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23.食堂の喧嘩、再び

 晧月コウゲツに様々な話をしてもらったその日は、気がつくと眠っていた。どうやら彼の話を聞いているあいだに眠ってしまったらしく、目が覚めると白湯の入った水差しと、飲みかけの白湯が入った湯呑みが机の上に残っていた。

 ぼうっとした頭で水差しを見つめる。晧月の姿はない。ゆっくり起き上がると、体の上に服がかかっていた。服がずり落ちた。大きさから考えて晧月のものだろう。

(わざわざかけてくれたのか)

 晧月自身も試験があるなか、林杏リンシンのことを気遣ってくれた晧月には、感謝の気持ちしかない。

(試験のこと、ちゃんと考えなくちゃ)

 頭ではそう思っているのに、心が拒否している。なぜこんなにも拒否反応が出るのか。

(ああ、そうか。今は幸せだから、辛かったときのことを思い出したくないんだ)

 しかしここで諦めてしまっては、仙人になることはできない。進まなくては。

(そういえば、姉さんはどんな人だったっけ)

 前世の姉の顔は整っていたような気がする。白い肌、小さな足、ぎょくのように美しく丸い目。幼い頃は両親に可愛がられていたのが、とても羨ましかった。姉はなにもせず、両親が連れてきた人々を癒せばいいだけだった。

 そういえば幼い頃、両親の目を盗んで姉と外に出かけたことがあったような。夜中だった。外に出たことがない姉を可哀想に思い、声をかけたような気がする。意外にも姉は、外に出た。外に出てなにをしたかは記憶にないが、楽しそうに見えたのを覚えている。

 しかし成長し、9歳くらいになった頃か。姉の態度が急に冷たくなったのだ。叩かれたことや刃物のような言葉を吐かれたこともあった。とても戸惑ったが、今思うとおそらく両親の影響だろう。出歩けない姉にとって、両親は唯一の存在で情報源。絶対的な存在。滅多に会わない妹より、両親の影響を受けるのは当然だ。

(そういえば、姉さんは今も前世の両親あのひとたちと共にいるんだろうか)

 そんなことを考えていると、朝食を知らせる鐘が鳴った。

(ああ、ごはんだけでも食べとかなくちゃ。……そういえば昨日夕飯食べ損なったな)

 林杏は髪を結い、食堂に行こうとした。扉を開けると、そこには空中でゆるく拳をつくっていた晧月と鉢合わせた。

「うおっ、びっくりした」

「晧月さん」

「起きてたのか。飯に誘おうと思ったんだよ。行こうぜ」

「はい。わざわざありがとうございます」

 林杏と晧月は一緒に食堂へ向かった。


 食堂は今日も修行者でいっぱいだった。受付の列に並ぶと、林杏はあることを思い出した。

「あの晧月さん、昨日は申し訳ありませんでした。話の途中で眠ってしまって。しかも上着まで。洗って返しますね」

「そこまで気にしなくっていいんだぜ、別に。あのまんまだったら、風邪ひいちまうからな」

「ありがとうございます。おかげでだいぶ気が紛れました」

「そうかそうか、そりゃあよかった。だがまあ、あんまり無理はしすぎんなよ」

「はい、ありがとうございます」

 話していると、受付の順番が回ってきた。いつものように干し肉と干した果物を受けとる。空いている席に並んで座り食事をとっていると、晧月が尋ねてきた。

「姉貴さんがどんな人なのかって聞いていいか?」

 林杏の咀嚼が一瞬止まる。しかしすぐに再び干し肉を噛み始めた。

「人柄は、あまりわかりません。接した機会がほとんどないので。姉は【】だった。そして両親にとって金のなる木だったから、大切にされた。姉のことを羨ましいと思った時期もありましたが、結局私は売られ、愛でられるためだけに生かされた。私が売られたということを、姉が知っているかどうかもわかりません。あまり気にしていないでしょうし」

