ギッギッギッ…
まだ暑さの残る9月のこの日、中学生の颯太は、物置から聞こえる奇妙な音に気が付いた。物置は1畳ほどしかないし、整理整頓が苦手な母は庭の物をそこへ詰め込む癖があったので、そこはいつもパンパンで、ドアを開けることはまずない。そんな物置のドアが少し開いている。
中に詰め込まれていた古い自転車や玩具、ボールや壊れた扇風機が物置の外に乱雑に転がっていて、颯太は不安な気持ちで物置に近寄った。何かが軋むような、うめき声のような音がかすかに聞こえている。
颯太は恐る恐るドアに手をかけて、一気に開いた。
「ひっ…」
ギッギッギッギッ…
颯太の開けたドアの振動で、それが揺れた。
「父さんっ!!」
天井からロープが垂れ、その先に揺れる父の姿があった。物置には窓がなく、颯太が開けたドアから差し込む夕日に、父の姿が長い影をともなって、浮かび上がった。カラスの鳴き声やツクツクボウシの声が一瞬で消え、颯太の目は父から離せなかった。
なぜ…どうして… 早く助けなきゃ…
頭ではそう思っているのに、体が動かない。
「と…とぉさん…」
颯太の叫び声を聞いた母親が家から飛び出してきた。ロープの先で変わり果てた夫の姿と、その前で崩れ落ち、茫然と涙を流す息子を見て、母はすぐに颯太の視界を遮るように抱きしめ、震える手で携帯電話を取り出し救急車を呼んだ。
心臓外科医として命を救い続けてきたはずの父は、その9月の日に自殺してしまった。
父が医者をやめたことは知っていた。そして、精神を病んでしまったことも。
しかし、地方のニュースで一時期狂ったように報道されていた医療ミスが、父のことだと知ったのは父が自殺した後だった。
父が心臓の手術をした16歳の男の子が、父のミスによって亡くなってしまったのだ。一緒に手術をしていた医者からのリークによって判明したこの医療ミスは、父が隠蔽しようと黙っていたことと、すぐに報告しなかったことを激しく責められたらしい。それから半年後に父は手術ができなくなり、一年後には医者をやめて自宅から精神科に通いながら過ごしていた。
それから数年間調子が良いときは家事をして夕食まで作ってくれて、看護師として忙しく働く母のかわりに主夫をしていた。小さいころは忙しくて一緒に過ごす時間が少なかった父と話ができるのが嬉しかった。そんな父が自殺するまで追い詰められているなんて、颯太はまったく知らなかったのだ。
ひっそりと父の葬儀を終えた。医者仲間はほとんど来なかったが、父のミスで亡くなった患者さんの弟さんが葬儀に来た。暴れたりバカにしたり暴言をはくこともなく、ただ静かに拝んでいた。帰り際、外まで見送った颯太に、
「兄は手術を何件も断られ、神崎先生がようやく請け負ってくれました。兄は、神崎先生に本当に感謝していました。伝えるのが遅くなってしまったばかりにこんなことになって…すみませんでした。」
彼は深々と頭を下げた。母と彼は何かやり取りをしていたが、颯太はあの頃の記憶はほとんどない。つらい記憶を意識的に封印しているのかもしれない。それからすぐに引っ越したので、新しい記憶に塗り替えられたのかもしれない。
あれから13年。
颯太は父と同じ心臓外科医として一歩を踏み出そうとしていた。