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2.劫

 仙人の修行はどれもわけがわからなかった。なぜ呼吸するだけで方法が複数あるのか、なぜ食事の選び方まで気をつけなければいけないのか、など。

 そんななか、杏花は食らいついた。どうせ冥婚をしなかった関係で町にはいられないのだ。霊峰で静かに暮らすことだけが、杏花の動力源となっていた。

 杏花が修行を始めて5年経った、ある日。朝食を終えると張静ヂェンシンに呼び出された。

杏花シンファさん、あなたにごうの許可が下りました」

 劫とは仙人になるための最終試験のことだ。真っ白な部屋の中で指示があるまで待機するという簡単なものだ。ただし、この劫に失敗すると命を落とす。そして数ある仙人の術の中から1つ授けられて何かに生まれ変わるが、虫か人間や獣人か、動物なのかはわからない。

「受けます」

 杏花は張静から視線を逸らさずに答えた。張静から劫について詳しく説明される。

「劫は合図があるまで行われます。ただしどれくらいで合図がされるかは、あなたには知らされません。食料はこちらで用意するので、それでやりくりをするように。合図があるまでの過ごし方に決まりはありません。ただし出たいと発言、意思表示した段階で失敗とし、命を落とします。与える食べ物以外の持ち込みは一切禁止です。それから朝食は抜くように」

「わかりました」

「明日、部屋に迎えに行きます。身辺整理をしておきなさい」

「はい」

「では、戻っていいですよ」

 頭を下げ、杏花は自分の部屋に戻った。仙人として生きることを静かに決意しながら。

 次の日、部屋に張静がやってきた。共に向かったのは、道院の敷地の中でも奥に位置する建物だった。この道院に初めて来たときに紹介されたきりだ。

「こちらが食料です」

 渡されたのは乾燥させた肉と果物だった。2週間分くらいだろうか。

「それでは、劫を開始します。入りなさい」

 張静が扉を開け、杏花は部屋の中に入る。

 部屋は本当に真っ白だった。土壁と石の床ではあるが、白以外の色が存在しておらず、窓もない。しかも明かりがないのに昼のようにはっきりと部屋の中が見える。

 バタン、と扉が閉まると、どういうわけか扉が消えた。どうやら内側から外には出られないらしい。

(いいわよ、やってやろうじゃないっ)

 杏花は硬い床に腰を下ろすと、目を閉じ、ゆっくりと呼吸を始めた。

 しばらくすると、くう、と腹の虫が鳴いた。そういえば朝食を食べていない。杏花は1枚の干し肉とひとかけらの乾燥させた果物を、ゆっくり食べた。

 これまで修行ばかりだったので、こんな風に予定も物もない部屋にいるのは落ち着かない。

(占いをするにも道具がないし、誰かの運をいたずらに入れ替えるわけにもいかないもんな。うーん、思ったよりできることが少なそう。……それなら修行と同じことしてたほうが、気も紛れるかも)

 杏花は再び呼吸を整え、体を動かしたり体内に清らかな気を保ったりした。

 しばらくして、杏花は気がついてしまった。時間の経過がわからないのだ。そして体を動かせば動かすほど空腹となり、食料の減りが早くなってしまう。

(なにか、なにか時間を計る方法は……)

 修行と同じことをしていれば時間は計れるが、眠ると時間がわからなくなるので正確な時刻がはっきりしない。

(ここに入るときは何時だったっけ? 9時……いや10時? どうだっけ? もっとちゃんと時計見ておけばよかった。呼吸法ってどれくらいの長さしたっけ? ほかの動作は? ……待って、そもそもまだ今日なの? それとも次の日になったの?)

 杏花は心臓が速くなるのを感じた。頭の中に考えが巡り、混乱してくる。考えれば考えるほど、苦しみが増していく。

(今は昼? 夜? 夜なら眠いかもしれないけれど、緊張のせいで眠れないってなっていたら? 時間……なにか時間がわかるものっ)

 杏花は部屋を歩き回って、時計や窓がないか探した。しかし見当たらない。

(もしも扉が開かなかったら? ずっとここに閉じ込められていたら? 食料が尽きたら?)

 命を落とすほどの試験だ。餓死もあり得るだろう。

(しまった、なにか方法を考えておけばよかった。時間がわからない。喉も渇いてきた。水、水は? そうだ、食料は渡されたけれど水は渡されていないっ)

 次々姿を現す課題に、杏花の頭ははち切れそうだった。なにを解決すべきで、どれを放っておくべきか判断ができない。

(やだ、こんなとこにいるだなんて。こんなところで死ぬだなんてっ。苦しんで死ぬなんて、空腹で死ぬなんて嫌っ)

 なにか方法を探さなくては。方法を、方法を、方法を。

 杏花の中でなにかが、ぷつりと切れた。

「もう嫌よお! 私は生きたい、生きていたいの。こんなところで死にたくない、お願い、お願いだから出してっ」

 そのとき、心臓がどくんっと1度鳴ると、息が苦しくなった。視界が黒くなり、苦しさで喉元をひっかく。空気を求めながら、劫の失敗条件を思い出した。

 出たいという発言、もしくは意思表示。

そう、杏花は『出して』と言ってしまったのだ。杏花の意識は糸を切るようにあっけなく消えてしまった。

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