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4.鳥好きの友人

 7歳になった林杏リンシンは髪を団子に結い、畑仕事を手伝いはじめた。前世では【】である姉に会いたい、触れたい、病を治してほしい人々から金銭を得ていたため、畑仕事はしたことがなかった。初めて持ったくわはとても重く、うまく土を耕すことができなかった。雑草と作物の目を見極められず、引き抜いてしまったこともあった。しかし今の父親と母親は怒ることなく、丁寧に仕事を教えてくれた。

 朝から野菜の収穫や間引きなどを行ない、昼になると林杏は山に入った。平伏させていない猛獣や毒蛇がいないか、定期的に見回りをしている。

(よし、動物たちは特に変化なし。どの子たちも元気そうでよかった。ちょっと休憩しよっと)

 木々があまり生えておらず、ちょうどいい岩があるところを知っている。天気のよく心地よい風が吹くときには、最高の場所となる。

 林杏がそんな大好きな場所に行くと、先客がいた。人間の男の子で、年齢は林杏と同い年くらいだろう。大きめの石ころを持って、地面になにか書きこんでいる。ふと林杏は動物たちに言っていることを思い出す。

(畑を荒らすなとは言ってあるけど、人を襲うなとは言ってないんだよなあ。こんなところで子どもが1人でいたら危ないし、声かけよっと。……今は私も子どもだけど)

 林杏は男の子に近づいた。

「なにしてるの? 熊とかも出るから危ないよ」

 男の子は集中していたのか、林杏に驚いて「わあっ」と声を上げた。

「えっと君はたしか、星宇シンユーくんだよね?」

 星宇は村のはずれに住んでいる一家の末っ子だ。星宇の両親はあまり人と交流するのが得意ではないらしく、見かけることは少ない。

「なんでおれの名前知ってるの?」

「そりゃ、この村そんなに広くないから、名前と顔くらいは皆知ってるよ」

「ふーん」

 星宇は俯くと再び手を動かし始めた。林杏はしゃがんで地面を見た。そこには複数の鳥が描かれていた。

「わあ、上手っ」

「こっちがミヤマヒヨドリ、それからこれはガビチョウ。それから……」

「すごい。いっぱい知ってるんだね。鳥好き?」

 星宇は小さく頷いた。林杏は平伏する関係で猛獣や蛇には詳しいが、鳥の知識はまったくない。

「ここってやっぱり鳥たくさん見れる?」

 林杏の問いに星宇は手を動かしたまま頷いた。鳥の絵は目の縁や羽の模様まで細かく描かれており、星宇がどれだけ鳥が好きなのかよくわかる。しかしこの山は子ども一人が入るには危険だ。

「いっしょに帰ろう、星宇くん」

 返事はない。帰る意思がないのか、集中してしまっているのか。しかし置いて帰るわけにはいかない。ここに林杏がいるから動物たちが襲ってこない可能性もある。林杏は少し違う方向から攻めてみることにした。

「ねえ、ここじゃなくって、村にはどんな鳥がいるの?」

「スズメとかムクドリとか」

「どこにいるの? 鳥のこと、教えてよ」

 一呼吸分の間が空くが、すぐに星宇は静かに立ち上がった。

「家の近くに多い。こっち」

 星宇はそう言って、下山する道を進み始めた。林杏は内心ほっとしながら星宇のあとをついて行った。

 山で出会って以来、星宇は毎日のように林杏のもとにやってきた。初めはあまり表情を出さなかった星宇も、林杏や林杏の両親に慣れてくると、笑顔を見せる機会が増えた。星宇があまりにもよく家に来るので、一緒に食事をすることもあった。

 二人が出会って13年経った。20歳となっても林杏は密かに山を見回りながら畑を荒らすような動物を平伏し、村や家の作物を守っていた。星宇は鳥の観察をずっと続けながら、林杏の家の畑仕事を手伝っている。

「星宇くん、そっちの土の具合を見ておいてくれ」

「わかりました、おじさん」

 今の母親と野菜の収穫をしていると、背後から2人のそんな会話が聞こえてきた。

(すごく平和だな。友達がいて、両親に愛されて。こんなに幸せでいいのかな)

 林杏がそんな風に思っていた、そのとき。村の獣人男性の1人が走ってやってきた。

「おおい、大変だっ。陳さんとこの畑が荒らされたってよ」

 林杏の作業の手が止まる。

(この辺りの獣たちはすべて平伏させたはず。なのに畑が荒らされたってどういうこと?)

