自室に戻ってきた
(姉さんの運を操作する。上げるか下げるかは問わない……。姉さんの運を、私が操作する)
ぼうっと頭にいろんな考えが浮かんでいるのに任せていると、扉が3度叩かれた。
「
「あ、はい。どうぞ」
ゆっくりと起き上がる。晧月が入ってきたので立ち上がろうとすると、晧月から「ああ、そのまんま」と止められた。
「まだキツいだろ。横になっときな」
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
「なに言ってんだ、まだ顔色悪いぞ。それからこれ、食堂で白湯もらってきたから、飲めるようになったら飲めよ」
「はい。あの、そんなに顔色悪いです?」
林杏が尋ねると、晧月は大きく頷いた。
「今までに見たことないくらい、青白いぜ。落ち着くまでゆっくりしてな」
そう言って晧月は林杏に背を向けた。いつもなら喋ってばかりで、休ませてくれない晧月が退室しようとしている。普段なら特になにも思わないが、今日はなんとなく側にいてほしかった。
「いつもみたいに、話してくれませんか?」
晧月は林杏の言葉を聞くと、微笑んで椅子に座った。
「いいぜ。なに話す?」
「なんでもいいです。楽しい話なら」
「そうか。じゃあ、俺の故郷にいた、変り者の話をするか」
晧月の故郷はこの
「どんな変り者だったんですか? その人」
「すごく美しい絵を描く嬢ちゃんだったんだがな、1度集中すると食うのも寝るのも忘れてなあ。飯も近所の飴屋のサンザシ飴しか食べねえんだよ。だが、あの嬢ちゃんの墨絵は見事なもんだった。描かれたものがまるで生きているみたいだったんだ」
林杏はその絵描きの女性に興味を持った。
「どんなものを描いてたんですか? その人」
「鳥ばっか描いてたな。飛んでるのも、羽を休めてるのも」
故郷にいる
「俺は嬢ちゃんの名前すら知らないが、いい絵だったよ。濃淡の使い分けが見事で、嬢ちゃんの絵が欲しいっていうやつも多かった。でも売らなかったんだ」
「それだけすごい絵を描くのに?」
「ああ。1度、なんで売らないのか聞いたんだ。そしたらなんて答えたと思う?」
「さあ」
「鳥はアタシの魂だから、魂を売るわけにはいかないってな」
「鳥の絵が、魂」
林杏にはない発想だった。しかしそれならばなぜ絵を描いているのだろうか。その考えが晧月にも伝わったようで、晧月は続けて言った。
「俺も思わず、金のためじゃないんなら、なんで描いてるんだって聞いちまった。生きていくには金がいるからな。そしたら嬢ちゃんはな、手を動かしながら答えたんだ。『私の心の器が壊れないように』って。その言葉の意味は、いまだに理解ができないが、嬢ちゃんにとってはすげえ大事なことみたいでな」
「なんだか、不思議な考え方の人ですね」
「ああ。でも茶目っ気もあってなあ。わざと実在しない鳥も描いてたんだよ」
実在しない鳥も描けるとは、観察眼だけでなく想像力も優れた人のようだ。
「ちょっと見てみたかったです、その、実在しない鳥の絵」
「じゃあ、仙人になったら行ってみるかあ。あの嬢ちゃんのことだから、死ぬまで描いてるだろ」
仙人になったら、という晧月の言葉で林杏は、姉のことを思い出した。
「そう、ですね。……そういえば、今回の試験は期限ってありましたっけ?」
「いや、明言はされてねえ。だからどれだけ時間がかかっても早く終わらせても、特になにも言われないだろうよ」
林杏は内心ほっとした。まだ姉の運について決められる気がしない。
「だから別に、今日1日くらい休んだって平気だろうよ。そうだ、白湯飲んどけ」
そう言って晧月は持ってきた水差しと湯呑みを手にとり、白湯を注ぐと林杏に手渡してくれた。林杏は礼を言って湯呑みを受けとった。まだほんのりと暖かく、自然と肩の力が抜けた。
「まだしゃべったほうがいいか?」
林杏は返事に困った。晧月に迷惑をかけるべきではない、と思ってはいるが、1人でいると気分が落ち込んでいきそうだ。