 前世の人生はお世辞にもいいものとは言えない。しかし今世はとても幸せだ。両親に愛され、友もいる。前世で得られなかったものすべてが手に入っている。

「でも今世は人や家族にとても恵まれました。だから前世の両親のことはどうでもいいと思っていたんです。でも……姉に対しては考えないようにしていたのかもしれません」

 しかし向かい合う機会がきた。それならば、考えなくてはいけないのだろう。

 話を聴いた晧月が「なるほどな」と頷いた。

「前にも言ったが、とりあえずは姉貴さんの現状を見てから、だな。林杏、自分が考えないようにしてたことと向き合うのは、結構キツいからよ。いつでも頼れな」

「はい、ありがとうございます」

 林杏が干した果物に手を伸ばそうとしたとき、背後から声が聞こえた。

「くだらん」

 振り返ると、そこには黒い犬の獣人がいた。いつも林杏や晧月を睨んでくる、あの犬の獣人だ。

「たった1人の運を操作するのに、そんなに悩むとは。さすがつるむことしかできない、弱者だな。俺には理解できん」

 いつもの林杏なら睨み返したり、言い返したりしただろう。しかし今はそんな元気も気力もない。すると晧月が口を開いた。

「俺もわからねえなあ。人が真剣に悩んでんのに、からかったり馬鹿にしたりするのを強いって勘違いしてるやつの気持ちがな」

 犬の獣人と晧月のあいだに険悪な空気が流れる。一触即発、とはまさにこのことだろう。

「晧月さん、大丈夫ですから」

「林杏、俺はな、友達を馬鹿にされて黙ってるほど大人しくねえんだ」

 晧月が腰を上げると、犬の獣人も目つきを鋭くしながら立ち上がった。一呼吸置くと、2人は同時に殴り合った。周りにいた人たちが慌てて逃げだす。

「晧月さん、やめてくださいっ」

 晧月の返事はなく、犬の獣人と拳をぶつけ合っている。殴り、殴られを繰り返している両者をどうにかして止めたいが、2人も同時に平伏の術を使ったことはない。どちらかの動きを止めるだけだと、一方的に攻撃される恐れがあるので、なるべく同時に動きを止めなくてはいけない。

(こ、こうなったら、やるしかないっ)

 林杏が平伏の術を使おうとした、そのとき。晧月と犬の獣人の動きがぴたりと止まり、平伏をした。

「ずいぶんと血気盛んな人が多いですね、近頃は」

 声がした方向を見ると、そこには天佑チンヨウが立っていた。どうやら天佑が平伏の術を使ったようだ。

「なぜこのようなことになっているか、話を聴く必要がありますね。晧月さん、浩然ハオランさん、こちらに来なさい」

 どうやら犬の獣人は浩然というらしい。晧月と浩然は互いに睨みながら、天佑について行った。

 そのとき、食堂勤めのウサギの獣人が「はいはーい」と言いながら、こちらにやってきた。

「お片付けするので、しばらくは別の場所をお使いくださいなー」

 ウサギの獣人が転がった木製の食器を回収したり、こぼれた食べ物を掃除したりし始めた。林杏も遠くに飛んだ食べ物を拾う。するとウサギの獣人が「あらあら」とこちらに気がついた。

「あら、あなた。ありがとう。でもあなたのごはんの時間、減っちゃうでしょ。いいわよいいわよ」

「あ、いえ。今回は……私が原因でもあるので」

「あら、どういうこと?」

 林杏は手を動かしながら、簡単に事情を説明した。するとウサギの獣人は頬をふくらませて怒った。

「女の子にこんな顔させるなんて、あの2人ったら許せないわ。まったく」

「いえ、晧月さんは……白虎の獣人のほうは、私のために怒ってくれたんです」

「でも、あなたは悲しい気持ちになっているでしょ? それならあなたのためには、なってないわ。いい? 今回のことは、あなたのせいじゃないからね? 1番悪いのはあなたに悪口を言った人。次に悪いのは、その喧嘩を買ったお友達よ」

「そう、でしょうか」

「そうよ」

 林杏はいろんな人に申し訳ないと思いながら、片づけを手伝った。


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