 今の父と獣人男性の話が聞こえてくる。

「長いこと平気だったのになあ。なにに荒らされたんだい? 猪とか?」

「いや、熊じゃねえかだと。今年は木の実が相当少ないかもしれねえな。まだ近くにいそうだとか……」

 直後、「だれかーっ」と助けを呼ぶ女性の声が聞こえた。嫌な予感がする。林杏は真っ先に声がしたほうへ走った。

 村の中心にある井戸に女性がへたりこんでいる。周りにはすでに人がいて、女性を保護しているさいちゅうのようだった。

「どうかしたんですか?」

 林杏の問いに答えたのは、1番近くにいたおじさんだった。

シュさんの家に熊が来たらしい。奥さんはなんとか無事だが、家の中に赤ん坊がいて、徐さんが今なんとかしようとしてるそうなんだ」

 熊は体の大きさの割に臆病な生き物だ。もし徐さんが熊を退治しようと奮闘しているなら危険だ。林杏は井戸の先にある、徐さんの家へ走った。後ろから「おい、行っちゃいかんっ」という声が聞こえたような気もするが、気にしている場合ではない。

(さっきの話のとおり、今年は木の実の数が少ない年なんだ。だからほかの縄張りから熊がここに来たんだ。このあいだ山に見回りに行ったばかりだったのに、気づけなかった)

 林杏は自分の失態を責めながら、全力で徐さんの家に走った。

 徐さんの家と畑はこの村の中で一番大きい。時期によっては村長より身なりが派手なときがある。噂では野菜以外にもなにか商いをしているそうだ。

 そんな徐さんの家の裏にある畑から「く、来るなーっ」という大声が聞こえた。林杏は畑のほうへ回る。

 そこでは竹槍を構えた徐さんと、こげ茶色の毛の熊が向かい合っていた。毛並みや体格から察するに熊はまだ若そうだ。

「おやめっ」

 林杏は声を張り上げた。すると熊がこちらを向く。

「ここはあんたがきていい場所じゃない。食事なら山でおやり」

 静かに1度深呼吸をする。目に神経を集中させると、熊の体の中を巡っている気が見えてくる。すべての生き物には気と呼ばれるものが体を巡っており、その気の流れ方や量によって体調や心の動きがわかる。熊の気は大きく乱れている。恐怖、飢えなどが原因だろう。

 まずはこの気を整えてやる必要がある。気は離れていても、整えることができるのはありがたい。

林杏はゆっくりと両手を前に出し、気が絡まっているところや滞っているところを、ほどくようにもしくは撫でるようにしながら、整えていく。まるで無造作に置いた糸のようだった熊の気はしっかりと体の輪郭に沿った形となった。

(悪いけど、平伏させてもらうよ)

 林杏は指先から自身の気を熊に送りこむ。縄のように太い、林杏の気は熊のものに絡みつき、そして地面に水は吸いこまれるように馴染んでいった。熊の体に林杏の気が行き届いた頃、熊がゆっくり動き出し、地面にひれ伏した。林杏は熊に近づくと、その頭を撫でた。

「さあ、山にお行き。ここにはもう下りてきてはいけないし、畑を荒らしてもいけないからね」

 熊はのっそりと動き出し、畑を横切りながら山へと向かったようだった。林杏は胸をなで下ろした。

「林杏……なにをしたんだい?」

 その声は今の父親のものだった。林杏はふり返ってようやく村の人々が来ていたこと、今の両親や星宇が追ってきていたこと、平伏の力を目撃されたことに気がついた。目を輝かせている者、恐れを感じている者、企んでいることがにじみ出ている者など、さまざまな視線が林杏を突き刺す。そんな視線でふと思い出したのは、前世の両親のことだった。村の者たちの目と、前世の両親が姉に向けていた眼差しは、とてもよく似ている。

 今の両親はどんな目つきをしているだろう。じいっと見ると驚きしか感じていないようだった。

(私が転生した者だと知って、仙人の力が使えるとわかったら、この人たちも前の両親のようになってしまうかもしれない。……私がこの人たちの人生を悪くしてしまうかもしれない)

 そう思うと、とても怖かった。金にばかり目がいき、差し出させる金額をつり上げ、人を見下げていく。こんなにも優しくて心の広い今の両親がそんな風になるのは、絶対に嫌だ。

(……この家を出て行こう。また仙人を目指してもいいかもしれない)

 林杏は両親と星宇に微笑みかけて、その場を去った。

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