朝食前に
「そういうことなら林杏、先に姉貴さんの運上げとけ。今のままだと姉貴さん、路頭に迷っちまうぜ」
晧月にそう助言され、林杏は朝食を手短に済ませ自室に戻ってきた。千里眼で姉を見る。ちょうど姉も朝食の時間のようだ。林杏は食事をしている姉の運の流れを見る。赤く流れているのが、姉の運だ。運の流れの速さは少々ゆっくりに感じられた。指先に気を集める。
(どうか、姉さんが
林杏の指先の気が姉の体に吸い込まれていく。すると体を巡っている運の速度は上がり、色味も濃くなった。
(これでよし)
林杏は千里眼を解き、晧月の部屋へ向かった。
扉を3度叩く。
「晧月さん、林杏です」
名乗るとすぐに扉が開いた。
「お、姉貴さんのほうは終わったか?」
「はい」
「んじゃ、次はこっちだな。入れよ」
林杏は「失礼します」とあいさつをして、晧月の部屋に入った。
「いやあ、まさか姉貴さんと親を引き離すのに、前世のお前さんを売ったって事実で逮捕させようとは、考えたもんだな」
「以前の晧月さんの言葉を思い出しまして」
この道院の階段を上っているとき、晧月は「あんたの前世の両親をしょっぴくこともできるかもしれんが、どうする?」と言ってくれた。そのときの林杏は気が向いたら、と答え、本当はどうこうするつもりはなかった。
しかし姉が幸せになるには、本当の意味で運を上げるためには、前世の両親と引き離さなければいけない。できれば永遠に。そこで林杏の前世、
この国では人身売買は禁止されていて、科される罰も大変重い。一生牢獄暮らし、つまり終身刑が妥当だ、と晧月から教えてもらった。何代も前の帝の子どもが人身売買にあってしまったため、禁止されたらしい。ちなみに以前は死刑で、近頃ようやく刑罰が軽くなったそうだ。
「さーて、じゃあお前さんの前世の両親と、売られてからのことを教えてもらうぜ」
晧月は筆と竹簡を机の上に用意し、林杏は彼の寝台に腰を下ろした。
林杏は杏花としての人生のことを話した。感情は加えず、客観的な事実だけを話す。時折晧月から質問されることもあったが、林杏は正直に答えた。
「ふむふむ、なるほどな。でも年月経ってるから証拠は出にくそうだな」
「私の発言だけでは、やはり根拠が弱いですよね」
「いや、爺さんのところにいた下女から調べさせるわ。ほかの愛人たちは冥婚で亡くなってるだろうしな。それに最悪、自供させればいい」
前世の両親が簡単に口を割るだろうか。そんな風に考えているのが伝わったのか、晧月は続けて言った。
「自供させる方法なんて、いくらでもあるんだよ」
その目に浮かんだのは見たことのない光。暗く、狡猾さを含んでいる。林杏は普段の明るい晧月との差に背筋がぞくりとした。
「……なんてな。さて、と。じゃあ俺はこの竹簡を渡してくるわ。林杏は部屋に戻っときな」
「あ、は、はい。よろしくお願いします」
林杏は立ち上がって頭を下げた。一瞬自分もついていったほうが追加の証言ができるのでは、とも思ったが、晧月の背筋が凍るような目つきが忘れられなかったので、大人しく待つことにした。
自室に戻ると林杏は椅子に座り、ぼうっと考えた。
(あの晧月さんでも、あんなに怖い目つきするんだ。でもこれで姉さんが幸せになれる。運も上げたからあまり困らないはず。……あ、運を操作したこと、報告しなくちゃ)
林杏は姉の運を操作するように指示してきた、
天佑に報告するとしばらく待機するように言われた。具体的に何日か指示されていないため、どう過ごすか考えたが答えは出なかった。
天佑への報告の2日後、晧月が林杏の部屋を訪ねてきた。
「お前さんの前世の親だがな、無事逮捕できるぜ。今日にでも役人が立ち入り捜査するってよ。時間的にはそろそろだな。あの爺さんの罪も暴けそうだ。あんがとな」
「いえ、そんな。私のほうがお礼を言わなくちゃいけません。ありがとうございます」
「まあ、そういうわけだからまた姉貴さんの様子でも見てみな。ああ、あと俺も運の操作、したぜ。ほんじゃ、俺はこれで」
晧月が部屋を去ると、林杏は早速千里眼を使った。
前世の家を見ると役人たちが来て騒がしかった。前世の両親は激しく抵抗しており、役人たちに取り押さえられている。予想どおりだ。姉の様子を見ることにする。
姉の部屋には2人の役人がいた。足を縛られた状態で座っている姉に事情を聴いているようだった。しばらくすると役人が姉の縄をほどき、移動させた。どうやら役所で詳しく事情を聴かれるようだ。
ふと姉が空を見上げた。林杏と目が合う。偶然だろうか。いや、姉は生まれつき仙人の力を持つ存在、【
千里眼で人の心を見ることまではできない。けれど表情から察するに、姉は嬉しいようだ。
(これから姉さんは幸せになる。そんな姉さんが、少しでも困りませんように)
姉の姿がその場から見えなくなると、林杏は千里眼をやめた。
次の日の朝。天佑に呼ばれ金の像がある建物に向かった。そこには晧月のほかに人間の男性が1人、イタチの獣人女性が1人、そして先日晧月と喧嘩になった犬の獣人——たしか
天佑はやってくると1列に並んだ林杏たちの前に立った。
「あなたたちは試験に合格しました」
天佑の言葉を聞いて林杏は身が引き締まる思いだった。
(これで、
しかし天佑が続けて言ったのは、予想外の内容だった。
「よって、劫による転生者であるあなたたちには、新たな修行に参加してもらいます」
「「え?」」
その場にいた半分以上が同時に間の抜けた声を上げる。しかし天佑の表情は変わらない。
「午後からは新たな修行について説明をします。昼食を終えたらここに来るように」
天佑が去るなか、林杏は状況をすぐに飲み込めず、その場でしばらく突っ立っていた。
通常修業編・終わり