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16.女丹

 内丹術の試験の翌日。天佑の指示で林杏リンシンは朝食前の修行で、青い屋根の建物にきていた。この建物も修業で使われ、普段は男女関係なく集まっているが、今は女性しかいない。指導者も内丹術を教えていた女性だ。

「男にとって、内丹術は1つだ。しかし女は違う。今日はもう1つの内丹術、女丹じょたんについて指導する」

 女丹は月経を止める内丹術だ。月経や月経前後に起こる体調不良をなくすことが目的だ。月経による苦しみがなくなるのは、とてもありがたいことだ。それに地域によっては生理中に檻へ入れられることもあるようで、生理になったことをなんとか隠そうとする女性もいると聞いたことがある。

「方法は座って心と体を整えながら、子宮だけ気の流れを変える。子宮は私たちの中にあるが、私たちのものではない。赤子のものだ。そのため気の流れの変え方さえ間違えなければ、月経を止めることができる」

 通常の気の流れは全身を途切れることなく巡っている。子宮も例外ではない。しかし女丹は子宮と全身の気を切り離す必要がある。

「まずは普段の気を安定させる。気の流れが安定したら、子宮とそれ以外の気の流れを、一瞬途切れさせるんだ。一瞬だ、長く途切れさせると体の不調となるからな。子宮とそれ以外が分かれたら、すぐに気を巡らせろ、ただし同じ巡らせ方はだめだ。再び繋がってしまう。反対方向になるように巡らせるんだ。……それでは実際にやってみろ。できたら1時間以上は維持するように」

 建物内にいる女性たちは全員同時に気を安定させはじめた。林杏も目を閉じる。

(この感覚、前世だと理解したりうまくいったりするのに、時間がかかったんだよなあ。いいなあ、男の人にはこれがないんだから。ちょっと羨ましい)

 思ったことをすぐに意識の外に放り出し、気の巡りに集中した。下腹部の隅々まで、何度も緩やかに曲がりながら巡っている気。そんな気の流れが子宮の端から少しずつ途切れる様子を想像する。そして完全に子宮とそれ以外の気の流れが分かれる状態となるのと同時に、子宮の気の流れだけを変える。子宮の気を右回りに、それ以外を左回りのままで巡らせた。しかしすぐに意識をそらしてはいけない。元の状態に戻ってしまうのだ。生まれてから今まで、ずっと同じように巡っていたのだ、当然だろう。

 林杏は女性の指導者が「やめっ」と言うまで、ずっと気の流れに意識を集中させていた。


 食堂に向かっていると、あくびをしながら歩いている晧月コウゲツを見つけた。

「晧月さーん」

 林杏が離れた場所から呼びかけると、晧月がこちらに気がつき、軽く手を振ってくれた。近づくと晧月はもう1度あくびをした。

「あれ、なんでそっちから来たんだ? 今日は飯前の修行なかっただろ」

「残念ながら、女性はあったんですよ。女丹の修行が」

「ああ、なるほど。女はそういうの大変なんだなあ」

 晧月はそう言うと、ひと際大きくあくびをした。

 食堂は男女、種族関係なく食事をしていた。林杏と晧月が食事の申し込みの列に並んでいると、突然食器がひっくり返る大きな音がした。

「なんだあ? てめえ、ふざけんなよっ。ここは仙人を目指す神聖な場所だ、出ていけ」

「ああん? なんでお前にそんなこと言われなくちゃいけねえんだ?」

 人間と獣人の男性が睨み合っている。なにがきっかけかはわからないが、口論となったようだ。互いに胸ぐらを掴むと、殴り合いが始まった。

「わあっ」

「きゃあっ」

 周りにいた者たちは急いで逃げ出し、放置された食器が派手な音をさせながら次々とひっくり返る。

「おい、林杏。お前、平伏の術が得意だったよな? 人に対してやったことあるか?」

 晧月の質問に首を横に振る。

「じゃあ、何匹まで同時に平伏できる?」

「い、1匹ずつしかしたことありませんよ。……晧月さん、まさか」

「察しがよくて助かるぜ。どっちにする?」

 晧月はにやりと笑った。林杏は細かく首を横に振った。

「やらない、という選択肢をください」

「このままじゃあ、飯の時間なくなるぞ。腹ペコで修行はいやだろ」

「ぐぬ」

 今世で空腹の辛さを知ってしまった林杏には、よく効く言葉だ。林杏は大きく溜息を吐いた。

「じゃあ人間のほう頑張ってみます。やったことないけど」

「じゃあ俺は同族のほうを」

 林杏と晧月は左右に分かれた。対象が見えやすいように、最前列に移動する。

 林杏はちょうど人間の男性の背中に回り込めた。目に意識を集中させると、人間の男性の気はとても乱れていた。よほど怒っているようだ。

(だーっ、動き回るなっ)

 林杏は人間の男性の気を整えようとする。しかし位置がすぐに変わってしまうせいで、平伏の術を使う前段階の気を整えるという作業ができない。

(このままじゃ、朝食が食べられない。ただでさえ|辟穀《へきこく》のせいで、食事が質素なのに。……その食事を邪魔されるなんて)

 林杏の中で堪忍袋の緒が切れたのと同時に、食器が再び派手な音を立てて転がった。

「やかましいーっ」

 林杏の心と腹の底から出てきた声に、とっくみあいの喧嘩をしていた2人の動きが止まる。その一瞬の隙を今の林杏は見逃さなかった。すぐに人間の男性の気を整え、指先から自身の気を送りこみ馴染ませる。人間の男性は獣人の男性から離れ、その場に座ると林杏の対してそのまま頭を下げた。顔は見えないが「な、なんだ、体が」と戸惑っているようだ。獣人の男性も晧月に対して平伏している。

「さーすが、平伏の術ずっと使ってたことはあるな」

 晧月の言葉に対して、林杏は「どうも」と短く答えることしかできなかった。今はとにかく朝食をとりたい。

「ずいぶんと暴れまわったようですね」

 林杏が声のしたほうを見ると、そこにはこの道院の責任者である天佑チンヨウが立っていた。

「林杏さん、晧月さん、術を解いてあげなさい。それからファンさんとリョウさん、こちらへ」

 喧嘩をしていた男性2人の名前を今さら知る。林杏は平伏の術を解いた。芳と涼と呼ばれた男性2人はトボトボと天佑のあとについていった。

「はーい、失礼しまーす。ここの掃除をしますので、ほかをご利用くださいなー」

 そう言って厨房から女性のウサギの獣人がやってきた。林杏と目が合うと、ウサギの獣人女性は表情を明るくした。

「あら、あなた。もしかしてさっきの喧嘩をとめてくれた人って、あなたのことなの?」

「ええっと、もう1人います。私だけでは止めれませんでした」

「まあ、そうだったのね。本当にありがとう、助かったわ。やっぱり自分たちが作ったり用意したりしたものが、あんな風に扱われると悲しいから」

「……もっと懲らしめればよかったですね」

「まあまあ。怖い顔しなくていいわよ。さあ、食事に戻って。修行に間に合わなくなっちゃうでしょ?」

 ウサギの獣人の女性が言うことも、もっともだ。林杏はお辞儀をしてから、食事を待つ列に戻った。晧月とは離れてしまったが、すぐに合流できるだろう。

 しかし思ったより時間がかかったせいで、林杏は硬い干し肉を急いで齧ることになった。いつもより満足感が得られず、喧嘩していた芳と涼という男性2人を恨んだ。


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