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第3話

颯太が旭光総合病院に就職し、2週間が経った。

午前の診療を終え、医局から階段で5階まで昇っていると、上階から一人の看護師がパタパタとかけ降りてきた。彼女は忙しそうに書類を抱え、下を向いて足元だけを見ているようだ。

颯太に気付かず、猛スピードで降りてくる彼女の足音は、階段の狭い空間に響き渡る。

颯太は階段の途中で足を止め、その足音に一瞬注意を向けたが、次の瞬間、看護師は勢いよくぶつかった。猛烈な衝撃により、颯太はバランスを崩し、そのまま尻もちをついてしまった。痛みがじんわりと広がる。

看護師の方はというと、衝突の勢いで後ろに倒れ込み、持っていた書類が階段に散らばった。彼女は動きを止め、しばらくの間その場に座り込んでいた。

颯太は急いで彼女の方に目を向け、頭でも打ったのではないかと心配したが、どうやら大丈夫そうだ。

颯太は驚きながらも散らばった書類を集めながら、看護師の方を見上げた。彼女の顔にはどこか見覚えがあるが顔がよく見えない。

「あの、大丈夫ですか?」

座り込んでいた看護師はしばらく呆然としていたが、やがて目を見開き、颯太を指差した。

「そ、颯太?!」

 非常階段に響き渡る彼女の声。その声には懐かしさが込められており、颯太の記憶を一瞬にして引き戻した。

「由芽…?」

 階段を猛スピードで降りてきたのは、高校と大学の同級生で、大学ではサークルもずっと一緒だった霧島由芽だ。

当時の記憶が鮮明に蘇る。サークル時代は仲が良かったが、卒業してからはまったく連絡をとっていなかったので、どの病院に就職したのかなどまったく知らなかった。

「あー、もう、ほんとにごめん、ケガはない?ね、このあと休憩?地下1階のカフェでお昼食べながら話しをしようよ!ちょっと急ぎの用事終わらせてくるから、待ってて!」

由芽は一気に言葉をまくしたて、颯太が集めた資料を受け取り、ぱっと立ち上がった。

その動作は軽やかで、まるで昔のままの由芽を見ているようだ。彼女は手を振りながら、再び階段を駆け降りて行った。由芽がいなくなったあとの階段はまたしんとした静寂が流れる。

颯太は一瞬呆然としたが、由芽の姿が見えなくなると、ふと微笑んだ。彼女は学生のころからずっとバタバタとせわしなく動き回っていた。気が利いてなんでも率先してやってしまう子で、周囲からもよく頼りにされていた反面、落ち着きがないとよく先生に怒られているような活発な子だ。

颯太はその時の光景を思い出し、思わず笑みがこぼれた。由芽の変わらない性格に懐かしさを感じつつ、腕時計を確認すると、木村先生に言われた午後始業の時間までまだ余裕がある。

颯太は立ち上がり、地下1階のカフェへ向かうことにした。階段を降りる足音が静かに響き、心地よい疲労感が彼の体を包む。カフェテリアは落ち着いた雰囲気が漂っていた。昼のピークが過ぎたばかりなのか、あまり人はいない。颯太は普段お弁当を持ってきているので、このカフェテリアに来ることはなく、入店したのは初めてだった。

広々とした空間には、柔らかな音楽が静かに流れ、テーブルと椅子が並んでいる。颯太はカウンターでトレイにコーヒーを乗せた。コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐり、心が少し安らぐ空間だ。トレイを持ちながら、空いている席を探してカフェ内を歩き回った。

ゆったりとしたソファ席や円いテーブルの席、そして、静かに読書やパソコンに向かう人々の姿が見える。どの席に座ろうかと迷っていると、突然後ろから肩を叩かれた。

「颯太、お待たせ!」

振り返ると、由芽が階段で会った時よりも落ち着いた声で、笑顔を浮かべて話しかけてきた。

「ああ、お疲れ様」

由芽の顔にはさっき階段で会った時の、慌ただしさはなく、穏やかな表情が浮かんでいる。彼女の視線は颯太の手に持つトレイを見てから、カフェ内の端の席へと移動した。

颯太と由芽はカフェの端の席に向かい合わせに腰かけた。周囲の喧騒から少し離れたその場所は、二人がゆっくりと話せる静かな空間だ。由芽は颯太の顔をじっと見つめ、ふと微笑んだ。

「さっきはごめんね?ケガしてない?」

 由芽は眉を下げ、心配そうに颯太を上から下までじっくりと眺めた。

「大丈夫。由芽こそ、ケガしてない?危ないから前を向いておりような?」

颯太が笑いながら応えると、由芽はいたずらがバレたような顔をして笑った。その笑顔は大学にいたころを変わらず、あどけないままだ。

「それにしても、久しぶりだね。まさかこんなところで再会するとは思わなかった」

颯太は感慨深げに言った。

 「僕の方こそ思っても見なかったよ。由芽もここに就職してたんだな」

 「うん。新卒で就職してずっとここ。颯太は?海外に行くって言ってなかった?」

颯太は大学時代、医学部に進んだものの、医者になるかどうか最後まで悩んでいた。サークルの数名、本当に仲が良かったメンバーにはその悩みを相談していたので、由芽もそのことを覚えていたのだろう。

「うん。卒業して、研修医が終わった後、医学部の教授の紹介で、海外の病院をまわりながらちょっと放浪してたんだ。2年くらいかな。3カ国の10ヶ所の病院に行ったよ」

颯太は少しだけ目を伏せ、コーヒーカップを手に取った。コーヒーの香ばしい香りが彼の心を落ち着かせる。

「色んな国を回って、色んな人と出会って、もう一回医者としてやってみようかなって思ってさ」

 由芽は彼の話に耳を傾けながら、優しい表情で頷いた。由芽は普段バタバタしているイメージだが、非常に聞き上手で、相手の本音を聞き出すのに長けている。

「そうだったんだ。それで、ここに就職したんだね」

 「うん。まさか、こんな大きな病院に就職できると思ってなかったけどね」

 颯太はおどけたように笑うと、由芽は微笑んだ。

「また一緒に働けるなんて嬉しい。一緒に頑張ろうね。あれ?でも何科?」

「心臓外科」

 「ふーん、そっか。私は今小児科。来月から循環器科の病棟看護師に移動になるんだ!よろしくね、神崎先生!」

由芽がイタズラそうに笑いながら手を差し出すと、颯太も笑顔でその手を握り返した。彼の手はしっかりと温かく、由芽はその感触に安心感を覚えた。

「こちらこそ、よろしくね、颯太」

 と、再び微笑んだ。二人はしばらくお互いの手を握りしめたまま、再会の喜びを静かに噛みしめていた。

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