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第4話

「先生、ありがとうございました!」


「何かあったら電話でもいいので、遠慮なく連絡してくださいね」


颯太は、午前最後の患者さんを見送り、一息ついた。時刻は13時を回っている。今日も予定時間よりかなりオーバーしてしまったようだ。最後の患者さんのカルテを見ながら、残りわずかな缶コーヒーを飲んだ。


「この子も気になるんだけどなぁ…真田先生に相談してみようかな…」


独り言を呟いていると、院内専用の携帯電話が鳴った。表示されているのは木村先生だ。緊急手術が入ったのだろうかと思いながら電話に出た。


「はい、神崎です」


「神崎君、木村です。外来は終わったかな?すぐに石田君の部屋に来てくれるかな」


焦ってはいないようだが、木村先生の真剣な声に、颯太の背中に嫌な汗が流れる。颯太はすぐに立ち上がり、急いで石田君の病室へ向かった。病室に駆けつけると、木村先生と石田君の母親が心配そうに眠る石田君を見つめている。石田君の母親は不安そうな表情で、息子の手を握りしめていた。


「失礼します…木村先生、何かあったんですか?」


颯太が息を整えながら問いかけると、木村先生は静かに頷き、心電図のモニターを指差した。


「石田君の心電図を見て欲しいんだ」


木村先生が示した心電図の記録には、短い不整脈の波形が数回現れていた。颯太の胸に緊張が走る。


「これは…」


「そうだ、短い不整脈が数回起きている。今のところは深刻な問題ではないが、要注意だ。不整脈の有無をしっかりと観察してほしい」


石田君の母親は心配そうに木村先生と颯太を交互に見つめていた。


「先生、悠斗は大丈夫なんでしょうか?」


「まだ、なんとも言えない状況です。状態をしっかりと監視し、適切に対応しますからご安心ください」


颯太は石田君の母親に優しく微笑みかけたが、その心の中には依然として不安が渦巻いていた。石田君の状態を再度確認するためにベッドサイドに近づいた。


「異常音で看護師がかけつけて、病棟にいた僕が呼ばれてかけつけたんだけどね。不整脈が起きたときも、石田君はあまり症状はないようだった。…さきほど眠ってしまったようだ」


颯太は木村先生の言葉に頷きながら、心電図のモニターの履歴をたどる。そして、石田君の胸に聴診器を当てた。耳を澄ませて心音を聞くと、少しだけ乱れたリズムが感じられた。しかし、僅かな心音で、それ以上の異常は見当たらない。 颯太は石田君の手を握りしめた。


「大丈夫。僕も…木村先生も…みんなついてるからね」


木村先生はその様子を見守りながら、静かに部屋を出て行った。


「お母さん、些細なことでも構いません。気になることはすぐに教えてください」


颯太は石田君の母親を安心させるように、つとめて柔らかく笑顔を作り話した。その後ろ…部屋の入口で、真田先生が腕を組みながら、じっとモニターを見つめ、颯太の話が終わるのを待って、口を開いた。


「颯太、少し話がある。屋上に行こう」


真田先生の声に促され、颯太は石田君の病室を後にし、真田先生とともに屋上へ向かった。まだ夏の熱い風が吹く中、二人は屋上の隅に立った。


「石田君の不整脈、どうだった?」


「はい…まだ深刻ではないものの、心室中隔欠損後の不整脈にしては深刻かもしれません…」


「ああ。そうだな。まだ頻度が少なく。ハッキリとは言えないが、石田君の不整脈は心房細動のリスクが考えられる。このまま悪化していくと、血栓形成や脳梗塞などの合併症が起こる可能性がある」


真田先生は真剣な表情で続けた。


「心房細動は、心臓の上部にある心房が不規則に収縮することで、血液が心臓内で渦巻き、血栓が形成されやすくなる。その血栓が体内を移動し、脳に達すると脳梗塞を引き起こすリスクが高まるんだ。このような状態を防ぐためには、早急に対策を講じる必要がある」


颯太は真田先生の言葉をじっと聞き、頷いた。真田先生は続ける。


「心房細動の予防には、薬物療法も一つの手だ。抗凝固薬を使用することで、血栓の形成を抑制し、脳梗塞のリスクを減少させることができる。しかし、薬物療法だけでは不整脈そのものを完全に制御するのは難しい場合もある」


真田先生は一息つき、さらに詳細を説明した。


「この場合、ペースメーカーの埋め込みも視野に入れるべきだ。ペースメーカーは、心拍数を監視し、必要に応じて電気刺激を送ることで心拍数を調整し、不整脈を防ぐ役割を果たす。石田君のような若い患者にとっては、長期的に見ても非常に効果的な治療法だ」


颯太は下を向いた。石田君に「走れるようになる」と話してしまったことを思い出し、自責の念が胸を締め付けた。


「でも、僕は石田君に走れるようになるって約束してしまいました。ペースメーカーを入れるとなると、その夢が…」


真田先生は優しく頷き、颯太に近寄った。


「確かに、ペースメーカーの埋め込みは大きな決断だ。一生の問題だろう。しかし、最も大事なのは石田君の命を守ることだ。ペースメーカーを入れることで、石田君の心拍数を安定させ、将来的な心房細動や他の不整脈を予防することができる。適切なリハビリを行えば、ペースメーカーを入れても運動は可能なんだぞ」


真田先生はさらに続けた。


「ペースメーカーの技術も進歩している。現代のペースメーカーは小型で、患者の生活に大きな支障をきたすことは少ない。石田君が普通の生活を送れるように、そして夢を追い続けられるようにするためにも、最善の治療を選択することが重要だ」


真田先生の言葉に、颯太はじっと耳を傾け、深呼吸をした。


「…そうですね。石田君の命が最優先です。それに、僕もペースメーカーについて知識が足りなかったかもしれません。ペースメーカーの選択肢も視野に入れ、最善の治療を考えないといけませんよね」


真田先生は満足そうに微笑んだ。


「ああ、その意気だ、颯太。患者の命を守ることが医師の最優先事項だ。石田君の夢を叶えるためにも、全力でサポートしていこう」


颯太は力強く頷き、決意を新たにした。


「ありがとうございます、真田先生。これからもご指導よろしくお願いします」


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