解答が的確であればあるほど、会場内に集まる視線もさらに熱を帯び、ますます質疑応答が盛り上がっていく。
真田先生はさらに続けた。
「まだだぞ、颯太。"再狭窄リスクに対する補完療法として、術後に特定の薬剤を併用するアプローチは考えられていますか?具体的には、抗増殖因子を標的にした治療が有効とされていますが、先生の見解を伺いたいです" さあ、続けろ」
颯太は必死に真田先生の言葉を追い、再び質問を繰り返した。
「再狭窄リスクに対する補完療法として、術後に特定の薬剤を併用するアプローチが考えられていますか?具体的には、抗増殖因子を標的にした治療が有効とされていますが、先生の見解を伺いたいです」
古賀先生はまたも驚いた表情を浮かべたが、すぐにその表情を喜びに変えて、にやりとしながら答えた。
「面白い質問だ。抗増殖因子を標的にした治療は確かに最近注目されているアプローチだが、我々の研究では…」
こうして、颯太は次々と高度な質問を繰り出し、古賀先生との応答が続いていった。会場の医師たちは、そんなやり取りにますます引き込まれ、静かな熱気に包まれていった。
真田先生のおかげで、颯太は次々と高度な質問を繰り出し、なんとか古賀先生の講演を無事に乗り切ることができた。古賀先生との質疑応答は白熱し、颯太の質問が出されるたびに、観客からは感嘆にもにた声があがり、古賀先生の解答が出れば観客も頷きながらメモをとっていた。
颯太は何とか最後までやり遂げたことに、ほっとした安堵感を覚えていた。
講演が終了し、会場が拍手で包まれる中、颯太は座席に力なく腰を下ろした。冷や汗が背中に張り付き、息を整えるのに少し時間が必要だった。そんな時、隣に座っていた村上先生がにこやかに微笑みながら声をかけてきた。
「神崎君、素晴らしかったよ。よく勉強しているんだね!」
村上先生は、その言葉と同時に颯太をぐっと抱きしめた。颯太は驚きつつも、その温かさに少しだけ胸が軽くなった気がした。
「先生…ありがとうございます。でも、本当に僕一人の力じゃなくて…」
颯太は少し照れ臭そうに言葉を選んだ。
「いやいや、君はしっかり成長しているよ。古賀先生の驚いた様子を見ただろう?あれはなかなか見られない光景だぞ。自信を持ちなさい!」
村上先生は満面の笑みを浮かべて颯太の背中を叩いた。
「ありがとうございます…」
颯太は思わず涙が浮かびそうになるのを抑えながら、村上先生の言葉に感謝した。
その時、颯太の横で真田先生がにやりと笑いながら
「いいじゃないか、颯太。もっと素直に喜んでいいんじゃないか?俺がちょっと手を貸してやったが、あれはれっきとしたお前の知識になったはずだ」
と言いながら肩をすくめて見せた。颯太は小さく笑いながら、頷いた。
講演が終わり、颯太が村上先生との会話を続けていると、壇上からゆっくりと古賀先生が下りてきた。鋭い眼差しで周囲を見渡しながら、まっすぐ颯太の方へ向かってくる。颯太は一瞬、緊張で体が硬直したが、古賀先生が自分の前に立ち止まった。驚いたことに、古賀先生の表情はどこか穏やかだった。
「神崎、お前の噂は聞いていたぞ」
古賀先生のその言葉に、颯太は驚いた。
「難易度の高い手術もこなしているし、助手としても非常に優秀だと聞いていた。今日のやり取りでそれが本当だと分かったよ。お前が研修医の頃のことを覚えているか?」
古賀先生はにやりと微笑んだ。颯太は頷きながら答えた。
「もちろんです。あの時は…本当に毎日が試練でした」
古賀先生は軽く笑いながら続けた。
「あの時、お前には父親の名前に負けないようにと、特別に厳しく指導してきたつもりだ。お前には父親の影から抜け出して、自分自身の道を歩んでほしかったからな。それに耐えて、ここまで成長するとは…」
一瞬の沈黙の後、古賀先生は真剣な表情で続けた。
「正直、俺も誇らしいと思っている。神崎、よくやっているな」
その言葉を聞いた瞬間、颯太は胸の中が熱くなった。研修医時代、厳しい指導を受けた日々が頭をよぎり、当時の自分がどれだけ無力だったか、そしてどれほど成長できたかを改めて感じた。今回の質疑応答だけではない。手術の実績や助手としての功績を認められたのだ。
