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14.なぜ睨む

 試験に受かり、導引どういん法の修行を終えた林杏リンシン晧月コウゲツは、今日の修行で内丹術ないたんじゅつを学ぶことになっている。

(このあいだの試験、内丹術で薬作って飲んだから、正直やり方もわかってるんだよねえ。でも修行を受けないってわけにもいかないよなあ)

 髪を結いながら林杏はそんな風に思った。

 指定された建物に移動すると、晧月はまだ来ていないようだった。

(晧月さんいないと静かだけど、ちょっと寂しいんだよなあ。そういえば、晧月さんって、どんな家族構成なんだろう? あれだけ面倒見がいいから、兄弟も多いんだろうな。1番上とか2番目とか?)

 そんな風に想像していると、大きなあくびをしながら晧月がやってきた。

「よう、林杏」

「おはようございます、晧月さん。この時間の修行は本当に眠たそうですね」

「そりゃそうだろお、ふわあ。ほかのやつらも見てみよろ。俺と同じような顔してるぜ」

 林杏は辺りを見回した。たしかにあくびをかみ殺している者も多い。そんななか、背筋を伸ばし遠くを見ている犬の獣人の姿が目に入った。細長い尻尾を垂らし、腕を組んでいる。

(あの人、なんで睨んでくるのか、未だに謎なんだよなあ)

 目が合わないうちに、視線をそらす。

「そういえば林杏、気づいてるか?」

「なににです?」

「俺たちをずーっと睨んでるやつがいること」

「もしかして、黒い犬の獣人の男性ですか?」

「お、気づいてたか。なんか心当たりあるか?」

「それがまったく……」

「だよなー。まあ、大した理由じゃねえだろうし、まあ好きにさせとこうぜ」

 晧月は再び大きくあくびをした。

「気にならないんですか?」

「この世には知っていいこと、知らなくていいこと、知ったところでどうでもいいことがあるんだよ」

 晧月はもう1度大きくあくびをした。

 そのとき女性の指導者が入ってきた。全員が等間隔に並ぶ。

「これより内丹術を教える。まず内丹術というのは、自身の気で丹、つまり薬を作り出すことだ。薬はすべてで120種類。その120種類すべてを一定の基準以上作れるようになるまで、次の段階には進ませんから、そのつもりでいるように」

 早速内丹術の修行が始まった。服餌ふくじ法の修行の際に、すでに丹を作っている林杏にとっては簡単だった。

 次々と指示された丹を作る。風邪を治すもの、胃の調子を整えるもの、痛みをとるものなどなど。

(丹を作るときは、気をできるだけ集めて小さくすることが大事。集めた気の量が少ないと、効き目が弱い丹になるし)

