しばらく経っても体に落下の衝撃が伝わらない。代わりにぬくもりが全身を包んでいる。
「大丈夫か、林杏」
「へ? 晧月さん? どういうことです?」
晧月は人差し指で頭の上と体の下を指した。まず見上げてみると、そこには5人の天佑が立っており、4人は消え1人にもどった。どうやら分身までして、林杏たちを突き落としたらしい。
次に下を見る。晧月は瞬時に術を使ったのかあぐらを組んだ状態で浮いている。林杏はその中にすっぽりと収まっているようだ。そして真下には地面を覆いつくすほどの蛇がいた。数などわからない。人間にはできない、うねうねとした動きが大量にある状態は、なぜか見ているだけで鳥肌が立った。
晧月はなんとか蛇が届かない位置に浮いているようだ。しかし真下にいる蛇たちは噛みつこうと体を伸ばしてくる。
そのとき頭上から天佑の声がした。
「今日を含め7日間、その中で過ごす。それが今回の修業です。それでは、励みなさい」
なにが励みなさい、だ。林杏は次第に怒りが湧いてくる。
(せめて一言くらい声かけるべきじゃないの?)
そのとき、「ぎゃあっ」と短い悲鳴が上がった。声のしたほうを見ると、
(大変だっ。早く毒を抜かなくちゃ)
林杏は晧月の腕の中から飛び出した。足の裏で蛇を踏む。硬いのか軟らかいのか、なんともいえない感触を覚えながら、浩然のもとにかけ寄る。そして考えるよりも先に、浩然を囲むようにいた蛇たち10匹以上の気を同時に操作し、平伏させていた。なんとか噛まれなくなった晧前を見るが、体が黒く短い毛に覆われているせいで、どこを噛まれたのか見ただけではわからない。林杏はそっと浩然の脚を下から順番に触れていく。すると噛まれたようなへこみがあったので、そこに口をつけ毒を吸い出すと、飲み込まないように注意しながら吐き出した。
その作業を2、3度していると晧月がやってきた。
「林杏、それじゃあ間に合わねえ。気を操作して治してやんな。俺がこいつを持っとくから、お前さんが治してやれ。そこにいたらじきにお前さんまで噛まれるぞ」
晧月の言うとおりだ。晧月の言葉で少し冷静になった林杏は気を足元に集め、宙に浮いた。一定の高さまでいくと、見えない壁に阻まれるように浮き上がれない。それはちょうど、噛みつこうとする蛇が届くか届かないか、つまり晧月がいた高さくらいだった。
晧月が回収した浩然の気の巡りを見る。毒のせいであちこちが滞っており、気の量も少ない。滞っているところは紫色になっている。このままでは命を失ってしまう。
林杏は気の流れを操作し、紫色の淀みを取り除く。その後細い糸同士のように絡まっている気を手早く、けれど慎重に解いていった。すると浩然の呼吸が浅く速いものから、ゆっくりと深いものになっていった。
「もう大丈夫そうだな」
「はー、よかったです」
ほっと一息ついている林杏に、晧月はまるで妹を見守る兄のような笑みを浮かべて言った。
「お前さん、なんでまたこいつを助けたんだ? 俺たちをずーっと睨んで、敵意まんまんだったんだぜ?」
「そういえば、そうでした。……でもやっぱり、それとこれとは別かなーって。目の前で死なれたら、夢見が悪いですし」
「なるほどなあ。まったく、こいつも運がよかったなあ。林杏がいい奴で。……なあ、林杏、もしもこの犬野郎が俺らとつるみたいって言ったら、お前どうする?」
「は?」
晧月はそんなもしもを想像しているのか、ニヤニヤと笑っている。林杏もなんとなく想像してみる。睨むことなく、時々晧月と口喧嘩をして、修業を共に乗り越える。
「案外、楽しいかもしれませんね」
「ほお。意外な返事だな。お前さん、やっぱりいい奴だな」
「そうですか?」
林杏は浩然を見つめる。呼吸も安定してきたようだ。
「こいつも、じき目え覚ますだろうさ。さーて、7日間もどうするか」
晧月は周りを見回している。林杏もつい同じようにした。すると向かいの壁にはイタチ獣人の女性と人間の男性がそれぞれしがみついている。
「あの、晧月さん。私は全員で力を合わせて、この修行を乗り越えるべきだと思います」
「ほう、奇遇だな。俺もそう思ってたところだ」
「じゃあ、決まりですね。まずどうします?」
「あの2人に手を組まないか持ち掛けるのと、下の大量の蛇をどうするか話し合う必要があるな」
晧月の意見は的確だった。林杏も異論はない。しかしあることに気がつく。浩然だ。浩然は以前から林杏や晧月のことを敵対視しているのだ、簡単に首を縦に振るとは思えない。するとそんな考えが林杏の表情に出ていたのか、晧月がいたずらっ子のように笑った。
「こいつも大丈夫だろうぜ。なんだったら、俺がうまく(・・・)話してみるさ」
「じ、じゃあ、おねがいします。私はあちらのお2人に声をかけてきます」
林杏は宙を飛んで、2人がいる壁に近づいた。
「あの、ご提案があるのですが」
「あら、なあに?」
最初に口を開いたのは、イタチ獣人の女性だった。
「あ、その前に、この男の人助けてあげてくれる? さっきから腕が震えてて、限界が近いみたいなの」
「ええ、もちろん。さあ、掴まってください」
林杏は人間の男性に手を差し出した。震えていた男性は林杏の手をとると、下を見た。うごめく蛇たちがこちらを見ている。
「ぎゃああっ、蛇、蛇いっ」
「わ、ちょ、暴れないでっ」
男性は林杏を踏み台にして穴から出ようとしたせいで、林杏は体勢を崩してしまった。男性と共に落下する。
「いだっ」
「へ、蛇、蛇は嫌だああっ」
男性は叫びながら穴の中を逃げ回っている。そのせいで踏まれた蛇たちは男性に噛みつこうとしたり、男性を追いかけたりしていた。そんななか、林杏の周りや下にいる蛇たちも林杏に噛みつこうとしていた。噛まれないように足を動かしていると、壁際にまで追いやられる。
「林杏っ」
晧月の声。差し出された手を掴むと、力強く引き上げられた。
そのとき、足首に痛みを感じた。見ると1匹の蛇が、林杏を睨みながらふくらはぎの下のほうを噛んでいる。
(あ、やば)
しかし頭と体がうまく働かず、蛇を見つめることしかできなかった。この蛇の毒はとても強い。そのため故郷では畑を荒らす恐れがなくても、村に下りてこないように平伏させていた。そんな毒蛇に、噛まれた。
そのとき、晧月の腕が蛇を払ってくれた。噛まれたところが熱を持ち、鋭く痛む。故郷の山で滑り落ちたときや、月経など比ではない。あまりの痛みに林杏は晧月の胸の中に倒れ込んだ。
「林杏っ」
晧月が珍しく慌てている。
(ああ、早く、解毒、しなく、ちゃ。心配、させちゃ、う)
しかしあまりの痛みに、自身の気を見ることもできない。熱い、気持ち悪い、痛い。さまざまな感覚に体が支配され、頭が回らない。
「林杏、林杏っ」
林杏は声の主であろう晧月を見ようとした。しかし全身を駆け巡る痛みのせいで、目を開くことができない。
「待ってろ、すぐに治してやるっ」
晧月がそう言うと、林杏の気の流れが操作され始めた。以前の試験で操作されたときのような不快感はなく、少しずつ痛みや吐き気が治まってくる。すると体の力が抜けていき、晧月の体のぬくもりが心地よくて、意識が薄れていった。