心が水面のように落ち着いてしばらくすると、パンッと手を叩く音がした。
「よろしい。瞑想を終わりなさい。試験を終了します」
右隣を見ると晧月が心底疲れた様子で溜息を吐いていた。左隣を見ると誰もおらず、その先には犬の獣人の男性がいる。どうやら女性はこの試験に落ちたようだ。空腹に耐えられなかったのか、動かないことに耐えられなかったのか、それともそのほかのことが原因なのかはわからない。
「今ここにいる者たちを試験合格者とします。このあとは食堂に向かい、食事をしなさい。今日と明日は粥を許します。修行は明日の昼から再開します。それまでに体調を戻しておくように。それでは解散」
天佑が建物を出ていく。林杏はゆっくりと体を伸ばした。筋肉が強張っており、素早く動くと傷めそうだ。
「まあ、勝手がわかってると前よりかはましだったな」
晧月が話しかけてきた。
「私は今回のほうが難しく感じました。食事をきちんと摂っている状態でのこの試験がこんなに難しいとは」
「前世どんな生活してたんだよ……」
そのとき左側から衣擦れの音が聞こえた。振り向くと犬の獣人が立ち上がったところだった。鋭い目と視線がぶつかる。犬の獣人の男性はこちらを睨むと静かに立ち去った。
(え、なにか悪いことしたっけ?)
しかし犬の獣人の男性とはまったく話したことがない。
「あいつ、多分
「え、そうなんですか?」
晧月は「多分な」と言うと、続けて述べた。
「この試験、7日間も同じ姿勢だから最初は全然体が動かねえだろ? 筋肉も低下してるだろうし、凝り固まってるしな。でもすんなり動いたってことは、動き方がわかってるんだ」
「あ、
晧月が頷く。
導引法とは呼吸によって体内に気を巡らせ、運動することにより血行をよくして、体調を維持する方法だ。導引法がわかっていれば、天佑が話しているあいだに体中に気を巡らせ、体の状態を戻したのかもしれない。もしくは最初から導引法を行ないながら瞑想をしていたか。
「まあ、とりあえず粥食いに行こう。腹へっちまった」
「そうですね。おなかいっぱい食べたいです」
「いきなり食うと胃がびっくりするからゆっくりにしな」
徐々に体を動かして筋肉がほぐれてきたのを感じると、林杏と晧月は食堂に向かった。
昼食時を過ぎた食堂には、試験を受けた犬の獣人と、厨房の者しかいない。林杏と晧月は受付で粥を頼んだ。すると受付の者――今日は人間の男性だった――は厨房に向かって「粥2人分なー」と大声で呼びかけた。
深い器に入った粥を貰った林杏と晧月は、柔らかく炊かれた粥をれんげで口に運んだ。どうやら鶏の出汁で炊いているらしく、うまみを感じる。
「あー、うめえ」
「具が入っていないのに、こんなにもおいしいなんて。ここの厨房の人たちはやっぱりすごいですね」
自然と口角が上がる。すると晧月はもう食べ終わったようで、器を持って立ち上がった。
「おかわりできるか聞いてくるわ」
「え、でもいいんでしょうか」
「大丈夫だろ。だっておかわりするなとは言われてないからな」
晧月が受付に向かうのを林杏は見送った。ふと離れたところにいる、犬の獣人と目が合う。犬の獣人はまたしてもこちらを睨んでから、食事を再開した。
(えー、私なにもした覚えないんだけど、なんであんなに睨まれるの?)
林杏は首を傾げながらも、粥を食べる。すぐに犬の獣人のことなどどうでもよくなり、食べ進めた。
しばらくすると、晧月が器にたっぷり入った粥を手に戻ってきた。
「粥、おかわりしていいんだってよ。そりゃあ7日間も食べてなかったもんなあ。ちゃんと噛めって言われたから、林杏も早食いすんなよ」
「わかってますよ。そんなに子ども扱いしないでくださいよ。もう20歳なんですから」
「ははは、悪い悪い。11も年下だと、ついな」
林杏が11歳年下。つまり晧月は31歳ということか。
(やっぱり獣人の年齢って見た目でわかんない)
そのときれんげが硬いものに当たった感触がした。見ると粥はなくなっており、1粒の米も残っていない。まだ満腹ではない、と本能が訴えている。林杏も受付に向かう。
「あの、お粥のおかわりをいただきたいんですけれども」
「試験明けかい?」
「はい」
「7日間飲み食いなしだって? 大変だなあ。腹いっぱいになるまで食べな。あ、でも胃が驚くから、一気に食べるなよ」
「ありがとうございます。気をつけます」
男性が「粥ー」と合図を出すと、林杏は受けとり口に移動する。するとそこでは、この道院に来た初日に受付をしていた、ウサギの獣人がテキパキと動き回っていた。ほかの者から受け取った器を木の盆にのせるとこちらにやってきた。
「はい、お粥おまちどうさまー。あら、あなた。もう試験を受けたの? 早いわね」
「なんとか合格できました」
「すごいわ。私、食いしん坊だから、7日も食事できないなんて耐えられないわ。これからも頑張ってね」
「はい。ありがとうございます」
粥を受け取った林杏は、晧月の隣に腰を下ろす。晧月はおかわりした粥をもう半分以上食べ終わっていた。
林杏も再び粥を食べ始める。2杯目でも十分おいしかった。
結局林杏は粥を合計5杯も食べ、晧月と別れ自室に戻ると、倒れ込んでそのまま眠ってしまった。