 丹は病に効くだけではない。不老不死になるためにも必要な術であり、薬だ。

 丹は丸薬だけではない。すべての中で18種類は鉱物だ。水銀や鉛などが含まれる。

 最初に体の不調を整えた丹を作ると林杏は挙手し、確認してもらった。合格をもらえたので、次に風邪に効く丹を作り始めた。

 作っては確認してもらい、を繰り返して今日の修業は終わった。

 女性の指導者が出て行くと、隣にいた晧月がその場に座り込んだ。

「はーっ、疲れた」

「同感です……」

 午後の修業は4時間半あり、休憩はない。しかも丹を作ると体力と気力が激しく消費される。林杏も思わずしゃがんだ。

「林杏、お前どれだけ進んだ?」

「あと20種類ほどかと」

「お、じゃあ同じくらいだな」

「……これだけ疲れているのに、食事は干し肉と干し果物ですか。あのおいしい食事はとれないんですね」

「どんだけ気に入ってんだよ。お前のお袋さんも料理うまかったんじゃないのか?」

「母の料理はもちろんおいしいんですが、ここのほうがガツンと殴られたようなおいしさなんですよ」

「もっとなにかいい例えあるだろ。衝撃的だったとか、そういうの」

 そのときカーンカーンと鐘が鳴った。夕食の時間だ。

「この飯を食いっぱぐれたら、夜の修業がきつくなる。行こうぜ。食えないよりいいだろ」

「うう……はい」

 林杏は晧月に言われ、なんとか立ち上がった。

 食堂では辟穀へきこくに至っていない修業者たちの料理の香りが漂っており、干し肉を噛み締める力が自然と強くなった。


 夕食を終えると、再び修業が始まる。林杏は残り20種類の丹を作り出し、合格をもらった。

「これからと明日の早朝の修業は休んでいい。明日は朝食後の修業で内丹術の試験を行なう。しっかり休んでおけ」

「はい。ありがとうございました」

 1人で自室に戻った林杏は、寝台に倒れ込んだ。

(ああ、着替えなくちゃ。それから体も拭きたいし……)

 そんな風に考えながら、林杏は意識を手放した。


 林杏は食事の鐘の音で目が覚めた。

「はっ、修業っ」

 しかしすぐに早朝の修業を休んでいいと言われていたことを思い出す。

「はー、よかったあ」

 力が抜けた林杏は再び寝台の上に寝転がった。

(って、朝ご飯食べなくちゃ。しかもそのあと内丹術の試験だし)

 林杏は手早く体を拭き、髪をいつものようにお団子状に結い直し、食堂へ向かった。

 少し遅くなったためか、食堂はすでに修業者でいっぱいだった。いつもは晧月が先に座って席をとってくれているが、今日は姿が見当たらない。

(晧月さん、もしかしてまだ寝てるのかな?)

 ふと空席を見つけた。なんとか座ってから正面を見ると、そこにはいつも林杏と晧月を睨みつけてくる、あの犬の獣人がいた。

(ひっ。しまった)

 しかし今さら席を変えることはできない。それに空席そのものがほとんどない。林杏はしかたなく食事をはじめた。

 しばらくすると鋭い視線が刺さってきた。視線をそらしているのでわからないが、おそらく犬の獣人が睨んできているのだろう。

 席を立ち上がる音がする。食事を終えたのか立ち去るようだ。林杏が内心ほっとしていると、小さな声が聞こえた。

「ツルんでばっかの弱者が」

 晧月よりずっと低く、棘を含む声。林杏は思わず顔を上げた。犬の獣人はすでに返却口で食器を返していた。

 林杏はとっさに反応できなかった。ツルんでばかり……晧月と一緒にいることを指しているのだろうか。

(え、なんでそんなこと言われなくちゃいけないわけ?)

 時間が経つにつれ、林杏は腹が立ってきた。たしかに牛車で出会ったときから、一緒に行動することが多かった。道院は様々なところから人が集まるが、誰かと共にやってくることは少ない。そのため2人で行動すると目立つのだろう。

(なによ、そんなしょうもない理由で睨みつけてたわけ? 子どもじゃんっ)

 そのとき隣に誰かが座る気配がした。

「よ、林杏。おはよう。寝過ぎちまった」

「おはようございます」

「うわ、顔こわ。どうしたんだよ」

 林杏は事情を説明した。すると晧月は「あっはっは」と笑った。

「笑いごとじゃありませんよ。言い返せなかった自分が情けない」

「気にする必要ねえよ。嫉妬してんだよ、嫉妬」

「嫉妬?」

「あいつも多分誰かといたいんだろうよ。けどなんらかの理由でできない。でも俺たちは一緒に行動してる、うらやましいってな」

 林杏の表情が自然と険しくなる。

「自分の感情くらい、自分でなんとかしてほしいものです」

「ははは。俺もそんな風に思ったことがあったなあ」

「今は違うんですか?」

「まあな。羨んでもらえるような人生歩んでるなんて、幸せなことじゃねえか。嫉妬やっかみ上等ってな」

「……私はそんな風に思えません」

「まあな、そりゃそうだろうよ。ほれ、お前も内丹術の試験なんだろ? さっさと食っちまおうぜ」

 晧月にそう言われ食事を進めながらも、林杏の心には怒りの竜巻が起こっていた。


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