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19.自力で

 少しのあいだ、深緑シェンリュにどうやって不醒蓮ふせいれんのことを伝えるか考えていると、コトンと床になにかを置く音がした。

「とりあえずお茶でも飲んで、落ち着いたら? せっかく来てくれたんだから」

 母親が林杏の目の前に、湯呑みを置いた。水面に気むずかしそうな林杏の顔が映っている。

「今日はゆっくりできるの?」

 母親の質問に、林杏が首を横に振ると、母親は残念そうな顔をした。

「忙しいのね」

「そう、なのかな。あんまり意識したことないかも」

「それだけ充実しているってことだな。いいことじゃないか」

 父親はそう言って、湯呑みに口をつけた。

「まあ、ここはお前の家だ。いつでも帰ってきなさい」

「そうよ」

「ありがとう。父さん、母さん」

 林杏は普段よりもゆっくりお茶を飲むことにした。

 ゆっくり雑談をしながらお茶を飲んでいると、気がつくと湯呑みは空になっていた。

「私、そろそろ帰るね」

「そうか。気をつけて帰るんだよ」

 そう言う父親の微笑みは、やはり人を投げ飛ばすようには見えない。

 林杏は両親が見送るなか、道院へと戻った。


 自室に戻ると、林杏は寝台の上であぐらを組み、考えた。

(さて、どうやって深緑さんに不醒蓮のことを伝えるか。……とりあえず深緑さんの様子を見てみなくちゃ)

 林杏は千里眼を使い始める。

 深緑はちょうど箱の中身を再度確認しているところだった。観察するように見つめ、ふたを閉じた。

(もしかして深緑さんも、箱の中身を気にしてる? ああ、だったら、なおさら伝えたい。その花は不醒蓮で、効果が強まっているんですって)

 拳に力が入る。

 深緑が寝台のほうを見た。寝ている夢華モンファの体を揺らす。

「お姉さま、お姉さま、起きてください」

 しかし夢華の反応はない。深緑は小さく溜息を吐くと、自身の両方の頬を叩いた。まるでなにか決心するかのように。

 深緑は食事の用意をしている欣怡(シンイー)に尋ねた。

「この辺りで薬草が採れる場所はありますか?」

「薬草、ですか。どうでしょう。この周辺はどうしても、百花香に使う植物を育てている畑なんかが多いので、なんとも言えないです」

「そうですか、ありがとうございます。少し出てきますね」

 深緑はそう言って、玄関から外に出た。

 深緑は空を飛び、村から1番近い町にきた。そして薬局でいくつかの薬草を買い、すぐに戻った。

(深緑さん、なにをする気なんだろう?)

 夢華は病で目が覚めないのではない。そのため薬を作っても意味がない。

(ああ、なんとか、なんとか教える方法はないか?)

 しかし考えても林杏は、なにも思い浮かばなかった。

 深緑は夢華と明珠の家に戻ってくると、欣怡が用意した食事をとり、鍋などの道具を借りていた。なにを作るつもりなのだろうか。

 深緑は買ってきた薬草を細かく刻み、水を張った鍋の中に入れる。そして火にかけしばらく煮込んでいた。

(そういえば深緑さんが薬を作るのって、初めて見た)

 深緑は【】なので、薬を使うことなく治療ができる。そのため薬の知識はなくても問題ない。しかし深緑はいつの間にか薬草の知識も身につけていたようだ。

 湯に薬草が溶け、濃い緑色に染まると、深緑は鍋を火から上げた。冷めたのを確認すると湯呑みに注ぎ、夢華のもとに向かった。そして夢華の上半身を起こさせ、支えたまま作った薬を飲ませた。すると夢華は「ごほっごほっ」と咳をしながら目を覚ました。どうやら深緑が作ったのは、気つけ薬だったようだ。

