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12.最初の試験

 この日、林杏リンシン晧月コウゲツ天佑チンヨウに金の像がある建物に呼び出された。そこにはすでに犬の獣人の男性、女性が1人いた。晧月は小声で林杏に話しかけてくる。

「たしか服餌ふくじ法のあとは最初の試験だったよな」

「ええ。簡単だったと記憶していますね」

「え、まじ? 俺めちゃくちゃしんどかったんだけど」

 そのとき天佑が入ってきた。林杏と晧月は話すのを止める。

「皆さん、服餌法までの修行、お疲れ様です。これより最初の試験を行います。これより7日間、飲み食いなしで瞑想をしてもらいます。呼吸法は問いません。7日間はこの建物から出ないこと。これより5分後に開始します。厠に行くのならその時間内に済ませておくこと」

 それぞれが下準備を始める。4人は天佑の言うように厠に行ったり、呼吸法を一通り思い出したりしている。

(さて、どんな呼吸法で瞑想するか)

 自身の性格に合っていると感じたのは、調息ちょうそくだった。座ってゆっくり呼吸をしていると、心がどんどん落ち着いていくのがある種の快感だった。

「やり方覚えてる状態で、いちいち試験を受けるのは手間だな」

 晧月の発言に林杏も頷く。道院としても、どこまで修行内容を覚えているか、どこまでできるか把握したいのだろう、とはわかってはいる。

「すっといけたら修行の期間も、もっと短くなるんでしょうけれど」

「まあ、道院がそんな楽を許すわけねえな」

 林杏の本音に対して晧月は溜息を吐きながら言った。


 5分後、天佑の合図で試験が始まった。右隣には晧月、左隣には女性、女性の先には犬の獣人が並ぶ。

 林杏はあぐらを組み、目を閉じてゆっくりと呼吸を開始した。少しずつ息を吸い、細く長く息を吐く。音が聞こえても、聞こえたことに対して興味を持ったり否定をしたりもしない。ただ聞こえた、と受け入れるだけ。そこに自身の感情は必要ない。

 チチッ、チチッ、と鳥の鳴き声がした。ふと故郷の友人、星宇シンユーを思い出す。彼の鳥好きは一生変わらないだろう。人見知りだが仲よくなるといい子だ、時間をかければもっと村の人たちとも会話をするようになるだろう。

 両親は元気にしているだろうか。どちらもよく働くので、無理をしていないか少し心配だ。しかし星宇も両親の畑仕事を手伝っているので、以前よりは疲れにくくなっただろう。

 頭の中に考えや思いが浮かんでは消えていく。その気持ちを追いかけることはせず、ただただ流れるままに任せる。

 しばらく鳥の鳴き声以外にも風が抜ける感触などを味わいながら、呼吸を続ける。

 しばらくすると、くうっと小さな腹の虫が鳴いた。空腹感に襲われる。

 おいしいものを。この道院に初日に食べた料理はとてもおいしかった。母親の作る饅頭まんとうも汁物もおいしいかった。食べたい、食べたい、食べたい。おいしいものを、満足するまで味わいたい。そんな感情が無限に湧いてくる。

(なんで? 前世のときは空腹になっても平気だったのに)

 前世の記憶を辿るとある事実に気がついた。前世で家にいたときはろくに食事を与えられず、老人の家では太らないように、と栄養価はありながらも少量しか食べさせてもらえなかった。そのため飢えに強かった。

(でも今は十分に食事を得られていたから、空腹に対して弱くなっちゃったんだ。あー、そうきたかあ)

 時が経つごとに空腹感も強くなり、なにか食べて飢えを満たしたいという気持ちが湧いてくる。

(あー、おいしいもの食べたーい)

 1度欲に囚われると、頭の中が食べ物のことでいっぱいになる。自身の環境の変化でここまで苦労するとは想像してなかった。どれだけ想像しても食べられないという苦しみを、どうにかして振り払わなくては。

(……いや、それで無理やり思考から追い払っても、きっとまた頭の中に浮かんでくる。ならもう、受け入れるしかないか。お腹がすくのは当たり前。しょうがない。抗うのも大事だけど、流されるのも1つの方法だし)

 しかし頭の中から食べ物が消えることはなかった。食べられないとわかっていると、なぜかますます食べたくなる。しかもこの道院に来た次の日から辟穀へきこくをしており、干し肉と乾燥させた果物しか食べられていない。

(元から得ていないとなにも思わないけれど、得てから不足するとこんなにも不満に感じてしまうとは)

 林杏は改めて今世が幸せだったことを痛感した。

 頭の中に食べ物が現れたときは、まだ自身の意識と食欲のあいだに距離があったような気がしたが、今は距離が縮まってしまい、そのせいで集中力がなくなってきている、と林杏は感じていた。

(このままじゃ7日間を耐えられない。思考が流れるままにしてたけど、だめそう。どうにか切り替えなくちゃな)

 どうすれば食欲から離れることができるのか。林杏は調息を続けながら、解決策を探る。前世ではどのようにこの7日間を過ごしたのか記憶を探る。

(そうだ、空腹なんていつものことだしって思って気にしてなかったんだ。どうすれば……)

 ふと晧月がこの試験のことを難しいと言っていた理由がわかる。食べることは生きること、生きることは本能だ。その本能を抑え込むのは並大抵のことではない。それだけ大変なことができてこそ、仙人へと近づくのだろう。

(絶対に霊峰で静かに暮らす。|劫《ごう》に合格するんだから、これくらいの試験に苦労してどうするっ)

 林杏は密かに唇の内側を噛んだ。両親の笑顔、温かい手。星宇の目を輝かせた横顔。あの幸せだった日々を思い出すだけで不思議と落ち着いてくる。

(最初の試験でこれだけ家族や友達に助けられるなんて。まだまだだなあ)

 林杏の心は次第に落ち着いていき、食べ物のことはまったく浮かばなくなった。


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