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17.運の操作の機会

 翌日、深緑シェンリュの様子を見ていると、旅支度を始めていた。どうやら明珠ミンジュの家に向かうようだ。

「お待たせしました、明珠さん。牛車乗り場までお送りします」

「ありがとうございます。この辺りのことは、まったくわからなくて……」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 深緑は扉に貼り紙をした。


『しばらくのあいだ、別の地域へ治療に行っています』


 なるほど、たしかにこれなら不在がわかるだろう。

 深緑は歩きながら、明珠に尋ねた。

「お姉さまの症状は、いったいどのような状態でしょうか?」

 どうやら診察相手のことについて、情報整理をしようとしているらしい。明珠は少し俯いて答えた。

「最初は、風邪のように咳き込んでいるだけでした。しかし次第に熱が出る日が増えて、眠っている時間が今では15時間以上あるのです。どのお医者様に診てもらっても、悪いところはないって言われてしまい……」

 15時間以上の睡眠をとることなど、あり得るのか。そう考えた林杏だったが、自身も修業から帰ってきたときは、それくらい眠っていたので十分あり得る。

「お姉さまの人柄についても、教えていただけますか?」

「両親は流行り病で亡くなったので、唯一の家族です。優しくて、穏やかな人で。縁談もあったのですが、相手のお方が事故で亡くなってしまってからは、笑う日もなくなってしまって。我が姉のことながら、かわいそうで」

「お相手の方とは、仲がよかったのですか?」

「ええ。おしどり夫婦になるだろう、と誰もが思っていました。親同士が決めた縁談でしたが、お互いに美しい風景が好きで、よく夕日が沈む頃や晴天のときに、出かけていました」

 愛していた人の死。まだ経験のない林杏にとっては想像するしかできないが、さぞかし悲しかっただろう。

 牛車乗り場に着く。深緑は明珠が牛車に乗ったことを確認すると、人気ひとけの少ないところへ移動し、空を飛んだ。どうやら林杏が千里眼で見ていないうちに、家の場所を聞いていたようだ。

 深緑がいる町から、フェイ州まで、飛んでも3日以上かかるだろう。

(大丈夫かな、夜とか)

 春天山チュンティエンざんにいた頃も野宿だったが、人はいなかった。そのため夜盗などの警戒をする必要はなかったが、今回はそうもいかない。かといって、鳥のように枝の上で休めるわけでもない。

(私が千里眼で見張っておく、とか?)

 見張っていたとしても、異変を知らせるすべがない。さて、どうしたものか。

(直接会って、一緒に明珠の家まで行くわけにもいかない。うーん)

 誰かに相談するかと考えたとき、先日の晧月の言葉を思い出す。

『見守るっていうのは、目を離さず、危険なときには助けること。お前さんが言ったんじゃねえか』

 危険なとき。危険なときとは、どう判断すればいいのだ。女性が夜に野宿をするのは、危険に決まっている。ならば、なんとかするべきでは。いや、それとも……しないほうがいいのか。林杏の頭の中は、見守るという単語で埋め尽くされていく。わからない。見守る、とはどういうことなのか。

(深緑さんに、なにかあったらいけない。でも今は助けていいの?)

 少々過保護だろうか。しかし明珠の家まで、ずっと起きて異変がないか見るわけにもいかない。

(運の操作、したほうがいい、よね? そのほうが私も安心だし。そうだ、夜だけじゃなくって、昼間にも危険な目に遭わないように、いじっておこう)

 林杏は、そっと深緑の運を操作した。


 林杏が運を操作したおかげで、深緑はこれといった問題なく、輝州の明珠の家に着いた。運を操作していたとはいえ、なにがあるかわからない。身構えていた林杏も一安心である。

 深緑は一軒の家の扉を叩いた。すると20代半ばくらいの女性が中から出てきた。

「どちら様でしょうか?」

「初めまして。わたくし、深緑という者です。明珠さんからお姉さまのことをお聞きして、参りました」

「そうでしたか、アタシは明珠と彼女の姉――夢華モンファの友人で、欣怡シンイーといいます。明珠に頼まれて、留守番をしていました」

「お姉さまの様子を診ても?」

「もちろんです。お入りください」

 欣怡に通され、深緑は家の中に入った。姉妹2人で暮らすには広いので、彼女たちの両親が残した家なのかもしれない。

 深緑が案内されたのは、窓からしっかりと日差しが入り込む部屋だった。しかし寝台は窓から離れたところに置かれており、寝台の上には女性が眠っている。20代後半で、黒に近い茶色の長い髪は、まるで大きな扇のように広げられている。どうやらこの女性が明珠の姉、夢華のようだ。

 深緑は寝台に近づき、目を凝らして夢華を見る。深緑は首を傾げている。しかし焦っている様子はない。

(どうしたんだ?)

 林杏も夢華の気の巡りを見ることにした。背中辺りが少し乱れており――床ずれを起こしているのかもしれない――流れている気については問題がない。

(15時間も眠るような状態なのに、気の巡りにそれほど大きな問題はない。どういうこと? そうか、だから深緑さんは首を傾げてるのか)

 病に罹っていたり、気分が大きく落ち込んでいたりしていると、気の巡りは悪く、気そのものも細くなってしまう。気は体のこと、心のことを正確に表すのだ。つまり今、夢華は心穏やかで病にかかっていない。

(これは、やっぱり厄介なことになるかもしれない)

 林杏は背中の気を整えている深緑を見ながら、思った。


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