「お姉さま、起きられましたか?」

「えっと、あなたはどなたですか?」

 深緑は背中を支えていた左手をそっと離しながら、自己紹介をした。

「私は深緑と申します。診療所を開いているのですが、明珠さんにあなたの治療をしてほしいと頼まれてきました」

 深緑は気つけ薬を両手で包み込むように持つと、まっすぐ夢華を見つめて尋ねた。

「お姉さま、あなたはわざと長時間眠っていましたね? なぜですか?」

 どうやら深緑は不醒蓮のことに気づいていたようだ。

(まさか自力で気づけたなんて)

 林杏は驚かずにはいられなかった。

 夢華は俯くと、ゆっくり首を縦に振った。

「なぜ、そんなことを? 明珠さんも心配されていますよ。わざわざ牛車と徒歩でわたくしのところまで、訪ねてきたんですから。男装までしていましたし、長い距離の移動は大変だったでしょう」

「そう、ですか」

 夢華の顔には、これといった表情が浮かんでいない。妹が自身のために深緑を訪ね、深緑もその思いに応えたというのに。

「どうぞ、お帰りください。ワタシはワタシの意思で、眠っているのです」

「それでは明珠さんに顔向けができません。理由を教えてください」

 深緑はまっすぐ夢華を見つめる。夢華は深緑と目を合わすことなく、ぽつりと答えた。

「眠っているあいだは、あの人に会えるんです」

「……亡くなった婚約者の方のことですか?」

「はい。ある日、夢の中に現れてくれたんです。なにを言っていたかは聞こえませんでしたが、眠ると必ず彼が会いにきてくれるんです」

「だからずっと眠っているんですね。そのお方に会うために」

「はい。眠っている時間だけが、ワタシにとって意味のあるものなんです」

 深緑はじいっと夢華を見つめる。

「お姉さま、あなたにとって明珠さんは、なんなのですか? ただの介護人ですか?」

 夢華はなにも言わない。深緑は言葉を続けた。

「明珠さんの人生を、心をずっと縛るおつもりですか? たった1人の家族を、ないがしろにするのですか?」

「ワタシだって、幸せになるはずだったんです。それなのに……」

 深緑がそっと夢華の背中をさすった。夢華は目を丸くして深緑を見る。

「もう会えない、というのは、悲しいことですね。人生を共に歩もうとしていた人ならば、なおのこと。けれどお姉さま、あなたには、まだ明珠さんがいるじゃないですか。それに、この家の留守を守ってくれるご友人も。あなたは……すべてを失ったわけではないんです。どうか、まだ一緒にいてくれている人に、目を向けてください」

「一緒にいてくれる人に、目を向ける。……そんなこと、できるはずないじゃないですか。彼がいなくなって、ワタシの世界の色は消えました。この世界にいる意味なんて、ないんです」

「お姉さま……」

 深緑はついに口を閉じてしまった。

「もう、いいでしょうか? 必要な花を摘んできて、また眠らないといけないんです。眠りさえすれば、彼とまた会えるんですから」

 今にも倒れそうな足どりで、夢華は部屋を出ようとする。深緑はそんな夢華の腕を掴んだ。

「もしもわたくしが、あなたの婚約者でしたら、こんな風にいつまでも囚われているのは、苦しくて耐えられません。お姉さま、あなたなら、どうですか? もしもあなたがこの世を去って、明珠さんがずっと泣いていたら。心配しませんか?」

 夢華の目が大きく開かれる。深緑の言葉が、夢華の心に芽吹いた瞬間だった。

「でも、彼を忘れたりなんて……」

「忘れなくて、いいんです。ただ、前を向いて歩き出せばいいだけなんです。そのお方と共に」

 夢華はその場に座り込み、涙を流しはじめた。そんな夢華を、深緑は抱きしめた。

 林杏は千里眼を終える。この様子なら、もう大丈夫だろう。

(深緑さんは、自力で不醒蓮のことに気づいて、対応した。……もう、あの家にいた頃とは違うんだ。私がわざわざ気を回さなくっても、もう平気なんだ)

 林杏は安心と、ほんの少しの寂しさを感じながら、目を閉じた。


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