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第7話

石田君のリハビリを終え、颯太は鈴木桜の部屋をノックした。軽くノックの音が響くと、しばらくしてから「どうぞ」と桜の声が聞こえた。


「失礼します。神崎です」


と颯太が声をかけながら部屋に入ると、桜はリクライニングをしたベッドにもたれかかり、携帯電話を手にしていた。彼が入ってくるのを見て、桜はそっと携帯電話を伏せた。心電図モニターは装着されているが、今朝装着した酸素マスクは外れていて、顔色も昨日と同じくらいに回復している。


颯太は桜の横に置いてあった椅子に腰かけ、優しい笑顔で声をかけた。


「体調はどう?」


桜は少しだけ視線を上げ、少し戸惑ったように答えた。


「少しいいかな…。あの…」


言葉を探すように、桜は一瞬うつむいた。彼女の様子を見て、颯太はそっと椅子を引いて座った。


「体調悪い?ちょっと聴診してみようか」


颯太の穏やかな声に、桜は再び視線を上げ、頭を横にふった。そして、少し躊躇いながらも口を開いた。


「昨日も今朝もありがとうございました」


桜は静かに頭を下げた。

颯太は、また「ほっといて」と言われるかと思っていたので、桜の意外な言葉に驚いた。颯太は何も言えないでいると、桜は言葉を続けた。


「あと…今朝も変なことを言ってごめんなさい。お父さんのこととか…先生に関係ないのに…子供みたいにあんなに泣いちゃって…恥ずかしい」


桜は大きく溜息をついて話した。昨日の朝、病院で見かけたときから感じていたが、この子は人に心配をかけないように、迷惑をかけないようにとする心優しい子なのだ。そんな彼女が唯一心配してほしいと願う父親への不満が溢れ出してしまったのだろう。


