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14.納得

 晧月コウゲツの部屋の扉を叩くと、すぐに本人が出てきた。

「お、林杏リンシンじゃねえか。どうかしたのか? おい、犬野郎。林杏が来たぜ」

「なっ?」

 浩然ハオランの声が聞こえた。慌てたように聞こえるのはなぜだろうか。

「え、浩然さんもいるんですか? それならちょうどよかったです。見守っている人のことでご報告したいことがありまして」

「お、じゃあ入れよ」

「それじゃあ、お邪魔します」

 林杏が晧月の部屋に入ると、たしかに浩然がいた。椅子の側で立っている。

「こんにちは、浩然さん」

「ああ。よかったら座れ」

「俺の部屋なんだけど。まあいいや、座れ林杏」

 林杏は2人の言葉に甘えることにして、「失礼します」と椅子に腰を下ろした。まだほんのりと温かい。浩然が座っていたのだろうか。だとすれば、申し訳ないことをしてしまった。

「それで、俺らに報告したいことって?」

 晧月に促され、林杏は深緑のことを話す。

「浩然さん、ありがとうございました」

「いや、大したことはしていない」

「よかったじゃねえか。これで姉貴さんのことも一区切りついたし」

「ええ。でもなんだか、心がもやもやしてしまって、素直に喜べないんです」

 林杏は小さく溜息を吐いた。すると寝台に座っている晧月が、自身の太ももの上で頬杖をつきながら言った。

「それはある意味、当然だとは思うぜ? だってお前さんの言葉じゃなくって、第三者の言葉を受け入れたんだからな。お前さんは、お前さんの言葉を受け入れてほしかったんだよ」

 晧月の言葉はすとん、と腑に落ちた。

「だがまあ、仙人になったときのことを考えると、その感覚は捨てるべきだがな。すべての者に、言葉が届くとは限らん」

 浩然の言葉も、もっともだ。しかしどうすれば捨てられるというのか。どうせなら、相手には、いい人生を送ってほしいもの。悪い道に進んでいるならば止めなければ、と思うのが人の心ではないのだろうか。

 すると晧月が補足するように言った。

「まあ、でも相手がいい人生送ってほしいって気持ちはな、当然あるよな。だがよ、自分の声って意外と小さい。だから耳元で、はっきり言わなくちゃいけねえときもある。けど、それでも届かないときは届かない。それはな、誰のせいでもねえんだよ」

 一生懸命、言葉を届け続けている自分のせいでも、聞く耳をもたない相手のせいでもない。林杏の中で思い浮かばなかった考えではあるが、先ほどのような納得感は得られない。

「はっはっは。すぐには納得できねえわなあ。そりゃあそうだ。ま、届いたらいいかなーって軽い気持ちでいるのが、自分の精神安定のためでもあるぜ。相手と自分は違う人だからな」

 晧月の言っていることの意味は理解できたが、なぜか納得はできなかった。そんな気持ちがどうやら顔に出ていたらしく、晧月は笑いながら「まあ、難しいけどな」と続けた。

(晧月さんくらい、たくさんの人と出会えば、そんな風に思えるんだろうか)

 林杏は自身の経験の少なさを悔やむ。すると浩然が言った。

「だがまあ、お前が最初に忠告したり、手紙を書いたりしていなければ、その男の言葉も無視されただろう。やってきたことは無駄になっていない」

「そう、でしょうか」

「ああ。お前の言葉は届いていた。少し芽を出すのが遅かっただけだ」

 芽が出るのが遅かっただけ。浩然のその一言で心が幾分か軽くなった。

「ありがとうございます、浩然さん」

 林杏が笑みを浮かべると、浩然の後ろから尻尾が左右に揺れているのが、ちらりと見えている。

「犬野郎の言うとおりだ。お前さんの言葉がなかったら、姉貴さんはもっと長いあいだ、詐欺師男と一緒にいたかもしれないぜ? だからあんまし気にすんなよ。結果がよかったら、大丈夫だって」

 もしも、晧月や浩然の言うとおりなら、林杏の言葉が種のような形で深緑に届いていたなら。過程はそれほど急がなくてもいいのかもしれない。

「はい。ありがとうございます」

 やはり晧月と浩然は頼りになる。兄がいれば、このような雰囲気だったのだろうか。

 その後、少しだけ世間話をしてから林杏は自室に戻った。


 自室に戻って再び深緑の様子を見ることにした。深緑は竹簡の表面を削っているところだった。

(え、なんでまた?)

 もしやこちらへ手紙を書く気だろうか。いや、別の人物へ出すのかもしれない。林杏はそのまま深緑を見守ることにした。

 そして夜になって辺りが静まると、深緑は自身の家の前に竹簡を置いた。間違いない、林杏と浩然への手紙だ。夜明け前にとりに行くために、その日は早く寝た。


 翌日の夜明け前。林杏は深緑の家の前に着き、手紙を回収した。道院の自室に帰ってくると、竹簡を広げる。


『見知らぬあなた様


 お返事を待たずに筆をとっている、短気なわたくしをお許しください。

 わたくしは、波健ボージエンさんと別れました。波健さんについては、あなた様を含めてさまざまな人に忠告を受けました。最初、あなた様の言葉すら、まじめに受けとろうとしなかった。いえ、あなた様より先に忠告してくれていた、知り合いにすら、わたくしは失礼な態度をとってしまいました。

 聞く耳をもたなくって、申し訳ありませんでした。そして、それでもわたくしを見捨てずにいてくださって、ありがとうございます。あなた様がもし、もっと早い段階でこの文通をやめていたら、わたくしの人生はひどいものになっていたでしょう。

 どうか、直接お会いしてお礼を言わせていただけませんでしょうか』


 林杏は今までとは違う意味で、頭を抱えた。まさか、こうくるとは。いや、深緑の性格から考えれば予想できたことだ。さて、どうしたものか。

(とりあえず会えないって浩然さんに代筆してもらおう)

 林杏は浩然の部屋を訪ねようと思ったが、いまだに彼の部屋の場所を知らないことに気がつく。

(今日の朝食のときに相談しよう)

 林杏は朝食までもうひと眠りすることにした。


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