いつもの鐘の音で、
「呼びに行こうと思ってたとこだ。飯だ飯」
受付の列に並んでいると、前にいる晧月が林杏のほうを振り向いて尋ねてきた。
「体調どうだ?」
「だいぶ落ち着いてきました。ありがとうございます。……姉の様子を見ました」
晧月は少し目を見開いたあと、「そうか」と一言返事をした。林杏はどう言葉を続けようか迷った。しかし素直に気持ちを吐き出すことにする。
「姉は相変わらず
そのとき晧月が受付の者に「
「林杏はよ、どうしたいんだ? 姉貴さんのこと」
「どう、とは?」
「そのまんまだぜ? 復讐のために運を下げて痛い目にあわせたいのか、それとも一生両親に利用されるように、あえて軽く運を上げて、幸運の象徴とかにして逃げられない苦しみを体験させるのか。それとも……姉貴さんを助けたいのか」
「姉を、助ける……」
林杏は姉の顔を思い浮かべた。両親に利用されているとも知らず、ひたすら部屋に閉じこめられている。羽をもがれた鳥、とでも言うのだろうか。決して1人でなにもできないように世話を焼かれ、嫁入りのためという理由で動けなくされている。なんて哀れなのだろうか。人のぬくもりも、優しさも、なにも知らない姉。
晧月が干し肉を飲み込み、言った。
「まあ、答えを探すのが先だろうな。林杏、他人に嘘つくのは時と場合によっちゃあ必要だが、自分に嘘をつくのは必要じゃねえ。だから、正しい正しくないっていうより、お前さんがどうしたいか考えな」
晧月は次の干し肉を噛みながら、林杏に助言をくれた。林杏も干し肉を口に運ぶ。姉のことを考え始めたせいか、いつもより味が薄く感じた。
次の日の朝、林杏は千里眼でもう1度姉を見ることにした。椅子に腰かける。
すぐ瞼の裏に姉が映った。ちょうど朝食のようで、温めて味つけした豆乳と揚げた麩を食べており、食器の縁は金で彩られている。豆乳をレンゲで口に運んだ姉は、小さく溜息を吐いた。その表情は暗い。
食事を終えると、姉は前世の両親が連れてきた人を癒し続けた。
ふと思い出したのは、幼い頃に抜け出したときのことだった。月の光を浴びていた姉は笑っていた。しかし今の姉にその面影はない。
林杏は千里眼をやめる。
(きっと姉さんは、長いあいだ笑っていない。楽しいという感情を味わっていない。……そんなの寂しすぎる)
記憶の奥から聞こえるのは姉の弾けるような笑い声と、「ありがとうね、杏花(シンファ)」と前世の林杏に対する礼。
(私は……姉さんにまた笑ってほしい、気がする)
林杏はゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。
尋ねたのは晧月の部屋。扉を3度叩くと、部屋から晧月が現れた。
「こんにちは。今よろしいでしょうか?」
「おう、珍しいな。まあ、入りな」
晧月に促され、部屋に足を踏み入れる。家具も配置も林杏の部屋と同じはずなのに、なぜか晧月の部屋だとわかる。
「座りな。んで、どうしたんだ?」
林杏は「失礼します」と断りを入れて椅子に腰を下ろし、用件を話す。
「実は姉の運を上げようかと思いまして」
「ほう」
「昔1度だけ、真夜中に姉と外に出たことがありまして。そのときのように、笑ってほしいと思ったんです。だから、運を上げようかと」
「なるほどなあ。……よし、じゃあ俺が占ってやるよ。姉貴さんの運を上げるとどうなるか」
「え、でもいいんですか? そんなことして」
林杏が不安げに尋ねると、晧月はにやりと笑った。
「なんにも言われてねえから大丈夫だって。禁止なら前もって言うだろ」
晧月は自身の荷物の中から占い道具を出して、寝台の上に広げた。何本もの細い棒を2つに分けたり、2本ずつ取り除いたりしている。晧月は占いの力を生まれ持っているといっていたので、結果に間違いはないだろう。
しばらくして晧月は難しい表情を浮かべながら、口を開いた。
「どうやら姉貴さんは、親といる限りは幸せにはなれねえな。いつまでも金づるのままだ」
「そんな」
「もしも姉貴さんの笑顔を取り戻すんなら、両親から離れなくちゃいけねえな」
林杏の心の中で決心が揺らぐ音がした。
姉は今まで人を癒すこと以外、なにもしてこなかった。両親がいなくなり、金銭もなくなったら姉は生きていけないだろう。
「林杏?」
晧月に声をかけられて林杏は、はっとした。
「占ってくださって、ありがとうございます。……やっぱりもう少し、考えてみます」
林杏は晧月にお辞儀をすると、自室に戻った。
先ほどまでの、どこか晴れやかだった気持ちは姿を消していた。