すでに何人もの修行者たちが来ており、喋っている者もいれば自主的に修行を早めに開始している者もいる。
「なあ、林杏。存思と辟穀の次ってなんだっけか?」
「たしか、
胎息とは鼻と口からの呼吸をなるべく抑え、母親のお腹の中にいる赤子のような清らかな気を凝縮させ、保つやり方だ。
「あれかあ。呼吸を浅くしながら落ち着くってなかなか難しいよなあ」
「そうですね」
そのとき、昨日と同じ馬の獣人の指導者がやってきた。全員口を閉じ、等間隔に並んだ。
「おはようございます。それでは早速存思の復習をしましょう。始め」
一斉に座ってゆっくり呼吸を始めた。
(体の中心に、神がいるのを想像して呼吸をする)
以前は神を想像しながら呼吸をする意味が理解できなかった林杏だが、馬の獣人の指導者が昨日話した、仙人になってから過ちを犯さないようにという考えがしっくりきてからは、それほど疑問に思わないようになった。
「はい、やめ。それではもう1度。始め」
それから何度も存思を行なうと、胎息をすることになった。やり方を説明され、一斉に浅く呼吸を始めた。母親の腹の中は意識がなかったのでどんな状態だったかはわからない。
(でもきっと、あんなに優しい母さんのお腹の中は、温かくて心地いいんだろうな)
瞼の裏に両親の微笑みが浮かぶ。心が穏やかになり、いつまでも思っていられるような気がした。
「はい、やめ。大きく呼吸をして。……はい、もう1度開始」
林杏や晧月を含めた修行者たちは、馬の獣人の指導者から出される合図どおりに胎息を行なった。
しばらくすると、林杏と晧月を含めた10名ほどが馬の獣人の指導者に呼び出された。
「あなた方には次の段階に進んでもらいます」
馬の獣人の指導者はそう言うと、空中で指や手を動かすと、その向かいにいた修行者が「ううっ……」と苦しみだし、その場に座り込んでしまった。
(げ、そういえば胎息の次って)
そんな風に考えていると、すぐに林杏の順番が回ってきた。気が勝手にいじられているのが感覚でわかる。胃の辺りがむかむかしてきた。吐き気もしてきて、その場にしゃがみこむ。
その場にいた10人全員が座ったり倒れたりすると、馬の獣人の指導者が言った。
「これより
そう言って馬の獣人の指導者は、まだ胎息を行なっている修行者たちに指導を始めた。
「そうだった、こんな修行もあったな。イーテテテッ……」
晧月が苦しみながら呟いたのに対し、林杏は「同感です」と言った。晧月は楽な体勢を探しているのか、動きながら尋ねてきた。
「林杏、お前
内丹術とは、自身の気で丹と呼ばれる薬を作る方法だ。まだこの道院では教えられていないが、前世で教えられたので覚えている。
「はい、やり方は。ただ、この状況でやれるとは思えませ……おえっ」
「確かに……。まずはここから出ないとな。あー、きっつ……」
林杏は「おえ」っと吐きそうになりながら、なんとか立ち上がる。数歩進んでは屈みこむのを繰り返す。
(私は、父さんと母さんのために、もう戻れない。私は、前に進むしかないんだ)
林杏は自分を鼓舞し、足を動かす。吐き気の波がやってきて、ひと際大きく「おえっ」と言った。
(吐きかけた直後、なんか少しましな気がする。今のうちに少しでも進まなくちゃ)
しかし建物を出たところで、まだしなくてはいけないことがある。この吐き気の抑え方を考えなくてはいけない。
(薬は買ったり交換したりしたらいけない。薬の材料や食べ物は自分で入手しなくちゃいけない。吐き気に効く食べ物ってなんだっけ)
そのとき体が軽くなった。見ると晧月に抱き上げられていた。
「晧月さん……?」
「林杏、なるべくきれいな気を入れろ。ましになる。胎息がいいぜ」
林杏は晧月の言うとおりに胎息を行なう。しばらくすると吐き気が少し治まった。
「ありがとうございます、なんとかいけそうです」
下ろされたのは寝台だった。晧月から林杏の部屋だと告げられる。
「胎息すげえな。完全に痛みがとれるわけじゃあねえけどよ。とりあえず薬作るなり、ましになるもん食うなりしなくちゃな」
「そうですね。吐き気に効く食べ物ってなんだったかな……」
「つわりだったら酸味なんだろうけどなあ。ちょっとどこ辺りで気が滞ってるのか確かめるか」
林杏も晧月と同じように自身の体の気の流れを確認する。巡っている気が留まっているのは胃の辺りだった。胃に気が滞って起こる吐き気には、2つの原因がある。胃に異常があるときと、体全体が不調になっているときだ。今回は胃辺りの気の流れが悪いようだ。自身で気の流れを正す場合もあるが、今回は食べ物か薬で治さなくてはいけない。
(いや、吐き気がましになった今なら内丹術で薬が作れるかもしれない)
林杏は手のひらに気が集まるように想像する。強い吐き気に再び襲われないように、胎息はそのまま。集まってきた気に力を入れて包み込むような想像をする。気が小さくまとまっていき、外側から順番に硬くなっていく。手のひらから溢れるように集まっていた気は小指の爪よりも小さな球体となった。丹である。
林杏はできた丹を飲み込んだ。じんわりと温かいものが体内に広がり、気持ち悪さがどんどん消えていく。
「はあ、なんとかなりました」
「くそー、もっとまじめに内丹術しとくんだった」
晧月は悔しそうだ。
「痛みをましにする薬の作り方は?」
「いや、薬の作り方はわから……そうだ。占えばいいのか。薬になりそうなものの位置を」
「ああ、なるほど」
「俺は部屋に戻って占ってくるわ。林杏は先に行っといてくれ」
「わかりました」
林杏は馬の獣人の指導者のもとに向かった。晧月も自身の部屋に戻る。
建物の中には苦しんでいる者がまだ数名いた。馬の獣人の指導者に体を治したと報告をすると、「そうですか」と言って再び林杏の気を乱した。
「うぐっ」
今度は胸の痛みに襲われる。まるで心臓を強く握られているようだ。
「ではもう1度」
馬の獣人の指導者から無慈悲な言葉が投げかけられる。
(そうか、ここにいる人はずっといたんじゃなくって、再び気を乱されたからなんだ)
林杏はその場で胎息を行ない、丹を作って飲んだ。落ち着くと再び気を乱される、という状況が繰り返された。
その後10回以上気を乱された林杏は、その度に内丹術で丹を作り出し、気を整えた結果、次の段階へと進むこととなった。