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第6話

「ただいまー」


「颯太、おかえりー。由芽ちゃん来てるよー」


家に着いたのは7時半。病院の玄関で真田先生と病院をどうやったら出られるかの実験にかなり時間をとられてしまっていた。


「お邪魔してます」


由芽がにっこりと微笑む。


「いらっしゃい。すぐご飯作るから待ってて」


「「ええっ?!」」


母親と由芽の声が重なり家に響く。

颯太は料理がからっきしダメな人だ。これまで料理は学校の調理実習くらいしかしたことはないのだ。

母親と由芽は目を合わせ、同時に眉間に皺をよせた。


「大丈夫だってー」


颯太は袋から鶏むね肉とジャガイモ、人参…ピーマン、ナス、玉ねぎ、トマトを取り出した。そして、カレー粉のパック。


「カレーだからさ!」


カレーならば滅多に失敗することはないだろうと母と由芽はあからさまにほっとして、颯太を見つめた。

そして、材料を一通り煮込んでいる間。颯太はおもむろに仕事バックから縫合セットを取り出した。


「颯太、それ…なにするの?」


「鶏肉で縫合練習」


そう。真田先生にアドバイスされた縫合練習の一環だ。食材も無駄にならないし、材料費もよぶんにかからない。帰り間際に言っていたのは、縫合練習におすすめの食材だった。


「ええ…」


母親が明らかにドン引きしているのが伝わるが、颯太はそれも無視して縫合練習にとりかかる。切った鶏肉を縫合していく。人間の心臓と質感が似ている。

丁寧に、素早く。ひとはりひとはり…。

鶏肉が終わったら今度はピーマン…そしてトマト、長ネギ…

カレーのことをすっかり忘れて縫合練習に集中し始めた颯太を苦笑いしながら、母と由芽がカレーを仕上げていた。結局、たっぷり1時間半、颯太は縫合練習を行っていた。


颯太が縫合練習を終える頃、カレーはちょうど仕上がっていた。母親と由芽は颯太が縫合練習に熱中する姿を見ながら、完成させたのだ。


「颯太、カレーできたよ。早く食べよう」


と母親が呼びかけた。


「うん。ありがとう!ちょうど縫合練習も終わったところ」


颯太は道具を片付け、手を洗って食卓に向かった。カレーの香ばしい香りが食欲をそそる。


「いただきます!」


三人は声を揃えて手を合わせた。


「うん、やっぱりカレーは最高だな」


颯太が一口食べて満足そうに言った。


「本当に美味しいね、由芽ちゃん。ありがとね」


と母親も笑顔で続ける。


「いえ、私もお手伝いできて嬉しいです。ごちそうになっちゃって…」


由芽はにっこりと微笑んだ。食事が進む中、颯太が口を開いた。


「今度から、早く帰れる日は僕が料理を頑張るよ。料理も少しずつ上手くなりたいし」


「それはいいわね、颯太。お母さん、感動」


母親はにっこりと微笑んだ。由芽も微笑みながら、


「颯太、私も応援してるよ。私も今度何か持ってくるね」


「ありがとう、由芽ちゃん。ついでに教えてあげてね」


すると母親がふと思い出したように、


「でもね、颯太、縫合練習に使った食材の紐、ちゃんと元に戻しなさいよ?」


「あ、忘れてた!」


颯太は慌てて立ち上がり、縫合練習に使った鶏肉や野菜を直し始めた。


「こういうのもちゃんと気をつけなきゃな」


と苦笑いしながら食材を元に戻す颯太を見て、母親と由芽も笑い出した。


「もう、颯太ったらそういうところ、小さいころから何も変わらないわ…」


母親が笑いながら言った。


「でも、こうして一緒に夕食を食べるのって、いいね。私、今一人暮らしだから嬉しいです」


由芽も笑顔で続ける。


「うん、これからも誘うよ」


三人は笑いながら、温かい雰囲気の中で夕食の時間を楽しんだ。


それからも、颯太を始め、旭光総合病院循環器科の医師・看護師たちの期待は虚しく、石田悠斗君の不整脈はおさまることがなかった。気が付けば、手術から3日が過ぎていた。


石田君の病室で、颯太は石田君の胸に聴診器をあてながら深く考え込んでいた。心電図には依然として不整脈の記録が続いている。手術翌日よりも、その次の日よりも頻度が増えている。颯太の心には不安と焦りが渦巻いていた。


「先生…大丈夫、ぼく、元気だよ」


石田君は懸命に元気そうに振る舞おうとしていたが、声には力がなく、苦しさがにじみ出ていた。


「悠斗君、君は本当に強い子だね」


颯太は優しく声をかけ、石田君の手をそっと握った。石田君の母親は神妙な面持ちで息子を見守っていた。


「先生、ぼく、走れるようになるんだよね?」


石田君の颯太を信頼する眼差し。颯太はその瞳に応えたくてたまらなかったが、現実は厳しいものだった。


「悠斗君、今はしっかり治療を受けて、体を元気にすることが一番大事だよ。君は強い子だから、きっと乗り越えられる」


颯太は言葉を選びながら答えた。石田君は頷き、少し微笑んだ。


「うん、がんばる」


石田君の手をそっとおろし、颯太は病室を出た。ドアを閉めようとした瞬間、石田君の母親が颯太を呼び止めた。


「神崎先生、少しお話できますか?」


「…はい、もちろんです」


颯太は石田君の母親と廊下に出て、静かな場所へ移動した。母親の顔には疲労とともに深い不安が浮かんでいた。

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