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18.父のこと

 月見の次の日に行われた修行は、遠く離れた場所を見るものだった。いわゆる千里眼である。今日の指導者は天佑《チンヨウ》だ。

「遠くを見るには同時に2つのことをする必要があります。まず1つは見たいと思う場所を思い浮かべること、もう1つは目に気を集中させることです。そうすれば想像していることと目の気が繋がり、望む場所が見えるようになります。それではやってみなさい」

 林杏リンシンは天佑の合図で、故郷を思い出す。山があり、あちこちで畑が耕されている、あの村を。両親や友人の星宇シンユーはどうしているだろうか。

 目を閉じながらも、気を集める。すると目を閉じているのにも関わらず、見覚えのある風景が見えてきた。故郷だ。父親と母親、そして星宇が雑草を抜いたり作物を収穫したりしている。

(ああ、よかった。皆元気そう。……あれ。父さん、足引きずってる? 捻挫でもしたのかな)

 林杏はそのまま3人を見続ける。最近まで自分も同じことをしていたのに、懐かしく感じる。

「はい、それではやめ。できたものは私のところに来て、見たところの様子を説明するように」

 天佑の指示に従い、林杏は彼のもとへ行き、1列に並んで報告した。

 報告が終わってしばらくすると、昼食を知らせる鐘が鳴った。午前中の修行が終わると、林杏のところに晧月コウゲツがやってきた。

「林杏はどこを見たんだ?」

「故郷を。両親と友人が元気かどうか確認したくて。晧月さんのご両親は元気でしたか?」

「ん? ああ、元気なんじゃねえかな。訃報きてねえし」

「故郷を見たんじゃないんですか?」

「故郷っちゃあ故郷だな。町を見てた。贔屓にしてた店のじいさんと孫は仲直りしたかなあとか、嬢ちゃんも大きくなったなあ、とか。それより飯行こうぜ」

 晧月にそう言われ、林杏も食堂に向かった。話題をそらされたのだと、午前中の修行が終わってから気がついた。


 その後も林杏は次々と修行をこなした。火の中に入るもの、暗いところで気を明かりに変えるもの、平伏の術、占い。どれも前世の経験のおかげですぐに習得できた。

 特に平伏の術は幼いころから行なってきたので、まったく困ることはなかった。占いの術を生まれ持っている晧月は「修行なしになんねえかなあ」とぼやいていた。

 この日の修行は、病を治す修行だった。生まれつき仙人の力を持つ存在、【】だった前世の姉のもとに、さまざまな病を抱えた人々が押し寄せていたことを思い出す。

 仙人の、病を治す力を求める者は多い。仙人がありがたられるのは、この病を治す力が大きい、と林杏は思っている。

 今日の指導者は内丹術を教えてくれた女性の指導者だった。

「病は気の滞りや乱れが原因なのは、わかっているな。そのため病を治すには、気の流れを整える必要がある。まずは自身の気の流れを整えてみろ。始め」

 林杏は自分の気の流れを観察する。子宮の気の流れは、ほかのところと反対に巡っているが少し乱れかけている。

(まずは自分の子宮に手を当てて意識しやすくする。ゆらいでいる気を整えて……)

 林杏は自身の下腹部をそっと撫でた。手のぬくもりを感じながら、子宮を巡っている気の乱れを整える。

(|女丹《じょたん》もずっとし続けなくちゃいけないから、面倒なんだよなあ。いいなあ、男の人は)

 ぼんやりとそんなことを思っていると、女性の指導者から次の指示が出された。

「今から他人を治してもらう。順番に治す相手の名前を言うので、聞いた者から治しにいくように」

 女性の指導者は右から横1列ごとに、治す相手の名前を告げていき、言われた者たちは建物を去っていく。

 林杏の番になった。女性の指導者は一言、とある人物の名前だけ言った。

威龍ウェンロン

 心臓が大きく鳴る。威龍、その名前はよく知っている。林杏はその場から動けなかった。

「おい、林杏っ」

 左隣にいた晧月の声で、林杏の真っ白だった頭がはっきりしてきた。

「おい、どうしたんだよ。なんかぼーっとしてるが」

「あ、あの。呼ばれた名前が、父の名前で」

「なんだって」

「あ、あの、晧月さん。父さんが重い病気だったらどうしよう、私が行くまでのあいだに病状が悪化したらどうしよう。と、父さんが死んだら……」

「落ち着け、林杏」

 晧月に強く両肩を掴まれる。

「そうならないように、お前が行くんだ。このあいだの修行で見た親父さんの様子は、どうだったんだ?」

「あ、足を引きずってました。捻挫でもしたのかと思って……」

「そうか。いいか、林杏。足を引きずるっていうのは倒れたあとか、もうすぐ倒れるか、脚が悪くなったかのどれかだ。急いで家に行け。親父さんの調子を整えられるのは、お前だけなんだ。今お前が混乱したら、気の流れを戻せるやつがいなくなる」

「は、はい」

「よし、行く前に大きく息を吸え」

 林杏は言われたとおりにした。

「吐いて」

 吸った大量の空気を吐き出す。父の名前を聞いたときに比べて、少しだけ心が落ち着いた気がする。

(そうだ、私が父さんを治すんだ。父の名前が呼ばれたってことは、まだ治せるってこと。絶対手遅れになんてさせない)

 林杏は自分の両頬を叩いた。

「ありがとうございます、晧月さん。行ってきます」

「おう、気をつけてな」

 林杏は力強い足取りで建物から出ると、足元に気を集め、空を飛んで故郷へ向かった。

 道院から林杏の故郷まで、普通なら牛車で1週間以上かかるが、空をまっすぐ飛べば半日もかからず着く。

(父さん。必ず治すからね)

 林杏は強い風を頬に感じながら、故郷へ急いだ。


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