「ありがとうございます、古賀先生…」
震える声で答える。古賀先生は満足そうに頷き、颯太の肩をポンと叩いた。
「これからもお前の成長を楽しみにしているよ」
颯太は深く頭を下げ、心からの感謝を伝えた。まさか、あの古賀先生に褒められる日が来るとは思わず、胸が熱くなった。
古賀先生の講演会場を出ると、颯太はほっと一息ついた。しかし、その安堵感は長く続かなかった。すぐに周囲から何人かの医師たちが集まってきたのだ。彼らは大学の同期や大学で少し顔を合わせたことのある先輩や後輩の医師たちで、あまり親しく話したことはないが、皆、颯太に対して興味津々のようだった。
「神崎君、すごかったね!あんな質問を立て続けに出すなんて、見直したよ」
「お前、本当に成長したな。噂は聞いてたけど、まさかここまでとは…!」
「古賀先生も驚いてたよ、あんな反応見たことない」
颯太は突然の注目に、戸惑った。どう返答していいのか分からず、苦笑いしながら軽く頷いていた。
「いや…そんなことないよ。たまたま、タイミングが良かっただけで…」
謙遜しつつ答えるが、周りの医師たちはさらに興奮したように次々と話しかけてくる。
「いやいや、そんなことないって!あの質問、誰でもできるもんじゃないよ!」
「もっと自信持ちなよ、神崎!」
そんなやり取りが続く中、ふと遠くから手を振る何人かの姿が目に入った。親しい同期たちが、少し離れたところから「頑張れ~!」と冗談交じりに手を振って笑っている。
颯太は苦笑しながら彼らに軽く手を振り返した。あまり話したことがない医師たちに囲まれながらも、仲の良い同期たちが自分を見守ってくれていることが心強く、少しずつ緊張が解けていった。
「まあ、これも経験か…」颯太は心の中でそう呟きながら、少しずつ周りの賞賛を受け入れ始めた。
ようやく取り巻きから解放された颯太は、ほっとした表情で仲の良い友人たちの方へ向かった。彼らは自分のことをよく知る仲間たちで、学生時代からの信頼できる存在だ。近づくと、すぐに心臓外科に進んだ桐生が颯太の肩をくむようにして、ニヤリと笑いながら声をかけてきた。
「颯太!おいおい、いつのまにこんな有名人になっちゃったんだよ~。お前、俺たちの知らない間にスーパースターになったのか?」
颯太は苦笑しながら、軽く肩をすくめた。
「いや、そんなことないって。むしろ、今日はいろいろ助けられたんだよ…」
心臓内科に進んだ久我が、颯太の話を遮るように口を開いた。
「謙遜すんなよ、颯太。お前は真面目に努力できるやつだからな。学生の時からそうだった。やっぱり努力が実を結んだんだろう。俺たちみんな見てたから、そう思うよ」
その言葉に、颯太は少し照れたように笑った。そして、呼吸器内科に進んだ真崎が、少し感慨深げに呟いた。
「親父さんの陰を乗り越えたんだな…颯太。よく頑張ったな」
その一言に、颯太は一瞬胸が詰まるような感覚を覚えた。彼らはみんな、颯太の父親の過去や、自分が医者になるべきかどうかで悩んでいたことを知っている仲間たちだった。学生時代から、彼らはずっと颯太を支え、時には一緒に悩み、時には励ましてくれた。その温かい言葉に、颯太は心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「…ありがとう。みんながいてくれたおかげだよ。父親のことも、いろいろ考えたけど、やっぱり自分の道を歩んでよかったって、今日は少し思えたかもしれない」
颯太はそう言いながら、仲間たちを見回した。桐生が冗談交じりに声を上げる。
「よし、じゃあ今日の成功を祝って、一杯行くか!」
他のみんなも「賛成!」と笑いながら答えた。颯太は、そんな仲間たちに囲まれながら、久しぶりに肩の力を抜いて笑顔を浮かべた。
少しだけ、天狗になっていたのかもしれない。まさか次の手術で挫折を味わうことになることは、この時の颯太は知るよしもなかった。