目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
27.深緑の意思

 最初は暗闇に目が慣れていなかったので辺りが見えにくかったが、今はだいぶ景色が見えるようになってきた。空を飛びながら前世の家を目指す。

 前世のときは家のこと以外にも、当時の両親や姉の身の回りを整えたり家畜の世話をしたりしていた。寒い冬は冷たい水であかぎれがひどくなり、暑い夏には意識がぼうっとするなか家のことをしていた。

 前世にはいい思い出はない。姉のおかげで林杏リンシン杏花シンファとして物心がつく頃には家の敷地内に井戸があり、部屋や家具も豪奢だった。梅の花も咲いていた気がする。しかしそんななか林杏は下女よりもひどい環境で働かされた。前世の両親が見栄っ張りでありつつも、支出を少しでも減らしたいと考える人間だったからだ。

 ひと際広い家が見えてくる。庭の片隅に井戸、大きな木に、ぽつんと離れたところにある部屋が1つ。

(着いた)

 林杏はゆっくり降下していく。そして離れたところにある部屋の窓辺に着地した。窓から部屋の中を覗くが、寝台が膨らんでいることしかわからない。

(とりあえず開けてもらうか)

 林杏は窓を小さく、しかし聞こえるような加減で叩いた。3度ずつ叩き、1拍の間を開ける。3度開け、1拍の間。そんな風に窓を叩き続けていると、人影がこちらに近づいてきた。窓が開く。

「誰?」

 色白で艶やかな黒髪、寝ぼけ眼だがその美しさは損なわれていない。間違いない、前世の姉である深緑シェンリュだ。

「え、本当に誰……?」

 今の林杏は彼女の妹であった頃と容姿も声もまったく違っている。そのことに気がついた林杏は簡単に自己紹介をすることにした。

「私は仙人の見習いとして修行をしている者です。あなたの運勢を変化させることになりました。だから教えてほしいのです。両親の庇護を手放してでも自由になるか、今の生活を続けたいかどうかを」

 林杏の言葉を聞いた姉はぽかんとしている。

「あの、どうしてこんな時間に?」

「申し訳ありません。昼間ですとあなたの両親に邪魔されるだろうと考え、この時間に。私はあなたの心の底から湧き出る本音を聞きたいのです」

「わたしの、本音……。そうだわ、こんなところではなんですし、どうぞ中にお入りになってください」

 この時間に現れた人間を部屋に招くとは。強盗だったらどうするつもりなのだろうか、と心配になりながらも、林杏は姉の部屋に足を踏み入れた。家具があるらしきところは影が濃い。

 深緑がろうそくに火を灯そうとするのを、林杏は止めた。

「私が来たことは、あなたの両親に知られたくありません。どうか、この暗さのままで」

「わ、わかりました」

 林杏は姉に寝台に腰かけるように言った。姉は腰を下ろすと林杏を見上げた。

「もう1度問います。ここで衣食住が安定した状態ながらもずっとこの部屋にいるか、大変な思いをしながらでも、心の自由をとるか。どちらにしますか?」

 大半の者はすぐには決められないだろう。しかし林杏は最低限の関わりで済ませたかったので、その場で答えを出してほしかった。苦しかった前世を思い出してしまうから。

 しかし意外にも姉の決断は早かった。

「自由が、ほしいです」

「なぜです?」

 林杏がそう尋ねると、姉はゆっくりと瞬きをした。

「妹がいました。今は嫁いだらしいので会っていませんが」

 嫁いだ。前世の両親は姉にそのような説明をしているようだ。

(大金を得ておいてよく言うもんだ)

 林杏がそんなことを感じているとも知らず、姉は続きを語る。

「昔からわたしはこの部屋から出られません。今はほどいていますが、普段は足を縛られ動けないようにされています。嫁ぐときに足は小さいほうがいいから、と。でも1度だけ、外に出たことがあるんです。妹がこっそりわたしの縄をほどいて『外に行こうよ』と誘ってくれました」

 姉もあの出来事を覚えていたとは。林杏は内心驚いた。

「初めて見る星はとてもきれいで、風は気持ちよかった。目に見えるもの、触れるものすべてがどれも新鮮で、とても楽しかった。……あんな日々を毎日送れたら、と何度思ったことでしょうか」

「ですが、今のように食べ物を十分に得られて、肌触りのいい服は着られなくなります。なにもかも、自分でしなければいけません。食事の用意、掃除や洗濯。そして生きていくにはお金がいります。あなたはお金の稼ぎ方も、働き方も知りません。それでも、両親から離れて自由を望みますか?」

「はい」

 迷いのない、まっすぐな眼差しとはっきりとした声。そんな姉を見つめ、林杏は決めた。

「わかりました。それではあなたを幸運にしましょう。……それでは失礼します」

 林杏は窓から外に出ると、空を飛んで道院を目指した。

(意外にも生活の裕福さと心の自由は違うのかもしれない)

 林杏は姉の顔を思い出しながら飛び続けた。


 帰ってきた林杏は寝台に潜り、目を閉じた。気持ちが昂っているので眠られるか心配だったが、気がつくと朝になっていた。

 しかし気がついてしまった。姉と前世の両親をどう引き離すか、考えなければいけないことに。しかし姉の思いを知ったのだから、それほど難しく考えなくてもいいのかもしれない。

 そのとき部屋の扉が叩かれた。

「おーい、林杏、いるかー? 晧月コウゲツだ。飯行こうぜー」

「あ、はーい。ちょっと待ってくださーい」

 林杏は急いで身なりを整えた。ふと、以前の晧月の言葉を思い出す。

(これなら姉さんは一生、前世の両親あのひとたちと離れられるかもしれない)

 林杏は勢いよく扉を開けた。

「晧月さんっ」

「うお、びっくりした。な、なんだ?」

「折り入ってお願いが」

 林杏はニヤリと笑った。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?