そんな林杏の気持ちを見抜いたらしい晧月は、小さく笑った。
「じゃあ、次はその飴屋の親父についてでも話すか。あの親父はなかなか世話好きでな」
「そういう人、どこにでもいるんですね。うちでは村長がそうでした」
村長のほっとする笑顔を思い出す。視野の広い人で、村人たちの異変にすぐ気づいた。
晧月は続きを話す。
「人でも動物でも、なんでも世話焼いてなあ。腹すかせた子どもがいたらタダで飴やるし、そこらへんに痩せ細った犬がいたら、自分の飯も分けちまうくらいお人好しなんだ。まあ、そのせいで厄介ごとに巻き込まれることも多いんだけどな」
「厄介ごと……例えばどんなものでしたか?」
「そうだなあ、どれも強烈ではあったんだが。……そうだ、あれがなかなか大変だったな。爆薬のやつ」
「え、なんですかそれ。気になるじゃないですか」
林杏が食いつくと、晧月はニヤリと笑い話し始めた。
「飴屋の親父はな、全然知らないやつから『荷物を預かってくれ』って言われてな。それで預かっちまったんだ。んでたまたま、中身が見えちまった。それが爆薬だったんだ」
帝がおわす輝州で爆薬。穏やかではない。
「飴屋の親父は慌てて役人を呼んだ。それで荷物の持ち主の人相を教えたんだ。そしたらなんと、末端の役人だったんだ」
「ええっ。役人が爆薬を? 輝州ってそんなに物騒なところなんですか?」
陽州の都市部にすら滅多に行かない林杏にとっては、信じられない話だ。
「まあ、人が多いから物騒なこともあるが、楽しくはあるぜ。俺は割と好きだがな」
「そうですか。あ、それでその末端の役人はどうなったんですか?」
「まあ、牢獄行きだわな。幸いにも上の役人は不正が嫌いなやつだったから。飴屋の親父も、濡れ衣をきせられることなく、解放された」
「よかったです」
見ず知らずの人のことだが、林杏は安心した。すると別の疑問が浮かぶ。
「でもなんでその末端の役人は、爆薬なんて危険なものを持ち込んだんですか?」
「その末端の役人な、実は指名手配されてる組織の構成員だったんだ。帝を襲うための準備段階として爆薬を用意したそうだ。すべて白状させた結果、組織は壊滅。飴屋の親父は役所からちょっとしたご褒美をもらったんだと」
まさかの話の流れに林杏は「はー、すごい」としか言えなかった。
「だよなあ。俺も最初は驚いた。でも飴屋の親父らしい展開だと思ったわ」
晧月は1度言葉を切る。そして1呼吸分の間を空けると、再び口を開いた。
「輝州にも、この土地にも、いろんなやつがいる。お茶目なやつ、まじめなやつ。要領がいいやつ、丁寧なやつ。だからこそ、内側に籠るのはもったいない。いろんなやつと出会って、話して、世界を広げないとな」
「仙人になったら霊峰に住むんですから、世界の広さは関係ないのでは?」
林杏がそう言うと、晧月は首を横に振った。
「世界が広いとな、いろんな考え方、感じ方を味わえる。どうせならおもしろく生きたほうが得じゃねえか」
「晧月さんって、本当に退屈とか嫌いですよね」
「はっはっは。ややこしいことが多い日々だったから、どうしてもなあ。……退屈はな、よくねえんだよ。心を暗く、しょーもない方向へ持っていっちまう」
晧月はそう言うと、苦笑を浮かべた。なにか心当たりがあるようだ。
「さーて、ほかになにを話そうか。そうだなあ……道具屋の兄ちゃんと果物屋の姉ちゃんのじれったい恋の話とかどうだ?」
「どれだけ顔広んですか。晧月さん、町の人全員と知り合いだ、とか言い出しません?」
「ははは、さすがにそこまでじゃあないが、まあ知り合いは多いな」
晧月から湯呑みを渡すよう、手を差し出される。林杏は軽く頭を下げ、湯呑みを渡した。晧月から白湯の入った湯呑みを再び受けとり、口をつける。
その後も、晧月の知人たちの話は続いた。そのあいだ林杏は、前世の姉のことを思い出さずに済んだ。