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3.生まれ変わり

 ぼんやりと意識が覚醒してくる。耳をすますと、若い男女の声が聞こえてきた。明るく、嬉しそうだ。杏花シンファはゆっくりと目を開けた。

「あらー、林杏リンシンちゃん、起きちゃいましたかー? ごめんねー」

 体が浮くような感覚がしたかと思えば、女性の顔が近づいてくる。どうやら抱き上げられたようだ。女性は微笑んでおり、こんなにも優しそうな笑みを間近で見るのは初めてだ。

林杏。初めて聞く女性の名前に、杏花はある可能性に気がついた。劫の失敗による転生だ。

(そうか、私、生まれ変わったんだ。だから今赤ん坊ってわけか)

 つまり、もう杏花ではない。これからは林杏として生きていくのだ。そう思うと杏花――いや、林杏は周りを見回したくて仕方なかった。しかし、母親らしき女性に首を支えて抱き上げられているため、首を回すことができない。

(まあ、時間をかけて把握していけばいいか)

 そんな風に思っていると、1人の男性が林杏を見下ろしてきた。

「いやあ、林杏は君に似たんだね。すごくかわいいよ」

「なに言ってるの。目元はあなたにそっくりよ」

 どうやらこの男性が父親のようだ。林杏から見て左側に泣きぼくろがあり、まつ毛が長い。林杏は自身の顔つきが気になったが、確認できそうな場所も道具もない。もう少し先の楽しみへと変更する。

(そういえば、ここはどこなんだろう? どれくらいの時間が経った? ワォ国内なのか、ほかの国なのか……。でも言葉が理解できるってことは、前と同じ我国内の可能性が高そう。あとはどの州か。うーん、ハン州だったら大変だろうなあ)

 寒州は我国でもっとも北に位置している州で、日照時間も短くほかの州に比べて寒い。前世は農業が盛んで気候も穏やかなヤン州にいたので、ここが寒州だった場合はあまりの温度差にひっくり返ってしまうかもしれない。

(それにしても……人肌ってこんなに温かいんだなあ)

 前世では母親に抱かれた覚えのない林杏は、その心地よさに自然と目を閉じていた。

 成長する過程でわかったことはいくつもあった。まず生まれた州は前世と同じ陽州で、緑豊富な村だったこと。両親は農業を生業にしていること、自身の容姿。まつ毛は予想していたよりも長く、くちびるは桃色で小さい。前世とはまったく違う顔つきに慣れるのは時間がかかった。

 そして林杏はようやく生まれた子どもであったようだった。そのため林杏はとてもかわいがられた。

歩けるようになり、乳離れをし、林杏は竹のような速度で成長した。好きな食べ物は余分に与えられ、火の近くは「危ないから」と言われ、近づくことができなかった。前世とのあまりの違いに目が飛び出そうだった。

 3歳になり、ある程度体力がついた林杏は、まず自分がどのような力を引き継いで転生したのか確かめた。両親の目を盗み、山に入って試したところ、平伏の力があるようだった。平伏の力では猛獣や毒蛇などを従えることができる。

(この力があれば、畑を荒らす害獣から作物を守って父さんと母さんに恩返しができるかもしれない。こんなにも温かい愛情を注いでくれている、優しいあの人たちに)

そう考えた林杏は林や山に入っては害獣になるであろう、イノシシや毒蛇、熊などを平伏させた。動物たちの中で林杏の存在を知らない者はいない状態となった。

 しかし林杏は動物を平伏しても、特にどうこうするわけではなかった。ただ畑を荒らさないようにするために平伏したのであって、従えてなにかを行なうつもりではなかったからだ。自由を奪わない林杏の平伏の方法に動物たちも気に入り、畑を荒らすのをやめた。

 ある日の夜、林杏は月の光が降り注ぐなか、前世で失敗した劫のことをぼんやりと考えていた。

(あの空間に合図があるまで、か。やってみてわかったけど、すごく厳しいな。なにもできないなかで、時間がわからないって、あんなに苦しいんだ)

 劫を始めて最初は平気だった。しかし様々なことに気がついてからは、自信も気力も崩れてしまった。

 今世ではどうするか。林杏は静かに体の向きを変え、隣とさらにその隣で眠っている今の両親を見る。

(今世の父さんと母さんは、とっても優しい。いつも笑顔で、温かくて、私を愛してくれている……。この人たちとこのままずっと過ごせていけたら、どれだけ幸せだろう)

 前世では家事や家畜の世話をし、両親の機嫌が悪いと殴られ、姉からはなぜか飲み物をかけられたこともあった。この家では暴力をふるわれることはなく、食事も十分に与えられる。予測できない悪意や敵意に怯える必要がない。

(ここで父さんと母さんと暮らしていこう。仙人にはなれなかったけれど、幸せな家に生まれ変わることができたから、それ十分)

 家事をすれば「手伝ってくれてありがとう」「えらいね」と感謝され、褒めてもらえる。愛している人から好意を与えられると、温かい気持ちになった。

(この家に生まれてきてよかった。この人たちの子どもとして生まれてきてよかった)

林杏は前世では味わえなかった嬉しさをゆっくり噛みしめた。

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