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18.不醒蓮

 深緑シェンリュがしばらく黙っていたためか、欣怡シンイーが声をかけてきた。

「あの、夢華モンファの容態は、どうなんですか?」

 深緑は少し考えたようだが、説明をはじめた。

「お姉さまの体に、異常はありません。背中の気は少々乱れていましたが、問題ない範囲のものです。とても、落ち着いています。まるで心配ごとなど、ないかのように」

「そんな……」

 欣怡の表情が暗くなる。それはそうだろう、頼みの綱であったであろう深緑が、多くの医者と同じ診断を下したのだから。しかし、問題がないとしか言いようがないのだ。林杏リンシンでも同じように言っただろう。

「あの、こちらの箱は?」

 深緑は夢華の寝台の置物を指差した。木で作られているが、ふたには花びらのような形のすき間がいくつも開けられている。

「夢華の婚約者だった人が作ったものです。百花香ひゃっかこうという、この辺りでよく使われるものを入れるための箱かと。百花香は花びらや木片、香辛料などを混ぜた、匂い袋の中身のような感じと思っていただければ」

 匂い袋の中身を、箱の中に入れて楽しむ文化があるとは。やはりこの国、ワオ国は広い。知らないことばかりだ。

晧月コウゲツさんだったら、なにか知ってるかな?)

 林杏がそんなことを考えていると、深緑は欣怡に了承をとって、ふたを開けた。そこには1つの花がそのままの形で置かれていた。花は月日が経っているのか、すっかり茶色く枯れており、花びらの根本には小さな斑点がいくつもある。

(ん? この花、まさか不醒蓮ふせいれんじゃ?)

 不醒蓮は甘い香りで虫をおびき寄せ、眠らせているあいだに食べてしまう、食虫植物だ。蓮、とついているが咲くところは水辺に限らず、見た目が蓮のように何枚もの花びらが重なっていることから、そう名づけられたという。

(たしか蜜を飲めば安眠できたはず)

 林杏は使ったことないが、幼いころに父親が「その場で口にしてはいけないよ」と教えてくれたような気がする。

(まさか、花の香りって虫だけじゃなくって、人間にも効く?)

 しかし林杏が初めて不醒蓮を見たときには、そのような眠気には襲われなかった。どういうことなのだろうか。

(なにか条件があるのかもしれない)

 林杏がそう考えているあいだに、深緑はふたを閉じると、あることを尋ねた。

「お姉さまからも直接お話を伺いたいので、起きるまで滞在したいのですが、このあたりにお宿はありますか?」

「それでしたら、この家に滞在してください。明珠ミンジュもそのつもりのようでしたから」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

「こちらです。案内しますね」

 深緑は欣怡についていった。

 林杏は千里眼をやめる。

(不醒蓮について、もっと詳しく知りたいな。誰が知ってそうかな。……やっぱり父さんか)

 果たして試験中に実家に帰っていいものか、と思ったが、よくよく思い出してみると、深緑との手紙のやりとりで外出していたので、問題ないだろう。

(父さんのとこ、行ってみるか)

 林杏はさっそく実家へ向かった。


 空から見る久しぶりの故郷は、あちこちの畑で作物が実っている。林杏の両親の畑には誰もいない。昼食をとりながら休憩しているのかもしれない。家の前で着地して扉を3度叩く。

「父さん、母さん、いる? 林杏だけど」

「まあ、林杏?」

「帰ってきたのか?」

 両親の声が中から聞こえた直後、扉が開かれる。父が顔を出した。

「よく帰ってきたね、林杏。入りなさい、入りなさい」

「まあまあ、座りなさいな。お茶淹れるわね」

 林杏は家の中に入り、床に腰を下ろした。父親も右斜め前に座る。見るが星宇シンユーの姿がない。

「星宇は?」

「今日は用事があるらしい。それで、修行はどうなんだ?」

 父親の問いに林杏は素直に答えた。

「なかなか大変だけど、なんとかなっている。実は父さんに聞きたいことがあって」

「ほー、なんだい?」

「父さん、昔に不醒蓮のこと教えてくれたの、覚えてる? 不醒蓮について、もうちょっと教えてほしいんだけど」

 父親は腕を組んでうなった。

「父さんもそこまで詳しくないけど、それでもいいかい?」

「うん、わかる範囲で大丈夫」

 父親は不醒蓮について説明を始めた。

「不醒蓮は水辺に生える蓮でも、睡蓮でもないことは覚えてるね? あの花の蜜は甘くておいしいけど、舐めたらすぐに眠ってしまうくらい効き目が強い。それを利用して薬が作られることもあるけど、事故も多くてね」

「事故?」

 林杏の言葉に父親は頷く。

「山の中で蜜を舐めて寝てしまった結果、害獣に襲われるっていう事故さ。だから山の中で不醒蓮の蜜を舐めるのは、危険なんだ。あと風邪もひくしね」

 なるほど、たしかにそれは大変危険だ。林杏は知りたい事実について尋ねることにした。

「香りにも、蜜と同じくらいの効果はあったりする?」

「いや、それほど強くないはずだ。虫ならともかく、動物や人が嗅いだところでなんともないさ」

 やはり、そうか。それならば箱に入っていた不醒蓮は、関係ないのだろうか。

(でもあんな風に、しっかりと花の形が残っていたんだから、なにか意味があるはず)

 ふと、どうかと思い父に尋ねてみることにした。

「父さん、百花香って知ってる? 匂い袋の中身みたいなものを、箱に入れておくみたいなんだけど」

「ああ、そういえば行商人が昔言ってたな。あ、待てよ」

「どうしたの、父さん」

「たしか不醒蓮は特定の植物の近くで咲くと、香りが強くなるんだったかな。いくつか種類があるし、この山には生えないけどね。そうなると、嗅いだ人が眠ってしまうのもあり得るな」

 つまり、あの箱の中に不醒蓮の香りを強くする植物が入っていることになる。

(深緑さんに知らせなくちゃ。でも、どうやって知らせよう?)

 林杏は腕を組んで考え始めた。


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