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6. 蓮の髪飾り

 さすが帝のおわす都。たくさんの店があり、人々の笑い声や屋台の食べ物の香りで満ちている。

「これは、なにを買うか決めてから見て回らないと、とても疲れるやつですね?」

「そうだな。たしか、日持ちのするもの、と言っていたか。それなら油で揚げたものは不向きか。猫の耳という揚げ菓子があるんだが」

「猫の耳?」

「ああ。サクサクとした、五香風味のものでな。味はもちろん、食感がいい」

 五香とは陳皮、桂皮シナモン、丁子、そのほかに山椒、花椒ホアジャオ、八角などの香辛料を混ぜたもののことだ。地域によって使われるものが異なるが、肉料理の下味に使われることが多い。

「それは、私が食べてみたいですね」

「じゃあ、あとで買うか。オレも久しぶりに食べたい」

 食べたことのない菓子に心が躍る。

「そういえば、浩然ハオランさんは初めてではないんですよね? ここに来るの」

「ああ。父親の手伝いで、何度か。……せっかくだから、そのとき寄った店にでも行ってみるか? 土産屋もあったはずだ」

「いいんですか? お願いします」

 林杏リンシンは浩然と並んで歩く。手を繋いでいるためか、2人のあいだを通るものはいない。おかげで迷子にならずにすんでいる。

晧月コウゲツさん、やっぱり頭いいよなあ)

 そんな晧月は今頃、宮殿内のあいさつ回りで忙しいだろう。

(そういえば7番目の御子って言ってたけど、ほかのご兄弟にはあいさつってするのかな? いやでも命狙われたりもしたって言ってたし、どうなんだろう?)

 もしも自分なら、そもそもあいさつに帰らない気がする。やはり命が惜しい。そう考えると、晧月はなかなか豪胆なのかもしれない。

 そのとき、浩然が立ち止まった。

「すまない。この店に寄っていいだろうか。妹に髪飾りを買いたい」

「もちろんです」

 浩然には妹がいるのか。意外な事実に内心驚きつつも、納得できた。

(だから贈り物が上手なのかもしれない)

 浩然と手を繋いだまま、店に入る。さまざまな髪飾りが並んでおり、手頃な値段の木でできたものから、宝石がついた高価なものまである。どうやら髪飾りの専門店のようだ。浩然は髪飾りを手にとると、時折林杏(リンシン)の頭に髪飾りをあてがった。おそらく髪飾りをつけた妹を想像しているのだろう。林杏は大人しくしていた。

 店内を一周すると、2つの髪飾りを手にとった。1つは木製で水仙が彫られたもの、もう1つは布でできた、蓮の飾りだ。桃色で愛らしく、水滴を模した数珠玉がついている。どちらの花も人気があるのか、店内の商品でも象(かたど)られている数が多かった気がする。

「会計をしてくる。ここで少し待っていてくれ」

「はい、わかりました」

 手を離すと、浩然は会計をするために店員のところに行った。林杏は近くにあった商品を見る。

(どれもかわいいなあ。でもやっぱり蓮が1番きれいかも。髪にも映えそうだし)

 木でできたものも、金属製のものも、違ったよさがある。そんな風に髪飾りを見ていると、小さな包みを2つ持った浩然が戻ってきた。

「待たせた。行くか」

「はい。それにしても、お土産はなにがいいんでしょうか」

「日持ちのするものか……ああ、罵り菓子があるか」

「の、罵り菓子?」

 とんでもない名前だ。どんな菓子なのか、まったく想像がつかない。浩然が教えてくれる。

「料理人が罵りながら作ったと言われる菓子でな。こちらも揚げ菓子だが、蜜を絡めているから、風味も落ちにくい。細く練った小麦を米のように小粒にしてから、作っている。四角い見た目は硬そうにも思えるが、食べてみると柔らかく、蜜が染み出てうまいんだ」

「へえ、じゃあそれにしてみます。でも、そんなにおいしそうなものを、罵りながら作るってどんな状況だったんでしょうか……」

「さあな。よほど腹が立ったんだろう。うまい店を知っている。行こう」

「はい」

 再び手を繋ぎ、罵り菓子を買いに向かった。

 歩いていると、菓子の屋台があった。浩然が丸みのある三角形の揚げ菓子を指して、「これが猫の耳だ」と教えてくれた。小さめの袋に入ったものを買い、2人で分け合う。

「サクサクしてますね。この風味も食欲を刺激してきて、ついつい手が伸びちゃいます」

「ああ。父はこれをツマミに酒を飲んでいた」

 猫の耳を食べながら、別の屋台や店を見て回り、浩然おすすめの店で、目的の罵り菓子も購入する。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、夕暮れとなってしまった。

「そろそろ宿に戻るか」

「はい。今日1日、本当にありがとうございました」

「そう言うのは、宿に着いてからにしておけ」

 浩然が握る手を強くしたように感じた。林杏は浩然の横顔を見る。これといった表情が浮かんでいないので、横目で尻尾を見てみると垂れていた。どうやら、観光が終わるのが悲しいようだ。

フェイ州の首都なんて、めったに来ることないもんな、浩然さんも楽しみにしてて当然か)

 本音を言えば、林杏もこの観光が終わるのが少し寂しい。見知らぬ土地で、初めて知ったものを食べるのは、とても楽しかった。

ごうに受かったら、またこんな風に歩けるかな?)

 そんな風に考えたり、浩然と雑談をしたりしながら歩いていると、いつの間にか宿に着いていた。夕飯の時間には少し早いようだ。隣同士の部屋の前で林杏は浩然に頭を下げた。

「浩然さん、今日は本当にありがとうございました」

「いや、こちらこそ。……林杏、手を出してくれ」

 林杏は首を傾げながら水をすくうような形で、両手を差し出した。すると小さな紙の袋が渡された。

「今日の記念に、とでも思っておいてくれ。それじゃあ」

 林杏が声をかける前に浩然は扉を開け、部屋の中に入ってしまった。

(また、いただきものをしてしまった)

 林杏もとりあえず部屋に入る。そして立ったまま袋の中身を確認すると、それは髪飾りだった。桃色の布でできた蓮の花で、水滴をかたどった水色の数珠玉が3つほどついている。店で気になっていたものだ。

(かわいいっ。え、これって私にだったの? も、もらってもいいの? 実はこの髪飾り、かわいいって思ってたんだよね)

 林杏はさっそくつけてみることにした。窓に自身を映し、確認する。顔周りが華やかになった。

(本当に、浩然さんって贈り物が上手だなあ)

 浩然の物と人を見る目に感心しながら、林杏はしばらく窓に映った自分を見ていた。


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