しばらくすると、最初に穴の外へ放り投げた蛇が戻ってきた。そして
「あ、ありがとう。また呼んだら来てくれる?」
蛇は頷くとその場を去った。このままにしておくわけにもいかないので、林杏は木綿の
「運び方まで指定するべきでした」
「まあ、そんなもんだ。気にすんな」
林杏がそう言うと
その直後、晧月と
「俺も他人事じゃなかったわ」
晧月は笑いながらそう言うと、服の裾の隅で食べ物を拭く。浩然も不満そうな表情で、晧月と同じようにしていた。
しばらく残りの蛇の帰りを待つ。蛇嫌いの
そのとき浩然が見上げた。
「戻ってきたようだぞ」
林杏も穴の縁を見る。そこには墨と筆を加えた蛇が1匹ずつ、そして硯を背中にのせている蛇3匹がこちらを見下ろしていた。なぜ最初の蛇のように下りてこないのだろうか。
(もしかしたら、物があるから進みにくいのかもしれない)
そう思った林杏は蛇たちの真下に移動した。
「順番に持ってきたものを私に投げて。まずは筆から」
すると左端にいた蛇が咥えていた筆を放り投げた。次に墨を咥えている、中央の蛇に声をかけ、投げさせた。きちんと受け止めると、最後に3匹の蛇に硯をこちらに落とすように指示を出した。蛇たちの力加減がよかったようで、きちんと林杏の手の中に落ちた。硯を割ったらどうしようかと内心どきどきしていたので、こっそり安堵の溜息を吐いた。
晧月は服の
「林杏、お前さんが食堂に手紙を書いてくれ。食堂の人と仲よかったろ」
「わかりました」
林杏は修行で出られないので蛇に
「おいで」
林杏の呼びかけに集まってきた中から、大きすぎず小さすぎない蛇を選び、手紙をくくりつけた。
「食堂に行って、体の手紙を届けてから、食料を預かってきて」
蛇が頷いたのを確認すると林杏は、穴の外に向かって蛇を投げた。
「いきなり蛇が行っても退治されそうな気もするが」
浩然の言葉も、もっともだ。しかし空腹を耐えるほうが辛い。
「じゃあ浩然さんだけ食事がなくてもいいんですね。それなら皆でその分を分け合いますが」
林杏がそう言うと浩然は「う……」と低く短い声を上げると、なにも言わなくなった。
(意外。なんか言い返してくるかと思ったけど)
林杏に助けられ、恩でも感じているのだろうか。それとも食事がほしいからだろうか。どちらかはわからないが、気まずい空気にならなくてほっとする。
林杏はふとあることに気づき、浩然にもう1度声をかけた。
「あの、体の調子とかどうですか? 痛いところとかはありませんか?」
すると浩然はぽかんとしたかと思えば、深々と溜息を吐いた。
「お前も蛇に噛まれただろう。人の心配をしている場合か?」
「私は大丈夫です。今からご飯もお肉もお魚も食べられます」
「いや、
「例えですよ、例え。なんでわからないんですか。真面目ですか」
「林杏、犬野郎みたいなやつは真面目っていうんじゃねえ。生真面目っていうんだ」
林杏と浩然の会話に、晧月が加わる。すると「うわーっ」と突然叫び声がした。振り返ってみると、仔空が目を大きく開いた状態で立ち上がった。
「無理です。もう無理です。こんな蛇ばっかりのところに7日間も……。しかもあなたたち、なんなんですか? のんきに話なんてして。こっちは辛くって仕方ないのに……」
林杏はどう答えようか迷った。ふと殺気を感じ、前方を見ると晧月からだった。林杏の位置からでは顔は見えないが、おそらく笑顔ではないだろう。すると意外にも最初に口を開いたのは、いまだに壁に張りついている可馨だった。
「じゃあ、さっさとやめれば? ワタシだって浮くのが苦手だけど、こうやってなんとかしてるんだし。自分が苦手ってだけで他人にまで迷惑かけたうえに、自分の思うようにしてもらおうなんて、わがままがすぎるんじゃない?」
おっとりとした話し方は姿を隠し、可馨は冷たい視線で仔空を刺す。
「ま、この修行やめたとして、あんたが次の段階に進むのは無理だろうけど。やめますって言ったら出してくれるんじゃない? さっさと出ていけば?」
まずい。空気が重くなってきている。どうしたものか。広いとはいえない穴の中で、険悪な空気でいるのは、気分もよくない。しかし今、言葉の選択を間違えてしまえば、ますます気まずい空気になってしまうだろう。
そもそもなぜこんなにも重苦しい空気になったのか。仔空の蛇嫌い、そんな仔空へのいらだち、そのほかにも原因はありそうだ。このまま重い空気が続くかと思うと、胃が痛くなる。
(待って、胃が痛くなるってことは、これから来るご飯が食べられなくなるってことでは?)
せっかく食事がとれるかもしれないという状況で、1人だけ食べられないのは実に苦しいのではないか。
(なにがなんでもこの空気をどうにかしなくちゃっ)
林杏は本格的に頭を使い始めた。