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第10話

それは、桜の咲く春の日だった。


16歳の西浦栄真という男の子が入院してきた。彼は先天的な重い心疾患を患っており、緊急の治療が必要な状態だった。病院に運び込まれた彼のカルテには、「ファロー四徴症」と書かれていた。すでに手術をしなければ数年も生きられないというほどの重篤な状態だった。


どこの病院からも手術を断られているそうで、その間も西浦君は症状が重くなっているようだ。

鷹野はカルテを見つめながら、緊張した面持ちで神崎航太郎と黒沢の顔を交互に見た。


「西浦栄真君、16歳。重度のファロー四徴症です。すぐに手術が必要です」


鷹野の言葉に、神崎は真剣な表情で頷いた。


「私が手術を担当します」


神崎が毅然とした声で言った。しかし、黒沢はすぐに反論した。


「神崎、リスクが高すぎる。残念だが断ろう。俺たちの手には追えない」


二人の間に再び緊張が走った。鷹野はその場に立ち尽くし、どうすることもできなかった。


「黒沢先生、一刻の猶予もない状況なのをわかっているでしょう?西浦君は時間がないんですよ」


神崎は冷静に言い放った。その言葉に、鷹野も他の医師や看護師たちも心を動かされた様子だった。その様子に、黒沢は、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


「どうなっても知らないからな。責任はお前がすべて追うと約束しろ」


「わかりました。僕が全責任をとります」


それから手術の準備が急ピッチで進められた。鷹野は神崎とともに、西浦君の家族に手術の説明を行った。母親と父親は涙を浮かべ、何度も頷き話を聞いていた。


「先生、手術を了承してくださりありがとうございます…どうかよろしくお願いします」


西浦君は薄く目を開け、にこりと微笑むと、ささやくような声で、「おねがいします」と呟いた。神崎は西浦君の手を握ると、彼の隣にしゃがみこんだ。


「西浦君。神崎といいます。一緒に頑張ろう」


神崎航太郎は、常に患者と寄り添っている。ときには一緒に涙を流し悔しがり、ともに悩む。経過がいいときは家族のように喜び、抱きしめあう。そういう医者だった。

急ピッチに進んだ手術準備。検査結果は予想通り、一刻を争うものだった。

黒沢と神崎の対立、言い合いは前にもまして頻繁になっていた。二人の間にある緊張感は、病院全体に影響を及ぼしていた。そんな中で、ついに手術の日を迎えた。手術には神崎、黒沢、そして鷹野と木村が入ることになった。


手術室の中は、いつにもまして緊張感が漂っていた。西浦君は静かに眠っている。神崎は、冷静な表情で手術の準備を進めていた。


「始めます」


神崎の一声で手術が開始された。鷹野は、神崎の指示に従いながら、手術の進行を見守った。手術は順調に進んでいるように見えたが、緊張感は一瞬たりとも緩むことはなかった。

手術が進むにつれて、神崎と黒沢の対立が再び表面化した。手術中に意見が対立し、激しい言い争いが始まった。


「神崎、もっと慎重にやれ!」


「黒沢先生、今は最善の手法を取っているんです!」


二人の言い争いは手術室内の緊張をさらに高めた。鷹野と木村は、その様子を見ながら、どうすることもできなかった。手術は続行され、次第に緊張感が高まる中で進んでいった。


その時、突然手術室内に異常が発生した。心拍数が急激に乱れ始めたのだ。


「心拍数が乱れています!」


看護師の声が響く。神崎先生はすぐに対応を指示した。


「カルシウム注射、すぐに!」


黒沢も迅速に動き、薬を準備した。神崎は慎重に薬を投与し、手術を続けた。数分後、心拍数が安定し、手術は再び順調に進んだ。


「よし、問題ない。続けよう」


神崎の声に、手術室内の緊張が少し和らいだ。鷹野はその様子を見守りながら、彼らの冷静さと技術に感動していた。しかし、心の中には常に不安があった。本当に大丈夫なのだろうか…。


(あの時…)


鷹野は過去の出来事を思い返しながら神崎航太郎の字をなぞった。

その時、突然携帯電話が鳴り、鷹野の思考を現実に引き戻した。携帯の画面を見ると、黒沢からの着信だった。


「黒沢先生…」


鷹野は携帯を手に取り、緊張しながら通話ボタンを押した。


「鷹野です」


「鷹野、私だ。神崎航太郎の息子が旭光総合病院に入職したというのは本当か」


黒沢先生の声が低く響く。彼はすでに引退し退職しているが、その影響力は今もなお大きい。現在の院長も黒沢先生には逆らえないほどだ。


「はい。神崎航太郎の息子、神崎颯太が心臓外科医として入職しています」


しばしの沈黙が続いた後、黒沢先生は低く地を這うような声で言った。


「追い出せ。あの資料は見られてはいけない。わかっているだろう?」


「…はい。わかっています」


電話が切れると、鷹野は深いため息をついた。神崎颯太の履歴書を片付けながら、心の中に渦巻く不安と葛藤がさらに強くなっていくのを感じた。


「追い出せ、か…」


鷹野は呟きながら、履歴書を慎重に整理し、デスクの引き出しにしまった。彼の心の中には、神崎航太郎との過去の記憶と、黒沢先生の影が重くのしかかっていた。


神崎颯太は父親と同じく患者に寄り添い、患者を救うために全力を尽くしているようだ。

しかし、黒沢先生の命令に従わなければならない。


「はぁ…」


鷹野はデスクに座り、深く考え込んだ。いつまでも過去の影に囚われている。逃げることはできないのだろう。


その夜、医局の静けさの中で、鷹野は深い溜息をつき、暗闇に身を沈めた。

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