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第5話

翌朝。

颯太はいつもよりも少し早く病院に到着していた。目が覚めてしまったタイミングだったことと、やはり鈴木桜のことが気になったからだ。

病院の玄関を通り抜け、薄明かりの中を歩いていると、いつもの気配を感じた。立ち止まり、振り返ると、やはりそこには真田先生が立っていた。


「颯太、おはよう。ずいぶん早いな?」


「真田先生、おはようございます。はい。鈴木さんのことが気になって…」


颯太は正直に答えた。朝、見かけて木村先生に相談し、受診してもらった上に入院になってしまったのだ。戸惑っているだろう。

それに外来での嫌がる態度。父親をあの人、といった少し悲しそうな顔。自分と境遇が似ていることも気になっている原因のひとつだ。


真田先生はそれまでひょうひょうとして笑みを浮かべていたが、一転して難しい顔になった。


「…何かありましたか?」


と颯太が歩きながら尋ねると、真田先生は「うーん…」と口をつぐんだ。なんでもはっきりと意見や見解をいう真田先生が口をつぐむのは珍しい。よほど悪いのだろうか?もしかして、夜中に急変でもしたのだろうか?


「先生、何かあったんですか?」


「…いや、ちょっと気になることがあってな。でも、まだはっきりしたことは言えない。とにかく、桜さんの様子を見に行ってくれるか?」


真田先生の言葉に、颯太は心拍数が上がる。真田先生はそれだけいうと、ふっとどこかに消えてしまった。桜に何かあったのかもしれないと思い、急いで更衣室に向かい、白衣に着替えた。

真田先生が気になることがあるということは、何か重大なことが起きている可能性が高い。颯太は桜の病室へと足早に向かった。まだ早朝だ。職員も夜勤帯と早出の職員がちらほらいるだけの病院。しんとした独特の雰囲気が流れている。


ぱたぱたぱたと足音をならし、廊下と階段を駆け抜け、病棟のフロアに到着した。看護師たちは特にバタバタした様子はない。

そして、桜の病室の前で立ち止まった。心臓が高鳴る中、扉をそっとノックをする。返事はない。


「鈴木さん?」


声をかけてみるがやはり返事はない。悪いと思いながらも、そっとドアを開けて中に入った。静かな部屋の中、かすかにぐすぐすと泣き声を押し殺すような声が聞こえてくる。

桜は緊急入院だったので個室に入っていた。この部屋に患者は1人。泣いているのは桜だろう。

颯太はしばらく動けないでいたが、桜の呟くような、おしころすような声が耳に入ってきた。


「なんで娘が入院したのにすぐ来てくれないのよ…ありえないんだけど!そんなに仕事が大事?娘の体は心配じゃないんだ…どうせ私なんて…死んだらいいんだ」


桜は泣きながらぶつぶつと呟いている。孤独と不安がにじみ出ていた。


「鈴木さん…」


颯太はそっと声をかけようとしたが、タイミングを見失い、カーテンの後ろで立ち尽くしていた。桜はそのまま泣き続けている。颯太は桜の苦しみと孤独の声を聞きながら、自分の過去を思い出した。


父親が亡くなってから数年間、看護師として働いている母親が夜勤に出る夜は心細くて仕方がなかった。


中学生だったが、母親が仕事に行ってしまうとき、ぼーっとドアの前で待っていた夜もあった。高校生になると母親の苦労を理解できるようになって、夜勤の間は一人で過ごすことに慣れたが、それでも孤独感は消えなかった。


颯太はその記憶を思い出しながら、カーテンの向こうの桜を思った。彼女の辛さや孤独感が痛いほど伝わってくる。そっとしておこうと部屋を出ようとしたその時、桜の呼吸が急におかしくなった。泣きすぎて呼吸が苦しくなったのだろうか。


「鈴木さん!」


颯太はカーテンを開けて中に入り、急いで桜のベッドの横に駆け寄った。桜は颯太の顔を見ると、一瞬目を見開いて驚いた表情になったが、すっと逸らされた。

ぜーぜーと彼女の呼吸が荒く、目は赤くなり涙で潤んでいる。胸を押さえて苦しそうな表情を浮かべている桜を見て、颯太はナースコールのボタンを押した。


「大丈夫、すぐに看護師さんが来るからね」


颯太はできるだけ優しく声をかけながら、桜の手を握った。彼女の手は握り返すが力が弱く、冷たく震えていた。昼間していたネイルはすべて取っている。心臓疾患をもっている人によくみられる、わずかに先端がふくらんだバチ指となっているし、爪にもチアノーゼが出ている。濃い色のネイルもこれを隠すためだったのだろう。


「落ち着いて、ゆっくり呼吸して。吸って、吐いて…大丈夫だから」


しばらくして、看護師が駆けつけてきた。颯太は状況を簡潔に説明し、指示を出した。看護師は迅速に酸素マスクを用意して桜に装着した。


「鈴木さん、ゆっくり呼吸してくださいね。深呼吸です。そうです、落ち着いて」


看護師は穏やかな声で桜を落ち着かせながら、バイタルを測定していく。桜の呼吸は次第に落ち着きを取り戻し、荒い息が少しずつ整っていった。


「よし、いい感じです。もう少しそのままでね」


看護師が優しく声をかけ続ける中、颯太も桜の手を握り続けた。桜の涙はまだ止まらないが、呼吸は徐々に安定してきた。


颯太の言葉に、桜は微かに頷いた。看護師は一度桜の状態を確認し、必要な処置が終わると静かに部屋を出た。


「鈴木さん、もう大丈夫」


桜は涙を拭いながら、微かに微笑みを浮かべた。颯太はその表情を見て、ほっと息をついた。


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