それを、また、颯太に申し訳ないと謝るなんて…。


「いいんだ。…いいんだよ。…話してくれてありがとう。気持ちを話すのも大事なことだよ」


桜は再び視線を下に向け、静かに頷いた。


「はい…。でも、やっぱり、話すのは難しいな。今まで誰にも言えなかったことだから…」


「無理に話さなくてもいいんだ。少しずつ、自分のペースでいいから。僕はいつでも聞くから」


桜は少しだけ笑顔を見せ、「うん」と静かに返した。その笑顔に、颯太もほっとした。


「じゃあ、少し休んで、あと少しで検査に行かないといけないからゆっくりしててね。何かあったらすぐに呼んで」


桜は再び頷き、ベッドに横たわった。颯太は聴診器をあて、心雑音と不整脈を確認し、挨拶をして部屋を後にした。病室を出ると、颯太は自分の心が少し軽くなった気がした。


廊下に出て医局へ戻ろうとしていると、真田先生が耳元で囁いた。


「颯太」


颯太は驚いて立ち止まり、振り返った。


「っっ!!!びっくりしました…」


「あははは、久しぶりに驚かせたなぁ。桜ちゃん、だいぶ心をひらいてくれたんじゃないか?」


「そうでしょうか…。僕は何もできないです…はがゆいです…」


「お前の仕事はなんだ」


「…医者です」


そう。颯太は医者だ。心臓外科医。そして、桜は生まれつきファロー四兆候を患い、悪化して入院している。その病気を軽くできるのは医者だ。


「…俺、木村先生に桜ちゃんを助けたいこと。主治医になりたいこと話してきます」


「ああ。天才心臓外科医の俺もいるからな!一緒にやってやろう!」


「はい!」


颯太は早歩きで医局へ戻った。自分の役割。自分たちにしかできないことがある…。


颯太が医局に戻ると、木村先生が書類仕事をしていた。積み上げられたファイルの山を前に、木村先生は真剣な表情でパソコンに向かっている。

颯太はしばらく躊躇った後、意を決して声をかけた。


「木村先生、少しお時間よろしいでしょうか?」


木村先生は顔を上げて微笑んだ。


「もちろんだよ~。神崎君、どうしたの?」


「鈴木桜さんの治療に参加させていただきたいと思って…。彼女のことをもう少し深く理解して、治療の一助になれればと…」


木村先生はしばらく颯太の顔を見つめた後、にっこりと笑った。


「よかった。実は、今日桜ちゃんにその話をしたんだよ。桜ちゃんも神崎先生も主治医として関わってほしいって言ってた」


颯太は驚きと感動が入り混じった表情で木村先生を見つめた。


「…本当ですか?」


「うん。桜ちゃんも君のことを信頼しているみたいだ。一緒に治療していこう」


木村先生の言葉に、颯太は心からの感謝を込めて深く頭を下げた。


「ありがとうございます。精一杯頑張ります」


木村先生は頷き、書類の山から一部を取り出して颯太に渡した。


「まずはこれを読んでおいて。外来で一度説明していたけど、桜ちゃんの病歴や過去の治療経過だ。それから、彼女の精神的なサポートも大切だから、何か気づいたことがあったらすぐに教えてほしい。チームで共有していこう」


「わかりました。早速目を通します」


颯太は書類を受け取り、自分の机に戻り、ページをめくり始めた。桜の病歴や治療経過に目を通しながらこれからの治療計画を考えた。桜の笑顔を取り戻すために。


その日の夕方、勤務を終えた颯太が帰る時間となった。疲れた身体を引きずりながら医局を出ようとしたところで、背後から真田先生の声が響いた。


「颯太」


振り返ると、真田先生がいつもの笑みを浮かべて立っていた。


「お疲れ。今夜も料理をするんだろう?トレーニングを見ててやろうと思ってな。一緒に行こう」


颯太は少し驚いたが、すぐに笑顔で頷いた。


「はい。一緒に行きましょう」


二人は医局を出てエレベーターに乗り込んだ。すると、エレベーターのドアが閉まる直前に、鷹野先生がするっと滑り込んできた。彼は心臓外科のベテラン医師であり、颯太にとって少し苦手な存在だ。


「お疲れ様です、鷹野先生」


颯太が挨拶すると、鷹野先生は無表情で冷たい視線で颯太を見下ろした。


「…まだここにいたのか。残業してもたいして役に立たないんだ。給料の無駄だ。早く帰れ」


その言葉に、優しさなど一ミリも感じられない。心底いやなものを見るように鷹野先生は眉間にしわを寄せて目を細めた。


「…はい」


「あーあー、君には病院に迷惑をかける前に出て行ってほしいんだがね。数年前にもいたんだよ。心臓外科医で、手術を失敗して16歳の少年を殺してしまった医者がね。結局はひ・と・ご・ろ・しの医者だったんだ…」


颯太はその言葉にはっと振り返った。その反応を予測していたのか、鷹野先生は口元に、にやりと笑いを浮かべ、はっと鼻を鳴らした。


「そんなに睨んで…どうしたのかな?」


「…お疲れ様でした」


鷹野先生がまだ何かを言おうとしていたが、ちょうど1階に到着し颯太は真っ先に降りて歩き出した。普段であれば先輩を先におろすのだが、今の颯太にはそんな余裕などない。


(なぜ鷹野先生がそのことを…)


「はぁ…はぁ…」


何も考えず、一心不乱に歩いた。頭は真っ白で何も考えられない。そして…頭の芯が痺れている。


(父のことを…知っている…?)


物置の父の姿が頭にぱっと思い浮かんできた。

夕日のかげ…せみのこえ…物置のカビのにおい…そして、縄の音…


「はぁ…はぁ…はぁ…」


「…た!……た!……颯太!」


はっと立ち止まると目の前に真田先生が颯太を見つめていた。困ったやつだな、という顔で。


「真田先生…」


「…ひどい顔だぞ」


「はい…」


颯太は道路の端により、頭を抱えてしゃがみこんだ。

胸がどきどきと強く脈打っていて、収まる気配がない。


颯太はしばらくその場から動くことができなかった。


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