目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第3話

「ほんと、お父さんって不器用…」


秀臣から聞いた話を、苦笑いしながら颯太に話す桜の顔は、つきものがおちたように明るくなっていた。

桜が苦笑いしながら話す姿を見て、颯太は微笑ましく彼女を見つめていた。これまで何度か見てきた、どこか寂しげな表情とはまったく違う。桜の顔には明るい笑顔が浮かんでいた。年相応のその表情に、颯太もほっとした気持ちになる。

そんな中、ふと背後から声が聞こえた。


「恥ずかしいな…」


振り返ると、秀臣が少し照れたような顔で近づいてきた。桜は笑いながら秀臣に言った。


「お父さんが不器用すぎるから、笑い話にしてるだけだよ。でも、ほんとに私、ずっと思ってたんだからね。『私に興味ないんじゃないか』って」


桜の言葉に、秀臣は一瞬、懐かしそうな表情を浮かべた。それから、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「実はな…その言葉、楓にも言われたことがあるんだ。桜のお母さんと、結婚する前に大げんかをしてな…楓に『あなた、本当に私に興味があるの?』って、泣きながら言われたことがあってな」


その言葉に桜は目を丸くし、驚いた表情を浮かべた。


「お母さんが…そんなこと言ったの?」


秀臣は少し恥ずかしそうに笑いながらうなずいた。


「ああ。俺は何も悪いことしてないと思ってたけど、楓からすれば、俺が興味を持っていないように感じたんだろう。もっとちゃんと向き合ってほしいと泣かれたよ。あのとき、楓の気持ちをちゃんと考えられてなかったことを後で後悔した…」


桜はその話を聞いて、何かが胸に響いたようだった。自分と母親が同じ言葉を秀臣に言ったことに驚くと同時に、父親もまた、同じように悩みながら家族と向き合ってきたのだと気づいた。


「お父さん、私もお母さんみたいに、ちゃんと向き合ってほしかっただけなんだよ。仕事ばっかりじゃなくて…私のことを」


桜がそう言うと、秀臣は少しの間黙っていたが、やがて穏やかな笑顔を浮かべて、彼女に優しく言った。


「そうだな。お前のことも、楓のことも、俺なりに一生懸命考えてたつもりだったけど…やっぱり俺は不器用だな。すまない。でも、これからはもっとちゃんと向き合うよ。楓にはもうそれを言えないけど…桜には言えるからな。ちゃんと…一緒にいるから」


その言葉に、桜の目が少し潤んだ。秀臣もまた、不器用ながらも娘を大切に思っていたのだと、桜は今になって、ようやく理解できたのだった。


颯太は二人のやりとりを静かに見守りながら、家族の絆が深まる様子に胸が温かくなった。

颯太は静かに、しかし決意を込めて口を開いた。


「…いよいよ手術だね」


その言葉を聞いた瞬間、桜の明るかった表情がくもった。手術が明日に迫っていることはずっと意識していたが、こうして話に出されると、改めてその重さを感じてしまう。


「うん…」


と桜は小さく頷きながら、不安そうに目を伏せた。そんなとき、横にいた秀臣が深く息を吸い込むと、颯太のほうへ向き直り、真剣な表情で「よろしくお願いします」と言いながら、深く頭を下げた。

颯太は秀臣の思いの深さに触れたような気がした。これまで娘を必死に守り続けてきた父親の強さと、不器用ながらも精一杯向き合おうとする姿が、言葉とともに行動で伝わってきた。

桜も、父親が頭を下げる姿を見て、一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに彼女も小さく頭を下げた。


「よろしくお願いします」


桜の声は小さく震えていたが、生きるのを諦めたあの姿はどこにもない。秀臣はゆっくりと頭を上げ、桜の肩に優しく手を置いて言った。


「桜、大丈夫だ。お前は強い。楓も見守ってくれているはずだ」


桜はゆっくりと頷いた。

明日がどれほど大きな日であっても、家族の支えがある限り、自分は乗り越えられるという気持ちが、彼女の中で少しずつ育っているのだろう。


颯太は2人に頭を下げ、病室を出て、医局へ戻った。


(明日の手術の準備をもう一度しよう)


それを颯太の後ろでそっと見ていた真田先生は、颯太の背中が少したくましくなったような気持ちがして、そっとほほえんだ。


いよいよ、鈴木桜の手術の日がやってきた。病院の廊下は静まり返り、緊張感が漂っていた。午前11時。手術室には医師たちが集まり、準備が進められていた。

第一執刀医は、ベテランの木村先生。多くの心臓外科手術を手掛け、数々の命を救ってきた腕の良い医師だ。そして、第二執刀医は神崎颯太。彼もまた、桜の手術のために、日夜準備をしてきた。


手術開始前、木村先生は緊張している颯太の肩をポンと叩き、穏やかな声で話した


「頼りにしているよ」


「よろしくお願いします」


手術室の照明が強く灯され、いよいよ手術が始まった。

手術台には麻酔がきき、桜は眠っている。手術室は完全に静寂に包まれ、集中力が一層高まっていく。

木村先生が第一声を発した。


「人工心肺、準備完了ですか?バイタルは?」


「はい。問題ありません」


麻酔科医が確認し、人工心肺の準備が整ったことを報告する。木村先生は颯太を見つめ、小さく頷いた。


「始めます」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?