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6.晧月

 夕方になってから村長にも挨拶をしに行った。父親からすでに話を聞いていたという村長は「達者でやるんだよ」と笑顔を向けてくれた。

 林杏リンシンの好物ばかりが並んだ夕食を終え、眠ると出発する日となった。父親が乗り合いの牛車の乗り場まで送ってくれることになり、母親と星宇シンユーに別れを告げる。

 牛車の乗り場までは歩いて半日以上の、大きめな村にある。まだ太陽が昇っておらず、すっきりとした空気が満ちていた。父親とは時折話もしたが、足音だけが聞こえる時間のほうが多かった。

 途中で母親が持たせてくれた饅頭まんとうを朝食と昼食の二回に分けて食べ、昼過ぎに牛車の乗り場に着いた。2台の牛車に行き先を確認し、道院のほうへ向かう牛車に乗ろうとした。しかし林杏は上げていた脚を元の位置に戻し振り返ると、父親に抱きついた。

「どうしたんだい?」

「父さん、今まで本当にありがとうございました」

「今生の別れじゃないだろう? いつでも帰っておいで」

 林杏は頷くと父親からそっと離れて、牛車に乗った。

 ほどなくして牛車が出発する。ゆっくりと進む車の中には林杏と、向かいに座っている白虎の獣人しかいない。

「なあ、嬢ちゃん」

 白虎の獣人が腕を組んだまま口を開いた。窓の外を見ていたが、白虎の獣人に意識を向ける。声が低いので男性のようだ。

「さっき御者に確認してるのが聞こえたんだが、嬢ちゃんも道院へ仙人になりに行くのかい?」

「ええ」

 林杏の返事を聞いた白虎の獣人は表情を明るくして、林杏の隣に座ってきた。

「そうかそうか、じゃあ俺と一緒だな。俺は晧月コウゲツってんだ。嬢ちゃんは?」

「林杏です」

「そっかそっか、いい名前だな。嬢ちゃん、道院は初めてかい?」

 この口ぶりだと白虎の獣人――晧月は初めてではないようだ。林杏は返答に困ったが、正直に言うことにした。

「こちらの道院は初めてです。前世では別の道院で修行しました」

「お、前世のこと覚えてるってことは、林杏も前世で劫を受けたんだな? 俺もだ。占いの力を与えられたようでな」

 まさかこんなところで劫の転生者に出会うとは。林杏は少し嬉しくなった。

「私は平伏の力です」

「ほー、いいな。ところでなんでまた林杏は仙人を目指すんだ? やっぱり劫に落ちて悔しいからか?」

 林杏は言葉に詰まった。道院に行く理由を話すなら、前世のことも話さなくてはいけない。すると晧月が「悪い悪い」と謝ってきた。

「言いたくないんなら、全然いいんだ。俺も大した理由じゃないしな」

 晧月はそう言うと話題を変えた。

「さっきの人が親父さんか?」

「はい。とてもいい人です」

「よかったじゃねえか。俺は親父と滅多に会うことはなかったから、ちょっとうらやましいな」

 明るい性格のようだが、意外と晧月にも複雑な事情があるのかもしれない。林杏は「そうなんですね」とだけ返事をした。

「それにしてもヤン州は気候が穏やかだな。ハン州とは大違いだ」

「わざわざ寒州からやってきたのですか?」

 思わず驚きの声を上げると、晧月は「いやいや」と否定してから話を続けた。

「今の生まれはフェイ州だ。以前の仕事で数回寒州に行ったことがあってな」

 輝州はこのワォ国の中心である。帝がおわす州で、ずいぶんと栄えているらしい。そんな輝州に住んでいながら、仕事で最北の州である寒州に行くとは。商人かなにかなのだろうか。それになぜ輝州と離れたこの陽州の道院に行くのか。

(まあ、関係ないか)

 林杏はどのようにして時間を潰そうか、考えることにした。物語が書かれた木簡も持ってはいないし、転生者という共通点はあるものの防犯上見知らぬ者がいる前で眠るわけにもいかない。

(なにしよっかな。なにか暇潰しになりそうなもの、持ってきたらよかったな)

 そんな風に考えていると、小さく肩を突かれた。晧月だ。

「お互い暇だし、なにか話でもしないか?」

「話、とは?」

「別にどんなことでも。言いたくないことは言わなくていいし、話したいことを話せばいいんだよ」

 林杏は困った。両親から話しかけられることが多く、星宇も口数が多いほうではないので、あまり積極的に話を始める機会が少なかった。

「なにから話せばいいか、わかりません」

 素直にそう言うと、晧月は「あっはっは」と笑った。

「そりゃそうだよなあ。悪い悪い。いきなり知らんおっさんと話せって言われても困るわなあ」

 おっさん、という言葉を聞いて、林杏は晧月を改めて見た。獣人は毛皮で覆われていせいで皺が見えないので、年齢がわかりにくい。目の前の白虎の獣人は一体何歳なのだろうか。しかし尋ねるのも失礼になるのでは、と思った林杏は、晧月の年齢について話題を広げることはしなかった。

 晧月は「そうだなー」となにか話題を考えているようだ。

「あの、無理に話さなくてもいいのでは?」

「え、でも暇じゃないか?」

「まあ暇ですけれども」

「歩くのよりましだが、牛車は時間がかかるからなー。……そうだ、林杏。あんたのことを占ってやろうか? 仙人になれるかどうか、とか」

 そういえば晧月が授かったのは、占いの力だと言っていたか。しかし林杏は首を横に振る。

「私は霊峰でゆっくり過ごすことを決めているので」

「そうかそうか。決めてるんなら必要ねえな」

 晧月は、にっと笑うと荷物を膝から元の位置である右側に置いた。どうやら占いに使う道具が入っているようだ。

「でも普段の生活してたら、平伏の力は使う機会がなかったんじゃないのか?」

「そうでもありません。裏が山だったので、畑を荒らさないようにさせていました。私の家も農家でしたし」

「ほほー、そう考えると平伏の力でよかったんだなあ。案外、適材適所で力を与えられていたりしてなあ」

 そう考えると、両親や村の畑を守るために平伏の力をくれた神に感謝をしたくなった。

 言い伝えによると神はたくさんいて地上のこと、海のこと、空のことだけでなく、食のこと、生業のことなど幅広く見守っているそうだ。

(見守るってどんな感じなんだろう? まあそんなに気を張ってるわけでもないだろうけど)

 神と仙人は異なるものだ。神はすべての生き物の人生を決めることができるが、仙人はあくまでいい人生を過ごすための手助けしかできない、と前世の修業時代に教わった気がする。

 前世で修行をしているので、案外時間がかからず劫に挑戦できるかもしれない。ふとそんなことが思い浮かんだ。

(次は絶対劫を乗り越えて仙人になるんだから)

 林杏はぐっと拳に力を入れた。


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